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ほんものみっけ

以下引用です。

知恵袋からです。

質問

私の周りには誰も、本当に誰もいません。
私は誰からも愛されていません。

ずっと独りぼっち。他の皆には恋人や友人がいるのに。

たまに、『私は透明なのかな?』と思う事があります。

誰にも私に気付いていないんじゃないかなって。

父親にこの事を相談すると『人は誰もが独りぼっちだ生まれるのも一人、死ぬのも一人』と言われますが本当なのでしょうか?


寂しいです。死んでしまいたいくらいに


回答

そのカラッポさやミジメさ、叫び出したいほどのさみしさ、狂おしいほどの人恋しさや強烈な人への飢え、そういった諸々によって生まれる生きづらさは、余人には理解されることがありません。

誰もがそこそこにさみしく、そこそこに人恋しいからです。

どれだけあなたが自分の孤独や生きづらさを訴えたとしても、それは人が抱える普遍的なさみしさと解釈されてしまいます。

場合によっては、わがままや弱さと受け取られて叱責されることも。

この理解されない孤独さがまた、孤独感を深めます。


孤独が孤独を呼び、雪だるま式に膨れる孤独感、これは本当にキツいものです。
そのキツさはわかります。
私もまた、巨大な孤独感に押しつぶされそうになりながら生きる人間の一人だからです。

恐ろしい事実、絶望的な事実を一つお教えしましょう。

恋人ができれば、友達ができれば孤独感から救われるとお思いではないですか?



決してそんなことはないんですよ。

あなたの抱えた孤独の暗闇は、誰からも理解されることがないまま、ひっそりとあなたの内に残り続けるんです。
そして真冬に古傷が疼くように、時折堪え難いほど痛みます。

その痛みから救われたくて、奇跡的な幸運の末に出来た恋人や遊び友達に頼るのですけど、その望みは叶いません。
先に述べたように、あまりに深い孤独は余人には理解されないからです。

一度その身に植え付けられた孤独の苦しみからは、一生逃れられないのかもしれません。

ではなぜ生きるのか?
死ぬのが怖いからです。

孤独の生きづらさと死の恐怖、この二つに挟まれてギリギリと万力に押しつぶされそうになりながら生きる、それがあなたの"生"です。



あなたが望んでいるであろう形の救済があなたに訪れるかどうかはわかりません。
完全に運まかせです。

根治を目指さず対症療法に当たることが大切になるでしょう。

何はともあれ、経済力は重要です。
犯罪以外なら何をしてもいいのでお金を稼いでください。
そのお金を持ってバーやキャバクラに行けばお金で人と話す時間を買うことができます。

それはそれで虚しさを呼びますし、依存してしまって生活を破綻させるかもしれませんけど、それはそのときに考えればいいんです。

次の方法は趣味を見つけること。
私はバイクやサーフィン、トレッキングにボクシングと趣味を多く持っています。
これらに打ち込んで体を動かしている間は孤独を忘れますし、ときどきものすごく気持ちいいときもあります。
特にサーフィンとバイクはオススメ。
この二つは辛い孤独ではなく、豊かな孤独をあなたにプレゼントしてくれるでしょう。
静かに自分と対話する、そんな孤独さは悪くありません。

哲学に走るのもいいでしょう。


これらは対症療法なので、根本的な孤独の解決にはつながらないかもしれません。
ですけど、まあ、生きるのも悪くないな、と思わせてくれる瞬間を与えてくれます。

真冬の糞寒い中わざわざ動きづらい窮屈なウェットスーツを着て海の中にいると、自分の滑稽さに笑い出しそうになりながら、それでもふと自分が誇らしく思えたりします。

よく晴れた気持ちのよい日に誰もいない山道を、ゆっくりバイクを走らせるのは最高に気持ちのいいものです。
景色のよいところでバイクを止め、リュックの中の水筒に入った温かいココアを飲んだりコンビニのサンドイッチを食べたりしていると、まるで世界そのものが自分が生きていることを喜んでくれているような、そんな幸福感に包まれることがあります。
(まあ、そんなハッピーな時間を過ごした次の瞬間に、それを誰かに話したいと思っても話す相手がいないことに気がついて、孤独感の痛みに悶絶したりもするんですが)

とにかく、お金を稼いでできる限り人生を楽しむことです。

孤独でもそれなりに人生を楽しめます。
どうせなら苦しいだけより、楽しんだ方が人生、いいと思いません?

 
深い、誰にも理解されないこと、孤独、涙出る。同じような体験をしている身としては。それではここで一曲どうぞ。ワンリパブリックでSUNSHINE。もう日本でハミゴされるのは嫌や。本当にいやですね。


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