「ママってなんでそんなにやさしいの?」と言われて、泣いてしまった日
「ママってなんでそんなにやさしいの?」
晩ごはんの支度をはじめようとしていたわたしに、突然娘がたずねました。
娘の口から出てくる言葉たちを聞いて、わたしはなんだかたまらなくなって、ひとりでこっそりと泣きました。
ホッとして。安心して。
わたしはずっと、子育てというものに苦手意識がありました。
もともと子ども好きというわけでもなければ、子どもが欲しいと思ったこともないタイプ。
自分に子どもができてからは「ちゃんと育てられるのかな?」という不安がいつもわたしの隣を伴走していました。
「ちゃんと育てる」という言葉の中には、「娘のこころを傷つけることなく」とか、「娘の精神発達をさまたげることなく」という意味がかなりの割合で含まれていて。
それは裏を返せば、「わたしはこの子を傷つけてしまうんじゃないだろうか」という恐れがとても強かったということなのかもしれません。
わたし自身、親との関係は幼かった頃からあまりうまくいってはおらず、そのときの親との関わりが、多かれ少なかれ大人になってからの自分の生きづらさや苦しさに影響を与えているということを自覚していました。
今でも、わたしは「自分を癒す」ということに、向き合い続けています。それは、苦しいことやつらいこともある、大変な道のりです。
「すべてを癒せるときなんてくるのかな?」
「過去の呪縛から放たれて、本当の意味で自分らしく、自由に生きられるようになる日はくるのかな?」
そんな風に弱気になってしまうこともあります。
幼少期のこころの傷を、自力で癒していく。その大変さを知っているからこそ。
親が子どものこころや自律神経系・愛着のパターン、自己肯定感や自尊感情などに与える影響を知っているからこそ。
わたしは、自分の娘と一対一で対峙することが怖かったのです。
この子のことを傷つけてしまったら、どうしようって。
わたしのように、この子も傷だらけの人生を歩んでしまったら、どうしようって。
大袈裟に聞こえるかもしれないけれど。
娘からの「ママは優しい」という言葉は、「ちゃんと子育てできているよ。大丈夫、あなたはこの子のことを傷つけていないよ」という、神様からのメッセージのように感じました。
「よかった、わたしはこの子を傷つけてはいない。ちゃんと、この子は大丈夫だ」って。
わたしが、ママになって5年間、意識していることです。
間違えてしまうこともある。
怒ってしまうこともある。
反省したり、謝ったり。
完璧なんて、無理だから。
それでも、自分にできる精一杯の誠実さで、娘と向き合う努力をしてきました。それは、これからも変わらないこと。
「ママになんてなりたくなかった」と涙を流した日もありました。
「わたしはママになんて、向いてない」「わたしのところに生まれたこの子がかわいそう」と自分を責め続けた年月もありました。
それでも。
「ママになってよかった」と、今こころから笑えるようになったから。
このあたたかさを、やわらかさを、今日も大切に胸に抱いて。
限りある時間の、その一日いちにちを、大切に過ごしていきたいと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました❀̥
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