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2020/7/19「分かりやすいホラーと分かりにくいホラー」

・カラスヤサトシさんの「いんへるの」の存在を思い出したので数か月ぶりに読んでみた。1話1話が独立しているタイプの作品なので更新日を待ち遠しむのでは無くて存在をふと思い出した時にまとめて読んでいる。


相変わらずホラーと呼んでいいのかどうか分からないジャンルの漫画。作品の紹介で短編ホラーと呼ばれてはいるんだけど、ホラーで括ってしまうのは何か違うような気がする。終始「気味が悪い」を抜け出さない丁度のいい塩梅で恐怖心をくすぐられるものの、作中に象徴的な恐怖を与えてくれる何かが登場するわけではないため何時までも恐怖心にむず痒さを感じ続けるのだけど、その感じが案外心地よくなってくるので自分でも不思議でならない。

大抵のホラー作品は恐怖の象徴として分かりやすい対象が存在していて、作中に感じる気味の悪さや不穏な空気感みたなものはそれらが登場するまでの繋ぎというかあくまでも雰囲気作りの一環でしか無いことが多いのだけど、「いんへるの」では何だかよく分からない気味の悪さを感じながら話が始まり、そのまま気味の悪さに対して何も解決することなく話が終わる事が多い。


・分かりやすい象徴が存在しないので読み終わった後も抱いた感情が解放されること無く、感じた気味の悪さがどこへ行くこともなくいつまでも私の背中にまとわりついて離れようとしてくれない。そんな不思議で面白い漫画。

後味が悪いわけでもなく良いわけでもない、怖いは怖いけど怖さの質が異質と言ってもいいかもしれない。とにかくどう説明すればいいのか難しいから取り敢えず一回読んで欲しい。私が言いたいことが分かるんじゃないかと思います。


・「いんへるの」同じような気味の悪さを「不安の種」というホラー漫画でも感じたことがあった。「不安の種」は日常に存在する怪異のような何かについて描かれている漫画で、1つ1つの怪異について詳細は説明されずにただ日常にそれがいることだけが分かる。っていう漫画。作品自体は知らなくてもおチョナンさんは知っているって人も多いかも。

表紙のこれがおチョナンさん。みんなの家にもいるかもね。

空気感は似ているのものの「不安の種」の方が分かりやすい恐怖の象徴が存在してくれているので、気味の悪さが恐怖に昇華されて消化されるので自分の中で恐怖が分かりやすく形作られていくので分かりやすく怖い。


・分かりやすいホラーと分かりにくいホラー。形容しやすい恐怖としがたい恐怖。形がある方が恐怖の解像度が高くなるが、形が無いよ恐怖の密度が高くなるような気がする。



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