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ワイルドサイドを行け #3

 さて、これまで述べましたとおり、ロックは中身のないただのかっこつけです。

 しかしながら、かっこつけはとても大切です。

 なぜなら、他者の視線を自己に内在化する最も初めの段階が、かっこつけだからです。多くの人が自我に目覚め始める思春期にかっこつけし始めるのもうなずけます。
 自我に目覚める、というのは、他者を意識することに外なりません。言い換えるならば、自己を俯瞰する試みであり、その初めの一歩が思春期に始まるお洒落やかっこつけです。

 ほら、実際思春期にさしかかるとやたらと鏡に映る自分を見ようとするでしょう? 自分が他人からどう映っているか、どう思われているか、気になり始めるでしょう? 気にならない人は発達心理学的には病気です。精神的に成長しない人です。自己を俯瞰し客観視することは、他者と共に生きざるを得ない私たちにとってなくてはならないものです。

 かっこつけするためには、他人の目に自分がどう映るだろうかと想像しなければなりません。そのとき私たちは自己の中に、自己を冷静に見下ろすもう一人の自己を構築します。
フロイトが言うところの「超自我」です。

 一方で、かっこつけは自己顕示欲を肥大化させます。自己を俯瞰することの対極にあるナルシシズムをアプリオリ先天的に孕みます。言ってみればこれがフロイトの言うところの「エス(イド)」に当たるかと思います。

 この、自己俯瞰と自己顕示欲のせめぎあい、矛盾が、かっこつけです。

 せめぎあいのなかで「自我」が形成されていきます。この矛盾を、自我によってバランスよく保たせた人は「お洒落」な人へと変貌します。モテモテですね。いいな。
 一方、バランスを失った人は全く存在感のない人か、これとは対極のナルシストになります。イタいですね。残念。

 毎日のように、インスタ廃人と化した方々が、ホームセンターでわざわざ買ったブルーシートを敷いてその上にアクアリウム用の珊瑚砂を撒いて、九十九里浜で拾ってきた貝殻と雑貨屋で買った貝殻をセットして、肌荒れしたひざから下を写真で撮って、

 ビーチでひとやすみ❤ そんな南の島の
 ちょっぴりぜいたくまったりな午後です♪

などと、寒風吹きすさぶ公団住宅内の公園から「世界に向けて発信」していますね。
 これに5000ぐらいの「イイネ」がつくのも承認ごっこという観点から大変興味深いテーマですが、それはさておき、このように笑い物になるのを恐れて、本当にかっこつけをしないでいるとダサダサの道を突き進むことになっていきます。それは「公園ビーチ」のインスタ廃人になるよりもよくないことです。

 次回が最終回です。


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