見出し画像

当たり前、なんてない

土曜日の朝、お肉屋さんにいつものようにお肉を取りに行って気付いた。

『次にここに来る時が最後なんだ』

期限があることは知っていたし、もうすぐ終わることは気付いていたけど。

当たり前のような日課が、もうそうじゃなくなるんだなって。
身を以って分かった瞬間だった。

それを伝えたくて。
お肉屋さんのお姉さんに英語で話してみたけど、彼女は英語があまりわからないから、???という感じだった。

だから明日は手紙を書いて持っていくことにした。


当たり前の日々

不思議なもので、2ヶ月も居るとカンボジアはとっても日常になった。

電気は止まる、水も止まる、雨が降ると道路が川になる、電線は火事が起きないか心配になるぐらいにぐちゃぐちゃ、何もかもが不揃いで不完全な街並み。

不自由なこと、日本と違うことは沢山あるけど、それでも今の私にとってはカンボジアが自分の生きる場所だ

そう思っていたけれど、どうやらそれは借り物の日常で、私はこれから日本という非日常に帰るらしい。

そんな風に感じるくらいには、カンボジアという環境に馴染んでいる。

卒業式みたいな気持ち

大学を卒業するとき、YUKIさんの「ふがいないや」という曲をずっと聴いていた。

最近また、ふがいないやをよく聴いているから、多分卒業するときと同じような心境なんだと思う。

かさねあう もたれあう
すててしまうんだ もうすぐ
消えてしまう 愛しい人も
優しい日々よ もうすぐ

私が1番好きな歌詞は、ココ。

もうすぐ、私は全部を捨てて日本に帰る。
私の日常から、カンボジアで出会った人たちは消えていく。
彼女たちの日常からも、私は消えていく。

でも、その人たちの日常は変わらずカンボジアで続いていくし、私の人生も別の場所で続いていく。

すごく不思議な気持ち。

本当にたまたま、その時の巡りあわせで出会って、そしてまた過ぎ去っていく関係。

だけど大切に思うし、幸せであってほしいと願う。

でも、私はカンボジアを卒業するんだなあ、きっと。

寂しいけど、進まなきゃね

生きてるからね。出会うし、別れるよね。
そして、お互いの記憶が薄れていくのは、生きている以上は仕方のないことだ。

カンボジアのことは大好きだし、そこに暮らす人のことはもっと好きだと思う。
ただ、だからといってずっと別れを惜しむわけにもいかない。

そりゃあ、ちょっとは浸りたいよ。
どんな物事でも、始まった瞬間から終わりに向かって進んでるんだなあとか。
単純に、楽しかったなあとか。

けど、浸る思い出を作るためにカンボジアに屋台経営をしに行ったわけじゃない。
この経験を糧にして生きていくために行ったんだもん。

当たり前なんて、何処にもない

意識してないだけで、当たり前なんて、日常なんて、本当は何処にもない。同じ日なんて二度と来ない。

そして、時間は有限なのだ。
2か月は、あっという間。その期間でどれだけ学べるかは自分の意識次第。
期限がある、終わりから考えるというのは私にとって効果的だった。

もしも日々が同じように感じてしまうなら、もっと自分の心に耳を傾けてみると良いと思う。

心は毎日違う気持ちを抱えて、私の目に映る景色を左右するものだから。

明日は最後の営業日。
私はその時、何を思うのだろうか。まだわからないな。
でも、最後まで精いっぱいを尽くすだけ。

終わらないものなんて無いから、終わるまでの間を大切に丁寧に過ごそう。

ご清聴、ありがとうございました。

#人生 #生き方 #ライフスタイル #エッセイ #日記 #コラム #時間 #当たり前



いただいたサポートは、執筆時のカフェ代に充てさせていただきます!ありがとうございます☕️