ベトナム旅行記制作中…⑥
これはベトナム旅行では行けない所もにも赴き〈自分が現地で感じたことを記録するだけの〉書籍である!
日本は「おもてなしの」国?
いや、違う!それはベトナムだ!
この書籍で1番言いたい事、個人的に感じた事を書こうと思う。
いつだったか、日本で何十年ぶりにオリンピックが開催されるとの事で日本中が大盛り上がりしまくった、そんな時期が昔あった。
そこで流行語になったのは「おもてなし」という言葉。
この時使われた「おもてなし」は“何をもって”おもてなしと判断するかは僕はわからないが、僕が思うに“心のこもった”というのは間違いと思っている。
文字にすると《心を込めて接する。心遣い。》とでも言うのだろうか。
そして、何が言いたいかと言うと残念ながら“本当の意味で日本は「おもてなし」の国”というのは、何かが足りないとベトナムの人々と交流を交わす中で感じたことだったし、僕自身痛感した。
別に日本の方々のおもてなしが心が必ずしも、その心がこもっていない訳ではないのはもちろんだ。
では、“その足りないもの”とは何なのか?
ここからは個人的に感じたことを率直に話し、変な表現になるのは申し訳ないのだが、ここで語らせてほしい。
やっぱり現地のベトナムの人々との交流で感じる
【感情の全て(良いも悪いも)】、それを【伝えるまっすぐな素直さ】、何より【相手を気を使わせないとする心遣い】は日本で34年間暮らしてきた僕にとって、(2023年制作時)そういった僕の感じる本当の意味でのおもてなしは現在の日本では中々出会うことは少ないと感じたのは偶然ではないと思う理由は少なからずある。
今回のベトナムで確信したのはもちろん、その前に日本で妻の友人とあったり、技能実習生仲間の方々と食事などでの交流でも強烈に痛感したからだ。
僕は名も知らない言葉も通じないにも関わらず、感情が良くも悪くも真っ直ぐに伝わっていく感じ、心を広げ“生のまま魂に伝わる”あの感覚は本当に独特なものであった。
これは僕の主観なので聞き流して欲しいのだが
日本の方と話す時はどこか、捻じ曲がったといったら語弊があるが、相手からきたその感情が“何かに”絡まりながら伝わってくる感じは、正直ストレスになってしまう事がある。
もちろん、伝える側の自分も然りである。
人間には目に見えない居場所というものが必要であると僕は思っている。
仕事場での居場所、学校での居場所、家庭の居場所…様々あるが、居場所と言っても人の中にである。
その人=居場所は気遣い、思い遣りの心の中である。これは綺麗事を言ったのではない。恥ずかしいがかなり本気!
考えてみても、職場で周りの人から相手にもされず、“居場所がない”と感じるだろう。
その中で自分に優しく接してくれる人が1人でも居てくれるだけで、逃げ出したくなるような職場で、心の拠り所、居場所ができると思う。
思い遣り=思いを遣る、その人たちの心の器の広さをベトナムの方々と接せる中で今回、感じたことそれ自体が『ギフト』であり、今回お伝えしたいそれが、僕の思う“おもてなし”なのである。
どれほど物をあげたか、これをやればこうなるなどの方法論でも、戦略でもない。
そんな誠実なおもてなしが出来る、粋な人間になりたいと心から思う。
上手く説明できていないかもしれない。
出会う人全てが“おもてなしのできる人ではない”のはもちろんなのだが。
僕にとって第二の故郷はベトナムになった理由もそこにあり、それは妻の生まれ育った故郷という理由だけではない。
名も知らない、ベトナム語もろくに話せないこんな僕を優しく受け入れて、気遣い、僕の悪いところ全て受け入れて伝えてくれるそんな方々が
遠く離れたベトナムという国にいる。
大袈裟に聞こえるかもしれないが、そういった気持ちが世界平和への第一歩であると僕は思う。
返しきれない宝物をたくさん頂きました。
ん…なんか終わりっぽい感じで締めてますが、またまだしょうもない僕の旅行記は続きます!笑
ベトナム旅行記(仮)制作中…つづく
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