【懐古趣味】乃木坂46の「未来の答え」はでたのか?#2
妄想込みの推測記事です。エンターテイメントとしてとらえてください。
下記記事の続きです
【懐古趣味】乃木坂46の「未来の答え」はでたのか?#1
3. 1期生楽曲 と対比すると「乃木坂らしさ」が解る
この3曲を聴いたら1期生の楽曲はなんて平和で引っ込み思案な内省的な楽曲なんだと改めて思う。
★人はなぜ走るのか?
『走れ!Bicycle』 2012年8月22日 カップリング
象徴的な歌詞:
「できないことをやってみたかったんだ やがていつしか目を開けて
夢見られる僕らになった」
これでも、陰キャにしてはずいぶん前向きな話だよね。この時期は迷走期だったことは確か。
この後の4thシングルは「制服のマネキン」だから、『走れ!Bicycle』からずいぶん振り切った。
個人的には、生駒には合わない楽曲だったな。
★「生まれたままで」
8thシングル『気づいたら片想い』 2014年4月2日 カップリング
16thシングル「サヨナラの意味」と同じ非常に印象的な歌詞がありますね。
鉄橋の真下で 電車が通過する時 大声で叫んだ 望み少ないあの夢
問題なのは あまりに長い 命の残り
未来になにも期待していないゆとり世代の中でも特別冷めきっている人達。
それが秋元康が見ている1期生達。
そんな戦わない1期生の人達が絶対に歌わないだろう歌詞がこれだ!
【「三番目の風」歌詞】
今までとは違う向きに吹き抜けろ! まだどこにも見たことない新しい空 切り拓け! 僕たちは恐れてない希望の使命はそう 光を作ることさ
自分たちで真っ暗な未来をこじ開けろ!
★孤独な青空
16thシングル 「サヨナラの意味」 2016年11月9日 カップリング
これは正に「乃木坂らしい楽曲。
橋本奈々未ラストシングルの中の1曲だけれど、「サヨナラの意味」同じ選抜同じフォーメーション。ソロ曲「ないものねだり」「サヨナラの意味」「孤独な青空」の3曲は、橋本信者にとって尊い楽曲。できれば「ないものねだり」と共には雑な扱いをして欲しくない。まして、サンキッズなんかに見つからないで欲しい。
内省的で哲学的な歌詞。橋本奈々未にしか歌えない曲だ。
親友と呼べる者を 自信持って言えないのはなぜだろう
もどかしく語り合うような夜明けが欲しい 生き方がぶつからないように
距離を置いてしまっている
友達欲しいけれど、友達でなくなることが怖い!
3期生曲には絶対出てこない歌詞。
【筆者の主張】
秋元康が見ている、1期生と3期生のちがいは、歌詞を比較すれば一目瞭然。
では、AKBは超えた時点での3期生は誰と戦えと言われているのか?
戦って勝ち取るものは何なのか?
それは、乃木坂のメンバーにとって価値があるものなのか??
■ 筆者は、その事に運営の愚かさや、責任逃れを感じた。
乃木坂46の未来を山下美月に背負わせるのは酷な事だと思った。山下に限らず、飛鳥だろうが、与田だろうが、梅澤だろうが、久保だろうが、遠藤だろうが、賀喜だろうが、乃木坂の未来を背負えない。
そもそも運営は、乃木坂46と言うアイドルグループの方向性を明示していない。AKBの様にK-POP流のアイドルに対抗して変化させていくのか?それとも現在の流儀「ろくにボーカルやダンスレッスンを行わすにすぐに劇場などのステージに出すやり方」を続けるのかすら明示していない。
メンバーを変えただけで「乃木坂の未来」と言いたいのなら、乃木坂46の未来と言う奴は決して明るくはない。そもそも未来は明るいとも希望が持てるとも言っていないと言い訳を言うなら、これ以上の成長やそのための変化を諦めたのだろうか?
20世紀以降の人間は、未来という言葉に明るい未来、今より発展している未来というにニュアンスを感じ取って来た。それを前提に、乃木坂の未来と大業に言うなら、未来はこれだと言語化して現わさないといけないのは運営だけだ。乃木坂46はビジネスであり企業の未来はトップが語るべきだろう。
メンバーに乃木坂の未来を覆いかぶせているのは卑怯だ。
■ 1期生のメインメンバーは特別だったのであって、現メンバーが通常だ。
創設期に応募したのは、それなりに覚悟が有っただろうし、それを担える人を人選しただろう。加えて、秋元康は「AKB48の公式ライバル」という明確なコンセプトと目標を与えた。メンバーは、「AKB48を追い越す」と言う目標にに向かっていけば良かった。
AKB48自身が、「乃木坂に超えられた」宣言をしているのだから、乃木坂はその時点で目標を失った。
26thシングル『僕は僕を好きになる』2021年1月27日当時の運営は、乃木坂46を創作してきたメインメンバー(※1)の残りの4名が2021年中に卒業する予定だったので、3期生を盛り上げようというプロモーションの一端だったのだろう。頭の軽い奴が乃木坂ファンを馬鹿にして付け足したキャッチコピーなんだろうと推測している。筆者みたいな人を想定していない。
※1 乃木坂を創作してきたメンバーの残りの4名
白石麻衣(2020年10月28日卒業)、松村沙友里(2021年7月13日卒業)、
高山一実(2021年11月21日卒業)、生田絵梨花(2021年12月31日卒業)
この浅はかなキャッチコピーを見て、この運営は何も理解していないから乃木坂46は衰退するだろうという懸念をもって、「乃木坂らしさを言語化出来ないのか」というブログを書き出した。
2021年3月25日 「乃木坂らしさ」を言語化できないの #1
※1:乃木坂46を構築してきたメインメンバーとは、深川、橋本、生駒、西野、若月、桜井、白石、松村、高山、生田。
「ガルル8福神」+深川*若月
2).では、未来とはいつの事か?どんな未来なのか?
■ 未来を具体的に言語化しよう
26thシングル『僕は僕を好きになる』2021年1月27日が未来だとしたら、いつから見た未来なのか?過去から見た「乃木坂の未来の答え」が山下美月だという事なのか?何年前だったのか?芸能界がいい加減なのか?乃木坂運営がずるいのか?
もしかしたら未来は、26thシングル『僕は僕を好きになる』2021年1月27日から見た未来で5年後とか10年後なのか?
いずれにしても、それを言わない運営は本当にずるい。
■ 「いつのまにか、ここにいる」は過去の清算?
1期生の功績を無いものにした、この映画。
『いつのまにか、ここにいる Documentary of 乃木坂46』は、2019年7月5日公開の日本のドキュメンタリー映画。
主題歌は、「僕のこと、知ってる?」 作詞:秋元康 / 作曲・編曲:中村泰輔
乃木坂46の姿を追ったドキュメンタリー映画『悲しみの忘れ方 Documentary of 乃木坂46』(公開日 2015年7月10日)以来4年ぶりとなるドキュメンタリー映画。
結成から7年目の2018年9月から密着を開始し、メンバーには、12月4日に行われた若月佑美の卒業セレモニーの後に映画の制作が知らされた。
舞台裏とインタビューが中心で、主に西野の卒業までと卒業後に焦点を当てた構成になっており、まるで西野礼賛と卒業後を応援する内容になっている。
付け足し的に、次期エースの飛鳥の心の中に迫ろうとしてイギリスロケにまで行って失敗した内容。
監督には悪いが、駄作だ。
監督が言っている様に、成長してしまった乃木坂46に映画にすべきテーマがあるのか?正にその通り。
こういう処が、運営委員会が解っていない処なのか?もしくは、二番煎じでも儲かればいいか?「乃木撮Ⅱ」の様に『いつのまにか、ここにいる』は駄作だ。
個人的感想として、映画として失敗したのは七瀬と飛鳥に焦点を当てた事が原因だろう。この二人が、乃木坂46を構築した代表では無い。
運営のオーダーだったとしたら、監督には気の毒だ。
本来取り上げるべきは、「ガルル8福神」であり西野はその一部として取り上げればよかった。
西野には、儚さとかおとなしいという印象が付いてしまったが、西野自身も言っていたことだけれど、自分の望みだったわけでは無い。順風漫歩にエースとなってしまったが、彼女には自己チューが故の心の強さがあり、「仕事として儚さを演じていて違和感があった」と卒業後言っていた。しかも乃木坂の成長へのかかわり方は、神輿に載っていただけ。
運営が西野を取り上げたきっかけの涙を流したのは、負けず嫌いでその当時のメンバーと自分を比較してできない事に悔しかったから。それが効してエースになったから、彼女に焦点を当てても、乃木坂を創ってきた人ではないので内容が薄い。
「乃木坂46は、こうなる運命が決まっていた事で宿命だったと思う。
そこに居られた自分はラッキーだった。」とまで言っている。
「仲の良さがグループを一つにしてここまで来た力になった」とも言っていたが、自然と仲が良くなったわけでは無い。そこを知らずして乃木坂46の真価・真髄を語れない。
★ なぜ西野がエースになったのか?を下記に書きました。
一方、飛鳥は未だに自分の素を見せられないから、撮る側を困らせる。彼女の素を引き出せる人は、乃木坂46のメンバーですらいなかった。
すっと嫌がられても生田が飛鳥に近づこうとしていたのは、乃木坂46の未来の為に飛鳥の考え方を変えたかったから。未来のエースに託したかったのだろう。間に合わなかった。
https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B081R239JD/ref=atv_dp_amz_det_c_Z0r2A3_1_1
何故『いつのまにか、ここにいる Documentary of 乃木坂46』を取り上げたかと言うと、26thシングル『僕は僕を好きになる』2021年1月27日と対比する乃木坂46は、この内容「このグループは仲が良いだけ」という陳腐な内容のグループに見えているから、今後は違うよ?とでも言いたいのか3期生担当のマネージャーさん。
サンキッズとか、これを見てかどうか3期生が乃木坂を創ったとか言い放っている。
筆者だったら、乃木坂46の姿を追ったドキュメンタリー映画『悲しみの忘れ方 Documentary of 乃木坂46』(公開日 2015年7月10日)以来4年ぶりとなるドキュメンタリー映画のテーマは、『一人じゃビビッて歩けない』にしただろう。
『いつのまにか、ここにいる Documentary of 乃木坂46』では無くて、
『この人達だったから、ここまでこれた Documentary of 乃木坂46』にする。
卒業生である橋本や、白石や、高山や、生駒や、桜井や、生田が卒業時に異口同音にいう言葉だ。「この人たちだったから、ここまでこれた」。
西野も飛鳥も苦闘していない。
■ この映画は、1期生の『正統な功績者』を無いものにした。
正統な功績者が何をしたのかを明らかにして訴えかければ、
◎これからのメンバーが何をすべきか?
◎それを支持したファンとは何だったのか
を明らかにできる。
惜しい事をした。
2022年12月現在、可もなく不可もなくの乃木坂46。
芸能ジャナーナリズムのメジャな話題にはなりようがない。
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