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熊の敷石

台風の影響が大きかった。大雨による被害も全国各地で起きているとニュースで見た。いよいよ梅雨のシーズン。油断はできない。

さて、6月最初の記事では最近読んだ小説を紹介したいと思う。

堀江敏幸さんの「熊の敷石」。

あらすじは以下の通り。

「なんとなく」という感覚に支えられた違和と理解。そんな人とのつながりはあるのだろうか。フランス滞在中、旧友ヤンを田舎に訪ねた私が出会ったのは、友につらなるユダヤ人の歴史と経験、そして家主の女性と目の見えない幼い息子だった。芥川賞受賞の表題作をはじめ、人生の真実を静かに照らしだす作品集。

「熊の敷石」/堀江敏幸/2004年02月/講談社文庫

堀江さんの作品は初読となる。

この小説は「熊の敷石」、「砂売りが通る」、「城址にて」の3作品が掲載されたものだ。

そもそも敷石とは何か。広辞苑をはじめ辞書には「通路、玄関先、庭などに敷き並べられた石」と示されている。

では、熊の敷石とは何か。これはフランスの寓話「ラ・フォンテーヌ」がもとになっているのだが、そこについては北村行伸さんが下記のように解説している。

 『熊の敷石』というタイトルはラ・フォンテーヌの『寓話』第八巻第十話「熊と園芸愛好家」からとったものである。ラ・フォンテーヌの寓話はつぎのようなものである。孤独な熊と孤独な老人が山でばったり出会い、意気投合して一緒に暮らし始めた。熊の一番大切な仕事は老人が昼寝をしている間に、わづらわしい蝿を追い払うことであった。ある日、熟睡している老人の鼻先に一匹の蝿がとまり、なにをどうやっても追い払うことができなかった「忠実な蝿追い」は、ぜったいに捕まえてやると言うか言わぬか、「敷石をひとつ掴むと、それを思い切り投げつけ」、蝿もろとも老人の頭をかち割ってしまったというものである。その教訓は「かくして、推論は苦手でもすぐれた投げてである熊は、老人をその場で即死させたのだ。無知な友人ほど危険なものはない。賢い敵のほうが、ずっとましである。」ということであり、これが転じて、いらぬお節介を「熊の敷石」ということになったそうである。

北村行伸/書評/その他《誰のためでもない書評》/2002年06月

読み終えて感じたこととしては、人間関係には様々な摩擦があるということ。でもそんな摩擦を感じながら人間同士、上手く付き合っていくものだと思った。

文体は淡々としていて堀江さんの独特な言葉使いによって表現されている。僕はこれが初読なのでこの他の作品も読んでみたいと思った。

長らく会わなかった友人と再開した時、距離感は変わってしまうもの。手紙やLINEなどでやりとりしていたとしても、いざ直接会って話すと何か違和感をもつことがある。それに相手も同様にこちら側に違和感をもっている場合もある。それは会わなかった空白の時間が生み出した感覚だと思う。

舞台のフランス。

美しい情景描写が行ってみたいという気持ちを掻き立てるものだった。

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