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賢い子どもが欲しい、それも本音

初めまして、不登校のママのコミュニティ
sotto and playfulnessを運営しているKeicoです。

ずっと、子育てに必死でした。
子どもの成績やいく学校、習い事
全てがまるで自分の成績のように感じたいた
そんなふうに今振り返って思う

ある時から、親子関係、正直最悪でした。
世代じゃないけど、“積み木くずし”やん、って思ってました。

毎日泣いて、泣いて、泣いて、
なぜ?
わたしが悪いの?
わたしの教育が?
ママとして失格??

子どもの思いを考えてあげられなかった
あの時。


みなさんに、私のように遠回りして欲しくない、できれば、反面教師として色々学んでほしいと思い、
だから、いろんな思いをこれから綴っていきます。

幸せな未来へのヒントになれば
そして、私自身がその未来へと一緒に歩んでいくために


早期教育をしてない私がなぜ、早期教育をしたか


4歳から計算をさせては
なぜできないの!と怒鳴る
周りで見てて痛い親でした

できるまで、テレビは見せない
ご飯もあと回し
終わったらもう寝る時間・・・

そんなルーティンで
子どもには牢獄のような生活だったと思います

周りがそうだったからと言い訳なのですが
出来る子たちがいるから
だから、なぜ出来ないの?なんて
自分のことを棚に上げて言っていた私

自分が大人になって
もっと脳がスポンジ状態の時から
色々学んでおきたかったという理由で
子どもにはピグマリオン(早期教育)をさせていました

努力と分からないうちに受験させて
あとは、そのレールを進んでいけば
間違いないと思っていた
かなりイタイ親でした

そして我が子はまあまあ頑張って
応えてくれてたから
長引いたのかも(勝手ですね💦)

幼少期の「子どもの時間」を大切にしてなかった


比較的、出来る子だったので
すぐに私の期待値をクリアしてきました
そして、
私の子なのに、すごいわ
この子は、偉くなる
勉強が好きなんだと

勝手に勘違いして、いろんなことに
挑戦させていました

友達と公園でまだ遊びたいというのに
塾の時間よ
ピアノの時間よ
と習い事を優先していました

もちろん、遊びにも連れていきました
それは私の都合で決めて

「明日は遊園地行くから、それまでに
○○を終わらせようね」

なんて、全てコントールしていました

それが出来るのは、小学校低学年まで
うちの子どもは無理して高学年まで付き合ってくれましたが
かなり疲弊していたように思います

小学校低学年は低学年の、高学年は高学年の
子どもなりの付き合いがあったはずなのに
それを全て奪ってしまった
謝ってももう取り返せない

今になって
そのことを子どもに謝ると
「自分がしたかったからしてたんだよ」
なんて、優しい言葉を返してはくれますが
親としての後悔はずっと続きます

「賢い子どもが欲しい」 それも本音


親だから、子どもに自分を超えて欲しい
そう思うのは当たり前だと思っていた
今も正直そう思っている

子どもとの関係が最悪の時
こう聞かれたんです

「ママは賢い子が欲しかったの?」

母親なら、そんなことないよと言うべきですが
私は、

そうよ、自分の子が褒めてもらえたら嬉しいし
すごいねって言われたいよ

なんて、言ってしまうダメダメな母____
でも、正直なところでした

ただ、今はこう言えるようになりました

賢く、そして、出来るだけ色んな選択ができるように
なってほしい

でも、そうでなくても、私はあなたが好きだよ

やっと言えるようになりました

情けないけど、ずっと

賢くないと愛されない

そう、思い込ませていたのです
そう、言っていたのです
そう、態度をとっていたのです

今、全部が壊れて、学校に行けなくなって
周りから遅れをとって
泣いて、悲しくて、でも

生きててくれる
笑顔で話してくれる
美味しいねって言い合える

その幸せを感じれることが幸せなんですよね

子どもはそれを教えるために
不登校になったのかもしれない
そう思えるくらいです

どんなあなたでも、大好き

そして、もう一つ気付いたのは
こんな母でも子どもは
ずっと、大好きでいてくれた
これってすごいこと

無性の愛って
親が子どもに与えるのではなく
子どもが親に与えるもの

なんですって。子供から教わりました

まだ、有難いことにもう少し子育ては続くので
この教訓を胸に刻もうと思います

私の経験が誰かの役に立てば嬉しいです



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