曦宗達日記(2019年12月)

二〇一九年十二月十日

就労移行支援。最終手段。
最終的には模索することを理解してもらいたい。

自分はこの先の未来を知ることが怖いのか?

二〇一九年十二月十三日

小さなことからコツコツと。


二〇一九年十二月二十四日

絶対に子供はいらない!子供を虐待してしまうだろうから。子供の話や予測不能のことを見るきく遭遇するうちにストレスがたまるのだから無理はない。

宗教家、住職といえど、科学や心理学等も学ばなければならない。人が嘘をついたとき、マインドフルネスと脳と禅など、考えてこなかった新しいアイデアを解決すべく、必要不可欠となってくるだろう。僕らの世界においてテクノロジーが存在不可欠になったとき、それが実用され、より人々の複雑な考えを解かなければならなくなる。


二〇一九年十二月二十五日

やっぱり絵が書けなくなることが僕にとって最も最悪な、最も失敗を犯したことだったのかもしれない。言語の芸術家は別に悪いことじゃない。○
ただ、文脈がしっかりとしてない?のがあって・・・。短歌史には美術史のように文脈があってそれを徹底的に分析して新たな表現を作ることで歌壇入りすることができる世界なのでしょうか。

将来は言語と美術を分離して仕事する(肩書きで言うと歌人、美術批評家)みたいではなく、言語と美術が織りなす世界、ゼロからの全く新しい世界を作りたい(歌人、言語美術家みたいな)。もし美術界(現代アート)の世界を横断する際、言語とアートはどれだけ支持されるのか。短歌は世界にどれだけ通用するのか。今現在言語と美術に関する展覧会みたいなものはあるのだろうか。古今和歌集や山家集などの日本の古典美術ならぬ古典文芸を用いていくべいなのかそれとも美術史に従うべきなのか・・・。
ただ、これを突き進むにおいて、お金が稼げないと言うことが弊害となってくるだろう。横井氏よ、もし良ければ、助けてくれないだろうか。


二〇一九年十二月二十六日

やっぱり僕は、まだ迷っている。決断が早ければ早いほど後々大変になる。「美術家にはなれなくても・・・。」と言う考えはいわば、そこまで本気であると言うわけではないのだ。今日、批評家の批評を見たとき、なんか、評論家(批評家)も大変だと思うと、腰が抜けてしまった。それと同時に、美術家はもっと大変なのだろうと感じると、胸が張り裂けそうになった。自分はそこまで本気ではなかった。だからもう、周りの影響に流され、周りの力によって自分自身を磨くことになるのかとも考えていた。ただ僕は芸術が好きだ。短歌という最もリズミカルで多様な表現と共感性が垣間見えることは短歌を作るううちに誇りにもなる。
宇野常寛くらいか?営業しながら評論家やってるの。時代の変化につれ評論家がやるテーマは色々変わるのではないのだろうか。今後はテクノロジーとデジタルメディアが、キャラクターと人間との境界線をなくすのではないのだろうか。そう考えると、それはそれで気になるし南山大学のゼミとかでもできそうかと考える。まあ、子供の頃から鉄道やらゲームやらアニメやらいろんなものに手をつけたならそれを活用するのが一番合っているとこに行けばいい。

二〇一九年十二月二十八日

読書は意外と時間取れてできる。短歌やりながら読むこともできるし
短歌、批評を書く。

やっぱりウィキペディアに自分を載せたい。
→名前残したいから。
→自分が頑張っていることへの安心感、自己満足から。
→載れたらそれで良い。有名になりたいわけではないし、載ったからといって世間全体から有名人と扱われるわけではないのがウィキペディアだから。

気楽に考えよ。
やはり迷いばかりでインターンの授業をせめて受けてから将来を考えようか。
歌壇でコスプレは話題にはなるだろう。だが居続けるためには歌人としての力量とプレゼン力を鍛えなければ長続きしないだろう。

子供に論理が通じないなら、例えば着替えさせず外行って失敗させる経験を積ませる。

高木佳子と井辻朱美をずーっと考えるよりは他の歌人の歌集を読むことで心落ち着かせる。
この人合うのか合わないのかと考えて結社を決めたりするから・・・。

ゲームに熱中するヤツは色々思考力あるのか?
ゲーム、トランプから強者を知る。

ワシは放浪者。高木佳子氏が選者やらんかったら個別的に識る。そこで潮音に入るか入らんかはあまりこだわるべきではない。突き放すように見えるが潮音は基本高木さんと名古屋支部がメイン。入会金やら所属費によっては合わないこともあるから。
今自分自身の最もな部分は歌作り。

アナログと現代語。自然と社会

住む場所、仕事場、考え方

対比、比較がないと歌が作れん。
たとえば、自分の作った歌と古典の歌を見比べて、古典から言葉、着想の参考にする。

やっぱり集団性の功罪は大きい。集団性が脳内で最も必要と江戸時代から認識されたことがいじめにつながった。もしまた戦争に巻き込まれば、日本にいたら殺される。
今からでも集団から脱しなければならなくなった。

元々やりたいことを定めてやれば、途中から来た衝動にも付き合う必要があるが、すぐに飽きてまた戻るだろう。

主な歌人を一周して高木さんに戻るとまた新鮮さと癒しが出てくる。この行為はいちにちの終わりの瞑想。やっぱり高木さんが今のとこダントツ。ただ、また一周する必要があるだろうなあ。また離れる必要があるかもしれない。高木さんは震災を経験したが、決して社会詠、政治批判詠に見せるのでなく、あくまで幻視の基、ファンタジーワールドを用いて展開している。書いてみようか。


自分の作る短歌と評論に関して、分離的に考え、有意識になってしまう。今日なぜか、春日井町駅で、社会思想詠と幻想詠と今後の活動と評論に対する思い込みだろうか、なぜか「ここ悩むところか」と言った幻覚的悩みと躊躇があった。短歌新人賞と合間ってか、最も手っ取り早く、自分に合う賞はなにか、やはり取れないまで苦しく思う。なぜなのだろうか。まだ何も始めていないのに、真実がわからないのに、今はプロがいない中調べようもないことなのに、終わりを迎えた気分になって不安になっていた。
昼以降になると突如この現実が襲ってくるのだが、僕以外にもこのような不安に覆われる人はいるのだろうか。そしてこの不安の一番良い乗り越え方はあるのか。一つは問答的に対応するか。


二〇一九年十二月三十一日

もう、テン年代も終わった。じぶんは次のステージへ何も考えずに生きていた。しかしこの地味な失敗は何かへ繋がるのか?それが不安に思いながら次の二十年代を過ごすこととなる。

働かなくても、お金が必要なくても有意義な過ごし方の極意とは? 鬼滅の刃から少女終末旅行まで。

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