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千利休の茶道具「花入」がなぜ新価値創造につながるのか?

茶の湯では床の間に花を飾りますが花を入れる器を「花入(はないれ)」と言います。この「花入」にも千利休のアイディアが満載で、アイディア創出に悩むビジネスマンへのヒントがあるかもしれません。

今回は『千利休の茶道具「花入」がなぜ新価値創造につながるのか?』を解説します。

はじめに。利休より前の花入

茶の湯は中国(当時の唐)から伝わってきました。花を入れる道具も大陸からわたってきた銅製の花瓶や青磁などの磁器の花瓶などが用いられていました。多くは左右対称の形をしています。

『千利休の茶道具「茶碗」がなぜ新価値創造につながるのか?』にも記しましたが、舶来ものの洗練されたものが当時は多く茶道具として使われていました。

https://note.com/soukyo/n/n092178adbbc2

竹花入の誕生秘話

1590年、豊臣秀吉が天下を取った小田原征伐の時です。
千利休も戦に帯同しており、そこで滞在中に竹を切って花入を作ったと言われています。身近な容器であった竹筒を応用したのです。

ここで3種形の竹花入を作りました。ただ切っただけのような寸胴切、竹筒に窓を一つ付けたような一重切、二つ窓があるような二重切。この3種が今でも竹花入もスタンダードの形になっています。(写真は一重切)

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竹花入のブランディング戦略

この3種の竹花入には、銘(名前)がついています。

寸胴切の銘は「尺八」でその理由は一休和尚の故事に由来するそうです。
竹一重切花入の銘は「園城寺」です。これは、竹の正面に雪割れ(縦に裂けたような割れ目)があり、滋賀県にある三井寺(園城寺)の鐘の割れに似ているからネーミングしたそうです。

竹二重切花入の銘は「よなか」です。銘の由来は竹の節間が長いためとも、小田原陣中の夜営に兵が竹を枕にした様子に因るとも伝えられています。

銘をつけることで、存在感を確かなものにしています。このようは竹花入のブランディング戦略によって今の時代にも受け継がれる花入が生まれています。

千利休の応用力〜ヒントは身近にある!〜

千利休のアイディアから生まれた花入に、籠花入(かごはないれ)があります。他の目的で使われているものを代用して用いたものを紹介します。

利休は漁師から魚籠(びく)を譲り受けて花入にしました。京都の桂川の漁師からの籠が由来なので、桂籠と呼ばれています。この、ざんぐり編まれたデザインから日本製の籠花入が始まったそうです。

鉈(なた)を入れる籠を応用して、鉈鞘籠花入、というのもあります。

千利休のずば抜けた美意識とアイディアによって、日常の生活用品から持ち込まれた茶道具は、新鮮で趣のあるものとして茶道具として定着しました。

さいごに

今回は、アイディア創出に着目して価値創造を考えましたところ「花入」にたどり着き、解説しましたが、いかがでしたでしょうか。

花入は、竹筒という真似できる道具を応用したり、日用品から代用したりとアイディアを広げ、さらには、ブランディングも進められていました。

『千利休の茶道具「花入」が、なぜ新価値創造につながるのか?』が悩めるビジネスマンの何かのヒントになれば幸いです。

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