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企業に苦しむ個人活動家(茶の湯)の願い

 私は無名の茶の湯者(社会的には茶人と書かれることが多い)でありますが、これまで6年間活動してきて、世間一般で知られる企業や出版社から仕事の依頼を受けてきました。
 しかし、私の性格ゆえなのか、ほとんどがうまくいった試しがありません(個人同士であればうまくいくことがほとんどです)。特に大企業であるほど、その担当者との齟齬に苦しみ、悩みました。どうしてうまく噛み合わないのか、毎回自問自答して煩悶しますが、未だ解決策は見えません。
 今回とあることがきっかけで、今後はもう企業からの依頼は受けない方向で行く予定なので、ある意味タブーであるこの問題についてまとめてみたいと思います。

ケース①大企業ゆえの全能感

 「大企業ゆえの全能感」は非常に問題のあるところです。おそらく、大企業と付き合いのある個人事業主なら必ずこの問題にぶち当たっていると思います。
 「大企業ゆえの全能感」とは、大企業にいて、たくさん有名な人と有名な仕事をしてきたから、今回もその通りにすれば良いのだ、という謎の思い込みで、格下と思っている個人に仕事を依頼してくる担当者の感覚のことです。
 なぜか、他の仕事と同じ方法で、今回の仕事が成功すると思っているのです。毎回条件はすべて違うのだから、ひとつひとつを丁寧に見なければ決してうまくいくはずありません。しかし、かなり一方的にそれは行われます。依頼される側は見抜いています。

 特に茶の世界は他の文化と比べてオープンでないですし、経験しないとわからないことがたくさんあるにも関わらず、

「私、お茶のこと知らないけどわかってます、こんな感じでしょう?」

といった感じで話をしてくる人が多い。
 何も知らないなら、知らない観点でコンテンツを作り上げれば良いものができるのに、無駄なプライドと思い込みでそれを隠して行おうとするのです(編集者に多い)。だからこちらも、「ああ、大企業の優秀な人ならわかるんだね」という感じで進めていくと、大体問題が発生します。しかし、最終的には、大企業パワープレイにおさまるので、個人パワーでは到底太刀打ちできず、何か不備が起きた時は、こちら側の責任にされ吹き飛ばされます。

 つまりはひとりひとりを見ていなことが多いんです。担当者にとっては数ある仕事のうちのひとつかもしれませんが、こちらはそのたった一つに毎回全力を掛けているのです・個人では特に蔑ろにされます。

 雑誌の場合で多いのが、既に記事内容と方向性は決まっていて、そこに当てはまる役者を探しているというパターン。なので、そもそもその人個人がどのような活動しているかなんて関係ないのです。着物着て茶を点てて、「一服の茶が人生を豊かにします」的なコメントがもらえれば良いのです。
 当てはまらない発言をするとカットされるし、意見を言うと戦争となります。若いとなおさらそのように扱われるので、これから世に出る若人は注意が必要です。

「一、ひとりの人間を見ない齟齬」

ケース②経済的価値のマウント

 茶のことを知らないから、経費を出すとびっくりされるのですが、我々はそれ以上の費用対効果を持っているのだからサービスしろ、と言ってくるパターンです。「費用対効果」ってなんでしょう。実証してから言ってますか。

 お茶の人の経費を簡単に書くと、

交通費(道具を運ぶ場合は運搬費)
衣服代(着物クリーニング)
消耗品代(茶筅、柄杓、懐紙、菓子、抹茶)
人件費(手伝いの人)
場所代(茶室、水屋)
教授料(ギャランティ)
など、

 と言った感じです。茶道はほぼすべて「消耗品」で成り立っています。施設も道具も使えば消耗していきます。また、1人に点てるのも、100人に点てるのも、用意するものはほとんど一緒です。そのため一回きりだったとしても、茶を点てるだけで経費はこんなにかかるんです。ここに、道具代の減価償却などを入れたら、もっと増えるでしょう。

 これを講師がひとりですべて準備し、経費を菓子代と抹茶代だけで納めていたら、実際は依頼された講師が他の部分はサービスしているということです。なぜそうするのか。費用対効果がそこで発生すると思わされているからです。
 大企業と組んだり、雑誌に載ったりすると、費用対効果があるように思わされ、上記の経費のほとんどを免除して、かなり協力的にコンテンツを作るわけです。それは悪しき習慣と言えます。

 私は、「費用対効果」というものを最初から信じていません。にも関わらず、有名な場所や雑誌の誌面に載るとき、その点を担当者はいやに押してきます。
 実際に利益になることなどほぼありません。お茶の場合、人と人とのつながりで講座や茶会に参加して頂くので、有名になる「得」はよほどの人でなければないでしょう。
 よく考えてみてください。本屋にもほとんどお茶や茶道の本はないでしょう。裏千家のシリーズの教本と、数冊置いてあるくらい。一般的に見たら、茶道なんて大したことないんです。お茶をしている人が、お茶の世界で、お茶がすごいと言い合っている。一般の人はだれも言わない。ということは、個人的趣味の範疇を超えることはないと言えます。そんなことが数百年続いています。これは、茶道の世界にも問題があるでしょう。内輪ネタはもう、いいでしょ。

 つまり、そんなコンテンツがいくら有名なところに出たって、実際に利益が発生するまでは長い年月がかかります。そのため、入口と出口が揃っていないのに、恩着せがましくいうのをそろそろやめて頂きたい。また、そんな言い方されたら、それを見る人々に非常に申し訳なくなります。私は費用対効果で茶を語っているわけではない。

 私は以前、ひとつの道具を作って雑誌に載ったのですが、その時の担当者が「うちの雑誌は広告出すと1ページ200万かかるんだよ」としきりに言ってきたのを覚えています。
 また、「先輩が○○パーセントだと帳尻が合うと言っていたから、この商品のうちの取り分は○○パーセントね」とも。何も計算もせず、受け売りだけで取り分を決定しようとしていました。理解ができませんが、意外と感覚的に仕事を勧める人が多いです。

 個人でやっているからには、生活のリスクの手綱は自分で握っています。しかも、茶道は利益を発生させづらい文化No. 1です。書や花などは、それだけで食べている先生たくさんいますが、お茶はお茶だけでは生きていけないことがほとんどです(その理由は茶会と稽古システムにあるが、また別の話)。そのため、赤字で運営している方も多い。飲食店の経営と似ているかもしれません。
 少なくとも私は、経済的価値は二の次です。第一は、それに触れる人(客人、参加者、お手伝いの人)が最も満足して頂くことを願って活動しています。
 すべてを自身の指標で、かつ経済的価値に変換するのはやめて頂きたい。最も残念な人間性であると思います。

「一、価値の齟齬」


ケース③生みの苦しみを知らない

 あなたの仕事はどのように生まれているのですか、と問いたい担当者が時折います。企業名、資本、場所、様々な条件によらずに、自ら新たなコンテンツを生み出したことはありますか。
 たったひとりで、全体に目を配らせ、採算をきちんと取り、貨幣以上の価値を与えるコンテンツ。それを作ることがどれだけ難しいかを知らない方たち。

 「恐縮ですが、本日中に講座の題名、内容をまとめて送ってください」などといった企業からのメールをときどき、本当に受けます。すぐにできるのがプロなのでしょうけれど、「いつ」「どこで」「誰と」「どんなテーマで」「どんな条件で」など「茶道、茶の湯」を構成する要素があまりに不足していることが多いのです。もしかしたら、お湯さえあれば、どこでもなんでもできると思われているかもしれません。それは違います。

 
「茶道、茶の湯」は非常に範囲が広いのです。抹茶だけでも話尽くせないほど膨大なコンテンツがあります。その他、道具、建築、花、香、料理、季節、など。
 また、構成する要素が揃わないまま、突貫で行った場合、それは「茶が出てくるただの寄合」となり、「茶道、茶の湯」に至らないのです。
 声を大にして言いたいが、和菓子と抹茶が出てくればなんでも茶道になると思ったら大間違いです。しかし、こちらが条件を示すと、ほとんどの担当者が面倒そうな顔をしたり、メールが返ってこなくなることが多いです。茶道は面倒くさいものです。条件が揃わなければ、的を射ることができません。

 個人の活動者は何かを作り出すときの条件と方法を持っています。企業に入っていれば、すでに誰かがそれを作っていることが多く、当たり前のように自身の仕事に用いていると思います。だからこそ、なぜこの人がこれを大切にして、講座や話、イベントなどのコンテンツを作っているのかを、ほんの少しでも考えてから声をかけて頂きたい。

「一、条件の齟齬」


こうならないために

①条件の確認 
 私は文化枠のためか、今までほとんど契約書を交わしたことがありません。大企業との仕事でもです。個人は基本的に全部、口約束です。契約の1文字でも言えば、仕事は流れます。
 そのため、条件の確認に対して億劫になってしまう人が多いと思われますが、必ず企業とコンテンツを作成したり運営するときは、契約書を交わすか、文面を残す。それができない仕事なら受けない方が、結果として良いと思います。
 そんな単純なことをしなかったあまり、私は某有名ホテルで3ヶ月間もタダ働きに近い形でお茶を点てていました。他のちゃ人からの信頼も失いました。殺し文句は「費用対効果」。夢を見ずに、抹茶をみましょう。


②契約履行の約束
 
こちらが示した条件を必ず履行して頂く約束をし、それを確認します。そして、履行されなかった場合、どうなるかも約束しましょう。
 以前、外国で茶を点てたとき、こちらがお願いして約束したものをほとんど用意してもらえておらず、大変な目にあったことがあります。
 口うるさいと思われても、結局それがなければ最大のパフォーマンスができず、被害が及ぶのはお客さんや参加者、手伝いの人々です。
 もしそれができなければ、やらない方が良いでしょう。


③信頼の構築
 
結局、上記の全ては、依頼主と依頼された側の信頼がないために起こることだと思います。もし、信頼があればすべてを約束したり確認したり共有したりする行為が必要ないんです。
 特に、初対面の方に対しては甘くなってしまいがちですが、最も厳しい態度で望まなければいけないのだと、今回つくづく反省した限りです。
 良いものができるためには、双方のコミュニケーションを重ね、好き嫌いは別として、互いを信頼しあえる関係性を築くこと以外ないと思います。それは、反対に言えば、リスクを共にする、ということに他なりません。担当者さん、できますか。


まとめ

 以上、好き勝手まとめました。
 通常、お稽古だけで生活していない茶人は、「芸能」のいちコンテンツとして、企業向けにいろいろやっておられるでしょうが、世間の誰もが知るような有名な茶人がでてきません。
 それはひとえに、茶道をすればするほど、一般社会との齟齬に苦しみ、その比重があまりに大きすぎるため、自身の殻に閉じこもっていってしまうパターンが多いからではないでしょうか。


 もしコンテンツを個人の方と作るのであれば、なぜそうしているのか、という理解を担当者が少しでもして頂けると、より良いものが生まれると思います。
 私は正直、もう企業とはしたくありませんが(やるのであれば信頼している人と無償でやります)、切に願います。


武井 宗道

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