『東京』思い出紀行〜“異国の食”を巡る旅になりました〜2024
はじめに
〜結果、少しだけ“異国の食”を巡る旅になりました〜
2024年1月、東京に住む妻の妹さんの所へ会いに行くため、遠いが成田空港から東京周辺までその時、電車代含めLLCのセールを狙い安いチケットを既に取っていた。
僕は旅へ行きたい欲、知らない地をこの目で確かめたい欲(出来れば海外)がまるで、砂漠を歩き続けて水を求める放浪者の様に枯渇していたのだ。
望んでいた海外では無いものの、日本に居ながら僕は東京がメインで行くのは初めてだった事と大好きな繁華街の路地裏やスナック街が拝めるかも知れないという期待に胸が張り裂けそうな僕は新千歳空港をこれから立つところである。2024/1/11
※〈注意〉※
とても個人的な思い出を語るのはもちろん
田舎の北海道の生まれ育ちが観た“東京”なので「何だそれ」「ここじゃ当然だよ」又は偏見間違いなどなど等々あるかもしれません!
ご了承下さい!笑
《プロローグ》
“小慣れ”の荷造り
どうでもよいネタから始まるのが
この“思い出紀行”なのである。
以前にベトナムへ、一ヶ月ちょい滞在してからかというもの、荷造りも小慣れに小慣れて東京行きへの準備はもう万端!
※前作の詳細はここから
『ベトナム南部思い出紀行』note版
相変わらず、妻の荷物は〈荷物は7キロまで〉“LCCの鬼門?”を突破と思いきやベトナムの時とは違い僕のバックパックには妻の荷物が何と数グラムという快挙で華々しくスタートを切った。
早速、新千歳空港に着くとコロナ明け、ビバ円安!と言わんばかりに海外旅行者でごった返していた。
中国系であろう観光客が北海道のお土産を買い、その場の地べたでバカデカいキャリーバックを広げ、買い占めたお土産を無理やり詰め込んでいる。
そんな活気のある空港の風景を眺め「何か、たまんないなぁ〜」と1人呟きつつ、もちろん飛行機搭乗は小慣れたもので(たった数回のくせに)少し検査所で戸惑いつつも…無事搭乗!
飛行機の中では旅行者外国人に囲まれつつ成田国際空港へ無事到着した。
まず横浜へ。
数年前と今の雰囲気と
“こんなの食べました”
上記にも書いたとおり、僕はベトナム人の妻の妹さんに会うため“東京”へ向かったのだが
その前に横浜へ向かい中華街を歩いておきたかった。
僕は以前、音楽活動の際に訪れた際、あの雰囲気が忘れられなかった。
東京では無く千葉県であったが時間をかけ交通機関を使えば行けなくない距離だのに
何せ航空チケットを少しケチり成田行きのLLCのチケット取ったため二時間弱とアホみたいに時間がかかる。
計画的に非効率なルートをあえて選んだが、ここから北海道ネタで申し訳ない。
道民ならお分かりいただけるかと思うが、
大袈裟に例えると…
千歳空港から函館に行き、また札幌市へ戻り、そこから中心街ではない町へ行くようなアホなルートである。(こっちの方が大変かも?)
滞在時間より移動が長い典型的な土地勘のないそんな“アホ”ルートにした事をその時にケチった当日の自分をほんの少し恨んだ。
それでも横浜中華街へ絶対に行きたかった。
数年前にに行った横浜中華街の雰囲気は行き交う海外旅行者と甘栗を売る中国人たち、甘栗の店のぼったくり注意の看板、意地でも売ろうとする客引きの声でなんとも言えない雰囲気が当時にはあった。
今回は19時に訪れたがそんな混沌とした雰囲気はほぼ皆無。
当時訪れた地下鉄付近で寝ているホームレス達と地下通りに風呂敷を広げてよくわからない物を売っている露店があった“関内”は都合上行けず…
そんな今の雰囲気と言えば、華やかさは当時と変わらず行き交う人で溢れていたし、出店はほぼなかったものの店舗は相変わらず活気があり
この日本に居ながら異国間が味わえるのは本当に大好きだ。そして、今回気になったのはその中華街に子供が歩いていたり、遊んでいる事でだった。
よくよく観ていると、推測になってしまうが日本で生まれたであろう中国人のようだ。もちろん言葉は中国語。(たまに日本語)
街中を歩いていると何度も鉢合わせる男の子が20時過ぎていてもウロウロしている。
周辺のお店のおばちゃんや通りすがりのおばちゃん達に何を話しているかわからなかったが男の子に話しかけている様子をよく見かけた。
これも側から見た推測ではあるが、ここに住んでいる中国人達なりのコミュニティがある様だ。隣りの店舗や向かいの店舗に『まだ仕事なの?』と中国語笑顔で声を掛け合っていた。
(※奥さんが通訳)
そんな中国人同士は笑顔だが、呼びこみはするくせに接客は笑顔ではなかったがまぁ良い!
また来れた横浜中華街である。
嬉しさの方が優っているのだ。
そんな接客を受けつつ食べ歩きの中華料理を注文。台湾の鳥を薄くして平たくした唐揚げの様な料理と小籠包と一口で食べれる鳥唐揚げを注文。
そして
ここから料理の味のパートに入ります。笑
横浜中華街こんなの食べたました。
台湾の唐揚げ(正しい名前不明なので)
まず、この鳥唐揚げ
この唐揚げ“台湾”と名のつくお店ならどこでも食べれる物であるが、素材は本場とは違うものの味はもちろん“揚げ方”が絶妙であった。
(本場にこの料理があるかは僕は知らない)
カリカリと一言で語られるが、カリカリの部類でもサクサク寄りのカリカリ食感!
一口目、その時点で心を奪われていた。すかさず「脂っこくないよー」と風味と共に旨味と程よい塩加減が僕の舌を抱きしめ始めた。
(大丈夫?ついてきて!w)
その後来るピリピリとした唐辛子の色気がいやらしくなく自然に後からついてくる。
「辛くて美味いって事ことか!」そう、改めて僕を目覚めさせくれる豊かな美食体験であった。
そして…
焼き小籠包
小籠包と聞いて僕のイメージはかじれば肉汁がほど走り僕たちの繊細な口内を燃やすが如く荒らしてくる様な熱さに耐え忍び、味という喜びを得る。そんなイメージを僕は持っていた。
(蒸した小籠包とか)
この小籠包が台湾式なのか、中国式なのか、はたまた横浜式なのかはわからないが、写真をご覧の通り丸い黒く熱した鉄板の上にその小籠包は焼かれていた。
「ぢょっどっ!まぁででぇっ!」と言いながら相変わらず無愛想なおばちゃんからもらった小籠包のファーストインプレッションは…
程よく焦げ目のついた少しカリカリに焼かれていて、歯応えはもちもち!そんな手厚い“口内歓迎”も束の間!お肉の旨みを纏った汁。そう、お汁がまるで母の様に抱きしめられたよう暖かさ、そんな感覚が熱さ、旨味と共に僕の繊細な口内に追い打ちをかけてくれる。
そう感じた瞬間…「ありがとう!」と暑苦しい様な照れ臭いような感情を僕の心から抉り出してくれた。
最後に…
鳥の唐揚げ(小)
横浜中華街は食べ歩きと言えばと言った感じといった具合に定期してるれる。
これを食べる頃にはお腹いっぱいになっていたため、この唐揚げとまともに向き合うことが出来ず、このように文章がかなり短め!残念。また再会したい味!
【小話】ナンパの兄ちゃん二人組との会話
焼き小籠包を注文し待ちながら屋台で唐揚げを堪能していた頃、その前に1人で同じ屋台で小籠包と鳥唐揚げ(小)をビールを飲みながら食べていた若い兄ちゃんがいた。
少しすると食べ物をその店の前に置きぱなしにして、どこかへ向かうが数分で戻ってきた。
スマホを手に取り電話をしている。
まもなく、もう1人の青年が慌てて走ってきた。
何かと思えば“ナンパに成功した!”とのこと。
どうやらこの二人組、仕事場の上司と後輩らしく、その後輩が先輩好みの女の子に声をかけて2人X2人で横浜駅で遊ぼう!という事らしい。
先輩
「うぉ!やぁべぇ!俺好みのあの子、くるんでしょ?」
後輩
「はぁいっ!来ますねぇ!」
先輩がすかさず…
「どっちにするぅ?俺、やっぱり目つけてた子が良いなって思ってるんだけど」
後輩
「はぁいっ!俺、隣の子の方がマジでどストライクなんでぇ!」「行っちゃいましょう!」
そんな2人の話しを聞きつつ唐揚げを食べていたら突然そのナンパ二人組はこっちに話しかけてきた。
酒の勢いなのか明るく先輩が「楽しんでますかぁ?笑」と一言。
「あっ!楽しんでますよ!」と僕はすかさず笑顔で返す。
先輩
「俺たち、名古屋から来てぇ!今、出張中なんっすよ!」「どっから来たんっすか?」
俺
「北海道です!」
先輩・後輩「えーーー!」…
と、驚き声から始まり、どんな仕事か?僕たち夫婦の事など盛り上がり話しつつ、その青年2人組が
先輩
「これ、食べきれなかったのでぇあげまぁす!」「食べてください!」「あっ口つけてないで!」
渡されたのは「焼き小籠包」二つ。
心の中で“さっき注文しちゃたな”と思いつつ
その青年二人組は笑顔で「じゃあ!楽しんで下さい!」と現地在住ではないが嬉しい一言に
僕も手を振り「楽しんで!」と一言。
二人組「はーい!」とナンパした女性が待つ横浜駅へ2人はダッシュで駅の方へ向かってしまった。
街自体は時間の都合上、行けないところもあり、個人的に全力で楽しめず6分咲き。
宿泊代をケチり妻の妹さんのご好意で東京戻ることになるが、当初予定していた横浜の関内付近で宿泊する予定であった。
やはりケチらずホテルにすれば、日本三大スラム街の一つ「寿町」にも行くことができたが
ナンパ二人組の兄ちゃんとの交流もあり、楽しく過ごせたので改めて僕の“旅したい欲”を膨らませるのであった。
楽しかったありがとう!ナンパ兄ちゃん二人組!
妹さんの自宅で
ウェルカム『ブンボーフエ』
横浜から長い長い電車旅を終え二二時ごろにようやく妹さんの東京にある自宅へ行くことができた。
その道中、駅から自宅までの街並みは道民育ちにはとても信じられないくらい狭く感じられたが、曲がった網目の様な通路や道路や多様な建物にここから三日ほど過ごせるのだと思ったら嬉しくてたまらなかった。
そして、妻と妹さんは三年ぶりの再会である。
初めて顔を合わせた時、妻を一目見た時の嬉しそうな妹さんの顔が今も忘れられない。
横浜で食べてくるよ!と伝えてあったが、妹さんはベトナム料理の「ブンボーフエ」と言う麺料理を振る舞ってくれた。
お腹はいっぱいであったし、移動などの長旅で疲れていたのだが、何より”もてなそう”としてくれる妹さんの気持ちが嬉しくてつい食べてしまった。
お手製のブンボーフエはより美味しく感じたし、疲れた体にとても優しく染み込む様であった。
※去年、ベトナムに来たことを思い出しながら改めて僕はとても感銘を受けた。
ブンボーフエを美味しく頂き、寝る準備して明日に備える。僕はウトウトしてベットに横になっていた。
妻と妹さんは3年ぶりの再会での嬉しさか、深夜に差し掛かる時間になってもニ人はまだ話し続けている。
僕はベトナム語を聞いても内容はわからないが楽しく嬉しそうなニ人の話し声は、その夜とても心地よく聴こえた。
※前作『ベトナム南部思い出紀行』より
素敵な時間♡日本人、在日外国人に東京をガイドしてもらう‼︎♡
メイン通りより路地が最強!?
『中野』
前日の夜から明日は観光!と僕たちは意気込んでいた。当日、妻のベトナムのホテルで働いていた時の友人が東京に住んでおり、この友人もまた妻にとっては数年ぶりの再会である。
上野駅で待ち合わせだが、午後からなのでその間、みんなで街を歩くことになった。
妹さんの自宅付近の「レンガ通り」を抜けるのだが、その前にあったタイ料理屋があり良い意味で物でごちゃついていた為か、より一層、路地の雰囲気が増してみえた。
通りを過ぎればすぐ最寄りの中野駅。
妹さんが気を使って僕が“煤け繁華街”が好きというのを妻から聞いていたらしく上野へ行く前に中野周辺を散策する事になった。
いわゆるメイン通りを歩くと土曜日のお昼前、ここも海外旅行者と買い物客で賑わっていた。
地元の方なら承知であろうが、脇道にとても良い雰囲気の路地がたくさんあるのだ。
北海道札幌市にある“狸小路商店街”しか体験した事のない僕にとって新鮮であり、東南アジアの様な狭い路地の様な所は心を躍らせてくれた。
「中野ブロードウェイ」にも立ち寄った。
アニメや漫画、特撮お宝の山だったがスルーをさせて頂きウィンドウショッピング!
なんて思っていたら中野ブロードウェイ内のアニメ専門店では中央アジア系だろうか?ここも海外の方が店員として働いていた。
そんな「中野ブロードウェイ」を突き当たり左右に分かれ道があるが、そこからが中野の商店街の本領発揮であった。(煤けた繁華街好きとして)
写真を少し載せる事にする。
それ以外は下記の『東京山梨思い出紀行素人プチ写真集』へ…
残りの写真はこちら⤵︎
『東京山梨 思い出紀行 素人写真集』
ここは異国ですか?②
上野『アメヤ横丁』と元祖!日本初のベトナム料理屋!と本格四川中華料理!
妻のベトナムにいた頃の仕事場の友人と無事上野駅で出会い早速、ご飯へ行こう!
ラーメンといえば…「一◯」!という事で駅付近の店舗へ向かうと、ここもまた6割程が海外旅行者で列を成していた。
速攻当初の予定を変更し上野にベトナム料理屋があるとのこと!幸運にも地元以外の東京の初ベトナム料理屋に行ける事にテンションが自然に上がる。
幸運なのはそれだけではない。
東京に来る前に目星をつけていた市場、上野『アメヤ横丁』である。
土地勘がないのでまさかベトナム料理屋の行く途中に『アメヤ横丁』を通れると思わず急いでバッシャバシャに撮影!
繰り返すが北海道には『アメヤ横丁』の様な狭い市場、路地がほぼないので僕は興奮
アメヤ横丁と見たことがある景色に心を躍らせ
東南アジアの様な商品の並べ方に、白人イケメンが肩肘立てながら気だるそうに接客する姿、まるで韓国の出店の様な屋根が黄色く透明でボヤけたシート内で昼間から飲む親父に海外旅行者、タイ料理に異国の食材店、それに有名なお菓子の叩き売り…。
行き交う人々に呼び込みの声と
札幌では中々見れない活気のある“市場感”は本当にここは異国の様に感じられた。
長々と書いているが東京では当たり前かもしれない。だが、海外旅行者や在日の方々が多い為か国内で異国を感じられる素敵な時間であった。
そして、妻の友人にも僕が東京に初めて来たことに驚き狂った様にその素晴らしい雰囲気を撮影しようとする姿に苦笑い。
続いて妻も東南アジアでは珍しくない景色、雰囲気に何も感じいた様子は無く
東京観光で外国人に案内されながら日本人がキャッキャッしている状況も中々ないと自ら思う。本当に素敵な時間であった。
僕だけキャッキャッしているうちに目的のベトナム料理屋に到着。
ぎゅぎゅうな狭い煤けたテナントビル。
狭いエレベーターを乗り上へ上がる。
早速、店内へ入るとベトナムへ行った記憶をえぐり出してくれる様な現地でよく流れていた垢抜けないリズムマシーンが耳に残るベトナムの音楽が雰囲気を盛り上げてくれる。
そこでアオザイというベトナムの衣装をまとった素敵なマダムが迎えてくれ流暢な『いらっしゃいませ』が店に響いた。
店内は主に日本人が多い印象であった。
ベトナムコーヒーも飲み放題で店の全体の雰囲気は昔ながらのベトナムを思わせる内装であ?る。更に期待が膨らむ。
ベトナムで過ごしていた時よく食べた(名前は忘れた)チャーハンに豚を味付けしてカリカリに焼いた料理をセットで注文。
現地に想いを馳せつつベトナム人3人の楽しそうな会話を聞きながらまたベトナムへ帰りたいと強く思わせてくれた本当に楽しい時間であったし、ここでも日本の異国を感じられた。
そろそろ帰ろうとした時、1人の男性がこちらへ話しかけてきた。
その男性はここの店主であった。
ベトナム人と居る僕が珍しいのか?何なのかはわからないが、その店主が僕に言うには
このベトナム料理屋は日本で初めてのベトナム料理屋とこと。当時の厳しい時期のベトナムから日本に来たのは40年前。
お店も来た時にすぐ始めたとのことで、店舗の移動はあったものの、この上野周辺で夫婦2人ベトナム料理屋を続けてきたという。
ちょっとした自慢話ではあるが店主の優しい笑顔と話し方、包んでくれる様な奥様の言葉の一つ一つも含めてここまでやってきた苦労、培ってきたこと様々な事がこちらまで伝わってくる様な不思議な時間であった。
エレベーターが閉じるまでこちらに手を振る店主と奥様が今も忘れられない。
ベトナムへの気持ちが高まりつつ、上野駅周辺で博物館にコーヒーを飲みながら皆で公園でだべりながら予約していた中華料理屋の時間を待つ。
本格的な“中華料理のしゃぶしゃぶ”名前はわからなかったが日本の“しゃぶしゃぶ”に似た中華料理である。
外国人の人混みを抜け大きな表通りへ出ると
大きなビルにその店がありその店内へ入る前からいかにも中国!と言わんばかりの真っ赤な壁にギラギラした金色の中国語があしらわれた大きな看板が少し怖く感じるほどの迫力だ。
店内に入ると赤を基調とした様々な模様あしらわれたザ 中国!な内装に心が一気に踊る!
四つに仕切られた鍋の上には中国語で書かれた札が付いていていた。
説明によればどうやらタレを自分の好みで作りしゃぶしゃぶしながら食べるらしい。
店員の男性
「中国ノ料理カライヨー!大丈ブ?」
友人
「ハイ!大丈夫!僕たちベトナム人デス!」
店員の男性
「あー!ソッカ!なら辛いの大丈夫ダネ〜!」
その友人がこのセリフを言う時に僕が日本人と言うか言わないか?迷った風にお見受けしたが…
多分、彼の気遣いなのだろうか?
はたまためんどくさいから?なのかは本人のみが知る。
そんな訳でいざ実食!と思いきや
店員の男性ともう1人の店員が鍋の蓋を開けると同時に…
店員の2人(手を叩きながら)
「〜⭐︎\&?##_"!!_φ(・_il〜‼︎」「〜…」
「〜ンン〜っダァイっ!!!」
パンっ!(手を叩く音)
僕と4人
「…」
店員の男性
「あぃ〜っ!幸せになれマスぅ〜!」
パチっパチっパチっ!(手を叩く音)
そして、熱々になったその鍋の蓋を開けてくれ
すぐさま厨房へ行ってしまった。
ここの店の決まりなのか、中国の風習なのか?
はたまた一月の中頃の二月の旧正月に向けたもの何かなのかは全く不明だったが、とにかく僕たちは幸せになるのだという。
ニコニコお互いを見ながらニヤける4人。
気になる事はたくさんあるが、そのしゃぶしゃぶお肉もさることながら、タレなど一つ一つが本当に絶品で目が覚める様であった。
安いしゃぶしゃぶしか食べた事のない僕にとって衝撃であり唐辛子の辛さが異次元に美味しく感じられた。
これだけが中国料理ではないと思うが中国人が作る本場の様な料理を食べた様な気がして
ここでもまた日本にいながら“異国”を感じる事ができた。
食事の後、友人とお別れここから、秋葉原、新大久保、新宿と弾丸で三人散策してその日を終えた。
中野の路地も素敵であったが個人的に海外へ行きたい欲を埋めてくれた“上野駅周辺”はまた訪れたい場所であり、外国人が日本人を案内してくれる(しかも、異国経由)中々経験できない素敵な時間を過ごせたことに本当に感謝である。みんなありがとう!
もっと見たかった新大久保
もっと居たかった
新宿ゴールデン街
反省…もっと見たかった新大久保1日目と2日目
多国籍化している今の新大久保が見たかった。
以前に記事にした『飲めない人の為のスナック街 繁華街の歩き方』でも偉そうに書いたが
下調べが大事!と言いつつ今回は失敗してしてしまった。ここで反省文を書くのも“思い出紀行”の醍醐味?である。
上野駅で妻の友人と別れ秋葉原を軽く散策、その後から新大久保へと向かった。
お目当ての“新大久保が多国籍化”している状況をこの目で焼き付けたかったのだが
下調べ不足で土地勘がなく1日目は狭い路地コリアンタウンを抜けるだけになってしまった。
2日目にまた新宿へ行き今度は1人で散策することにしたのだが早い時間に散策する事はできたものの多国籍感がないコリアンタウン側の方に来てしまった為、ある程度の雰囲気を楽しめたもののこのでも少し不発に終わってしまった。
後から知った事だがコリアンタウンの反対側が多国籍化している様でマップで見ていたものの下調べ不足が足を引っ張った様だ。(涙)
それでも多国籍化の一端中の一端ではあるが
渋谷にあった90年代後半から開業してるらしい名前のわからない韓国料理屋は
接客は韓国人だったものの何故か厨房は中央アジア系らしき方々がせっせと韓国料理を作っていた。
後、コリアンタウンの通りにあった個人経営と思われる韓国料理屋を覗いたら、ここにも中央アジア系であろう従業員件料理人の1人が
「イッラッシャイマッセー‼︎」と元気に声を張り上げでいた。
そこに韓国料理を食べながら群がる日本人。
この風景だけでも僕は何故だか嬉しくなってしまった。理由は自分でも不明である。
やっぱり多国籍化した側の新大久保をもっと味わいたかったと本当に悔やまれる。
話によるとそこにはベトナム食材店やハラルショップなど東南アジア、中央アジアが集まっているという。(あ〜雰囲気を味わいたかった…。)
“外国人に日本が侵略される”等々色々な意見や治安問題など様々ある思うが僕はそんな良くも悪くも混沌としていく“時代の流れ”歴史の1ページとしてもっと味わってみたいと思っている。
そんな気持ちにさせてくれた新大久保もまた
早く訪れたい素敵な場所であった。
【ここでちょっと】2日目に食べた韓国メシ
もっと居たかった新宿ゴールデン街
本当のお目当てはやっぱりここ「新宿ゴールデン街」である。
できれば“思い出横丁”にも訪れたかったが
時間の関係上で行けなかった。
残念ではあったが、何よりも新宿ゴールデン街のあの雰囲気を思う存分(足りないけど)美しい海を泳ぐが如く味わうことで僕の心は満たされた。
新大久保にも2回行ったが、近くにある新宿にも2日連続で来れるチャンスがあった為、もう2度と離さないつもりでスマホのシャッターを切った。
ちょっと臭かった歌舞伎町の雰囲気を楽しみつつ、2日目に1人で散策できたのが幸運!
そこには輝かしく煤けたアーチ状の看板に『新宿ゴールデン街』という文字が現れた。
手を広げて待っていてくれた様な感じがした。
(自分でも病気だと思う。笑)
ただでさえインバウンドで海外旅行者がごった返す東京新宿。
ゴールデン街に入った途端9割くらい海外旅行者、1割が日本人の割合だろうか?
僕と文句を垂れながら半分酔っ払ってるおっさんと警察から職務質問していた何故か半笑いのおっさん以外ほぼ日本人はいない様子(その時は)
僕の求めていたスナック街はここにあった。
言葉にするれば美しさは半減すると思う、、
ここではまた少し写真を載せつつ、残りの写真は別の記事で!
最後に…(反省会)
前回の『東京山梨県思い出紀行』も今回もそうだ。
自分で読み直してみてよくこんな事をここまで書いたなと良くも悪くも自分で呆れている。
そして、何かの間違いでこの記事を読んだあなた。一体何を読まされているのだろう?と思うはずである。海外ものならまだしも国内のただの思い出である。
例えこの記事が有料級の情報を載せたり、歴史的な知識が書かれていたとしても〜
だけど僕はそんな当たり障りのない記事は書きたくないと思っている。
かと言って情報だけ説明されてもきっと僕がこの旅で感じた事は語りきれないし共有したいことは
“ここで何を感じ”“どうしたかった”という事だけ。
多分きっとこんな記事は読まれないのは分かっていて書いている。
だけどこの記事や書籍を通して僕は
自分の感じたことを丁寧に伝えてみたいと思っているし、カッコつけないで、間違ったとしても躊躇わず表現する事を続けていきたいと思っている。
将来、そんなイタイ親父になるのも悪くない。
もっと面白い大人になるため、夢を持ち続けるため、常に心をまっさらにして、良いも悪いも丁寧に感じていたいとこの旅と記事を書きながら思っている。
ちなみに今は、仕事時間中にこの記事を書いている事は仕事場の人たちには内緒である…。笑
2024/3/12 ローファイイエローファンク
【宣伝】
ベトナム南部思い出紀行
初のMVに挑戦『ベッドルーム⭐︎ミュージック』
その他活動はこちらから…
【オーディオストック】
動画、SNSのBGMで使用できます!
『Selfish Boy』(僕のインスト活動名)
その他素晴らしい音楽が使用できます!
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