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千利休の茶道具「茶碗」がなぜ新価値創造につながるのか?

今の時代、イノベーションや新事業開発を求められ、悩まされるビジネスマンも多いかと思います。

450年ほど前の千利休がどうやって新しい価値を生み出したのかを知ることで参考になることもあると思います。「そもそも戦国時代の茶人の千利休が何をしたの?」と思われるかもしれませんが、実はいろいろなお茶にまつわるプロデュースをして茶道を作り上げています。

今回は、『千利休の茶道具「茶碗」がなぜ新価値創造につながるのか?』を3つの視点から説明します。

はじめに。利休より前の茶碗

簡潔に表現すると、舶来もので洗練された茶碗です。

茶の湯は中国(当時の唐)から伝わってきました。1191年、鎌倉時代の僧侶の栄西が茶(喫茶の方法)をもってきました。室町時代になると喫茶のための茶道具が中国から美術工芸品などとともに日本にやってきました。

当時舶来ものとしてもてはやされた茶碗には、中国から渡ってきた「唐物」や朝鮮半島から渡ってきた「高麗茶碗」などがあります。書院の間に飾ったり茶碗として使用したりしていました。

自己肯定感~利休の美意識~

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利休は大陸からの輸入ものではない、オリジナルの茶碗を作り上げました。

轆轤(ろくろ)を一切使わずに土を手で締めながらたちあげ、理想とする形にへらを用いて削り上げていく技法で千利休は「楽茶碗」を生み出しました。
利休の美意識から「楽茶碗」が生まれたと一般的に言われていますが、このオリジナリティについて、もっと深い解説をしたいと思っていたところ、ある記事をみつけたので引用します。

デザイナー原研哉は、次のように語っています。

利休とは、ものの見方や捉え方を非常に精密に考えた人なのだと知りました。どういう着眼点から構想し、いかなるプロセスを経れば新たな価値を具現化できるのかということを実践したのが利休で、彼は「ここに価値がうまれる」という確信を持って、微塵の迷いもなく仕事をしていると感じました。

利休が自分の美意識を確信したからこそ、つまり自己肯定感から「楽茶碗」は生まれたと考えられます。

協力者~陶工の長次郎~

ではその「楽茶碗」を誰がつくったのかと言いますと、陶工の長次郎に利休が指導して作らせました。

長次郎は、唐三彩(中国の焼き物の技法)の陶工で現存している最古の作品は獅子の焼き物があります。(屋根にでも乗せたものか定かではありませんが美術館で見たことがあります。)長次郎も試行錯誤を重ねて「楽茶碗」の作陶技法をつくったと思われます。

利休のアイディアを長次郎が作ったことになります。
自分のアイディアを具現化する時に、人に託すことができますか?

誰を協力者にすれば、より良いものを創造できるのかを考える、利休の鑑識眼と度量の大きさにも驚かされ、改めて敬意を表したいです。

共感者~わび茶の大成~

「楽茶碗」は、わび茶のスタンダートとして定着されました。

わび茶は、中国からの豪華な道具でふるまう茶の湯ではなく、Simple is best. の考えで安土桃山時代の茶人から始まりました。美意識と、もてなしの心から千利休がわび茶を大成させたと言われています。

わび茶というジャンルができ上がった理由の一つに、利休の感性は、風情があると同時に、見る人のイメージを想起させて和ませる、ということがあるようです。利休のわび茶は多くの共感者によって評価されました。

利休の自己肯定感から生まれた「楽茶碗」が多くの人に共感され、スタンダードになり新たな価値を持つことになりました。

さいごに

いかがでしたでしょうか?
千利休の茶道具「茶碗」が、新価値創造につながる理由がお分かりいただけましたでしょうか?
自己肯定感から、新たな価値を生み出した千利休のプロデュースからは、まだまだ学ぶことが沢山ありますが、今回は「茶碗」編をお伝えしました。

イノベーションに悩んだ時に、抹茶をいただくと何かひらめくかもしれませんね。

(引用:淡交 臨時増刊 All about Rikyu 今、日本人が学ぶべき人 淡交社(平成25年))

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