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自己紹介します。そうたいはモノ語りの人です。



モノが大好きなそうたいです。


おかしな外来語をできるだけカタカナを避けてわかりやすい日本語を使っていこうというムーブメントを巻き起こしたかったのです。

なのにタイトルはのっけからカタカナ*注1じゃありませんか。

なぜ物といわずモノと書いたのか。深くまず反省します。

以下数々のカタカナを深くお詫びします。

さてと。

良いものはできるだけ永く使いたいです。

そんな一生モノばかり集めて暮らしたい割と図々しい人間だと思います。

さっそくいきましょう。

シンプルでミニマムな生活がしたい。

かといってシンプルすぎるとモノを捨ててばかりでむしろ維持費が高くなりすぎてしまいます。

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カバーの写真は何年前だっけ?

割とモノを増やすのには保守的な人間ですね。

むしろ暮らし始めのころはモノは本当に少なかったんですよ。

なにせモノは少なかったのですね。今では少し考えづらいくらいです。

とにかく片付けが苦手です。すぐにお店を広げます。

こればっかりは生まれたころからモノを無くしやすい障害があるんです。

そそっかしいのは治りません。遺伝子の治療でも受けない限りそうたいはモノを無くしやすいのです。

生きていくための最低限を考えています。

考えるとキリがないのです。

それでもシンプルライフの実現に向けてがんばります。

とタイピングしていて思いました。事実はむしろ逆でしたね。

嘘つくと閻魔大王様に舌を抜かれてしまいますね。

そうたいはコレクション願望が強いかもしれないです。

揃えたいという気持ちも強いんです。

シンプルに暮らすにはお金が要ります。

むしろあれこれ使い捨てしてるほうがお金は貯まるというなんとも矛盾したテーマの下でそうたいは暮らしています。

かつて作家の山本文緒さんがエッセイの中で、家電量販店に行くとあれもこれも欲しくて店長の愛人になりたくもなるとかいう気持ちが生まれるというそうです。

そうたいはとてもそんな気持ちが強い性格です。

屈折した自分の性格と付き合うのは大変疲れます。

自分で書くのもなんですが非常に疲れやすいです。

なにせ自分のせいでモノを増やしたり減らしたりするうちにどんどんと時間ばかりが過ぎていきます。

でも捨ててばかりでいいんでしょうね。

そうたいは何もかも捨てないで生きられたら素晴らしいかと思っていました。

特にリサイクルには大きな関心がありました。

むしろ逆です。

今はいかに捨てる技術を学ぶかでしょう。

上手に捨てられる人は上手にモノと付き合っていく人だと思います。

喉が渇く病気もあります

そうたいは非常に喉が渇きやすい体質です。

一日にペットボトル2から3リットルは普通に飲みます。

むしろ15分以内に水1リットルは軽く飲んでしまいます。

そういう病気なのか体質なのかわかりません。

あまりに炭酸水を毎日1リットル以上飲むのでどんどんとお金が減っていきます。

今月家計が赤字にならないように必死で生きています。

そんなに急いでどこに行く?

アリス・イン・ワンダーランドじゃありません。

大変たいへんだといって時計を持って歩き回るようにそうたいは慌てものでして、メガネを頭の上においたままメガネを真剣に探しています。

この狭い視野のおかげで集中力は割と高い方でしょう。

ちょっと集中力を刺激されて途中で邪魔が入ると結構真剣に怒ります。

怒るとかなり怖いみたいです。噛みつく勢いらしいです。

言わせて下さい。ゴミはゴミではなく護美だと。

レジ袋の有料化は実に意味がないようで重大な意味がありましたね。

販売士の資格を持ってる人間からすると巨大な市場が日本に広がったことになります。

エコバッグの需要が急速に高まりつつあります。

でもせいぜいこの運動の価値は数年で笑い話になるのではないでしょうか?

そうたいが経験したダイオキシンへの警戒、オゾン層を守れ運動、地球温暖化詐欺など環境問題は実にたちが悪い。

正しいことをしているんだからって主義主張して自分の正しさをアピールすることでうっとりしていて実はそれこそ暑苦しいことに気づいていない方が大勢いらっしゃる。

そうたいの記事を読んで不愉快になってる方も多いかもしれません。

でもそうたいの気分も悪くなるのでここで書き散らすことをせめてお許しいきたいです。

はなはだ簡単ではございますが、1,800字2200文字オーバーにて今回の自己紹介をひとまず終了したいと思います。


ひと手間かけて今日のゴミを分別しておきますか?

それとも全部まとめて可燃も不燃も分別しませんか?

そうたいは合理的なリサイクルには賛成しています。

しかしペットボトルの使い捨てを資源の有効利用だとか言って利権の食い物にする連中を黙って見過ごすつもりはありません。

悪しからず。

そうたいならばペットボトルは燃料にします。迂闊な再利用はむしろ環境を汚します。絶対にやめてください。

ペットボトルでいっそ発電所を作って原発を止めてみたいとすらさえ思いますね。

あ、また怒ると脳の障害に悪いのにまたやってしまった。(苦笑)

*注1 この記事を作っていた際には持病の躁の勢いが強く脅迫的に日本語からカタカナを追放しようという妄想にかられてしまっております。
日本語という言葉の尊王攘夷運動みたいなもんですね。
カタカナ英語をやさしい日本語言葉へ戻すというムーブメントを巻き起こし英雄を気取ろうともがいておりました。
いろいろと思考がまとまらずに次から次へと思考が飛んでいき、かつ、苛立ちを隠せない雰囲気の中投稿しておりました。

ここまで読んでくださり貴重なお時間をいただけて感激の極みです。

皆様におかれましてはモノに煩わされない豊かな暮らしを過ごされますように。

そしてまたの機会でもお会いできますように切に願います。
(2024年6月23日補筆)

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