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戦争のリアルについて 「この世界の片隅に」

この方のおっしゃってることはすごくまっとうだし、納得が行きます。

ただ、どうなんでしょう? 「戦争責任を描く」「加害責任を描く」という行為は、これまで何十年という間、映画や演劇や文学などで試みられて来て、ことごとく失敗して来たのではありませんか? それはほとんどがイデオロギーや教訓先行の例え話になってしまい、リアリティーが失われていたのではありませんか? そして、そのリアリティの獲得、すなわち「リアルな戦争の描写」に成功したのが、この作品の最大の価値だったんじゃないでしょうか?

多くの先行作品が「戦争責任、加害責任の描写に失敗した」と書きましたが、その理由は明白です。それは、人間は時代や歴史を俯瞰的に捉えることなどできないからです。自分が生きている時代を、その中にいて、俯瞰的、鳥瞰的な目で見られる人間などいるのでしょうか? できているつもりの人がいたとしても、それはともすれば特定のイデオロギーの図式に自分の置かれている状況を当てはめて「見えている」つもりになっているだけのことが多いと思います。

もちろん、だからと言って、「戦争責任」や「加害責任」を描くことに意味が無いと言ってるわけではありません。ただ、それを模索するなら、この作品を批判するのではなく、むしろこの作品が獲得した戦争描写のリアリティの方法論、新地平に学んで、イデオロギー的、あるいは総括的な後付けの形ではないところの「戦争責任」「加害責任」のリアルの獲得を模索するべきだと私は思うのです。

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