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苦手から逃げがちな私が、あらためて苦手をながめてみたら、意外と頑張っている自分に気づいてホッとした話

とある集まりに参加したときに、「"苦手なことを克服しよう!"をテーマにnoteを書いてみて」というお題を渡されてから、うっすら考え続けていた「苦手」に思いを馳せながら、パソコンと向き合う。

でも、そもそも苦手なことに向き合うこと自体が苦手だ!!!

そんな、まあまあ当たり前な事実に思い当たりつつ、今日はせっかく与えられた機会なので、私の苦手とその原因、対策について考えていきたい。

最近は、自分がすきなこととか、がんばってることとか、今やっていることとか、はたからみればつよつよな話ばかり書いている気がするから、たまにはポンコツなほうの私もアウトプットしておくのだ。つよい心で!がんばれ!私!

その1:お役所関係の手続きや書類作成

確定申告をしようと思うたびに、脳が「もうがんばらなくていいよ、寝ていいんだよ」とでもいうかのように睡魔が襲ってきて、思考の強制シャットダウンをかけてくる。

その他のありとあらゆる手続き書類の作成や申請、いろんなことの予約も、年々、ひとりではできなくなっている。

たぶんだけど、私、4-5年前の方が、ひとりでもいろんな手続きができていた気がするんだよね。でも、今はサポートしてくれる人が横にいてくれてはじめて、書類を完成できるようなカラダになってしまった。

あと、去年からサッカー観戦に行くことが多くなったのだけど、チケット購入も苦手だ。買うだけなのにとも思うけど、大抵は一緒に行く誰かに取ってもらっている。(本当にみんな優しい、ありがとう‥‥)

原因:甘えていいことを知ってしまった

真っ先に思いつくのが、甘えられる人がいると気づいてしまったこと。

夫くんは、手続きにも申請にも拒否反応が出ない、類稀なる資質を持っているから、「マニュアルがあるんだから、読めばわかるよ」という。でも、私からしたら、そのマニュアル読解がとんでもなく難しい!!!
(その申請の前に、用意しなきゃいけない難しい漢字が並んだ書類とかがたくさんあるともうダメ)


対策:いっそのこと、開き直る

これについては、私がウンウン唸って、ため息をついたり、イライラしたり、発狂したりしながら手続きをするくらいなら、おとなしく夫くんを頼ったほうが、家庭の平和が保たれるという発想の転換をする。(きっとこういうのが、ジャイアン的な思考につながってしまうのだ)(どの口がいうのだけど、みんな気をつけて)

でも一つだけ救いがあるとすれば、海外旅行の旅程だけは、私もめちゃくちゃ熱意をもって取り組める。そう、要は気持ちの問題。やるときしかやれないだけなの。


その2:人を巻き込んで、なにかを進めること

前談として。クリフトンストレングス(旧ストレングスファインダー)という、人の強みを34分類にして、個々の特徴に応じて、その強みの順位を可視化してくれる診断を受けて、その結果でてきた上位の強みたちに、我ながら納得感がある。

項目ごとの特徴については割愛☆

基本的に上位に出てくる項目は、自分の「強み」になってくれるもので、普段はこれらの特徴を活かして、うまくやれているはず。ひとりで進めることやプロジェクトのメンバーとして動くことは、できている。はず。

ただ、自分がリーダーになって、人を巻き込んで、なにかを進めていくことに苦手意識がある。

チームをまとめなきゃと思った瞬間に、責任範囲が自分以上に拡大して(責任感)、でもやるからにはいいものにしたいと思って(最上志向)、とはいえメンバーの人たちにはどこまでお願いしても大丈夫なのだろうか、そもそもモチベーションはどのくらいなのだろうかと思って(共感性・責任感・内省)、そうはいってもせっかくお願いするなら何か得てもらえたほうがいいなと思って(成長促進・責任感)、ぐるぐるした結果、詰む。

※ちなみに私はストレングスのコーチングを何度か受けたり、かるい勉強会に参加したりはしたことがあるけれど、専門資格は持っていないので、上記の見立てが本当に合っているのかは微妙。妄想かもしれない!

特に上位にある強みは、強すぎて、逆に空回りしてしまうことがあると聞いて、それはすごくしっくりくるなあと思ったことがあるのだけど、まさにその通り。ぐるぐる考えすぎてしまって、強みが強みとして機能しなくなる感覚がある。


原因:やりがい搾取的なトラウマと経験不足

こうおもう原因は主に2つある。まず、私自身が仕事上でチームをもってまとめて進めた経験がないこと。これはもう、量をこなすしかないから仕方ない気もする。

そしてもう一つは、構造として"やりがい搾取的"になってしまう危険性を常に感じていること。

今、私が会社でまとめているいくつかのチームは、完全に有志のメンバーが集まってくれている。そして、そのメンバーたちの評価項目には、おそらくこういった課外活動的なことに対する評価軸がない・あるいはウェイトが低い。

いや、正確にいえば、私はそれをミッションとして任された仕事の一環でやっているが、有志メンバーたちはそうではないから、私と同じほどのミッションを背負っていないため、業務上はコミットする必要がない。そのことが、私の責任感的にすごく気がかりなんだと思う。
(もちろん、みんなすきで楽しくてやってくれていると思うし、それはとてもうれしいし、たのしいと思っているけれど!)

リーダーの経験だけでいえば、過去に入っていたオンラインサロンで、200人くらいのチームのサブリーダーとリーダーをそれぞれ経験していたことがあるけど、仕事でリーダーになるのとはぜんぜん違う。

オンラインサロンは、自ら活動したくて、月額いくらのお金を払ってまで関わっている前提があって集まっている人たちだから、状況や気持ちへの配慮があまり必要ない(と当時思っていた)。かつ200人もいれば、そのときにコミットできる人がすこし集まるだけでイベントだって十分まわる。

でも自分自身、そんなオンラインサロンでの活動の中ですら「それって、やりがい搾取では……?」と感じてしまうこともあった。

良くも悪くも、自分が関わりたくて飛び込んだ場所。自分のリソースやそれ以外の活動との兼ね合いも考慮しながら、自分のペースで関わっていい場所のはずだったのに、気づけば自分がやりたくない・やれないことまで断れない状況で抱えることになってしまい、他のことが回らなくなって、結果的に私はオンラインサロンを辞めた。(今思えば、断る道もあったのかもしれないけど、当時の私にはその選択肢は見えなかった)

たくさんの良い経験や出会いがあった場所で、いまでも大好きな場所だから悪くいいたい気持ちは全くないけど、その当時の私はほんとうに疲弊していた。

そして、それは私にとってある種のトラウマであり、有志で集まる絆の強さを知っている一方で、ダメになったときの脆さを知っている。
だからこそ、その人がどのくらいの気持ちで今ここに居てくれているのか、キャパシティの状況的に問題がないのか、すごく気になってしまう。


対策:ひとりで悩むな!誰かに相談しろ!!!!

チームでの活動が、みんなの評価項目にガッツリ入っていてくれたら、しっかりコミットしてもらってみんなで結果出して万歳!って方向性もみえるのだけど、なかなかそれは難しそうで。

いろんなチームのメンバーに大丈夫?って聞くけど、「大丈夫だよ〜」って言ってくれるし、今のところ、どちらかというと大丈夫じゃないのは、私の過保護すぎる捉え方なんだよね、たぶん(白目)

相談しよう。自分だけでぐるぐる考えていても仕方ない。
コミュニティマネージャーをやったり、プロジェクトリーダーをやったりしている人たちに!相談!しよう!

あと、いずれにしても自分がリーダーになったときの強みの活かし方については、一回ちゃんと考えてみたほうがいいなと思ったので、りょうじさんに単発のコーチングをお願いすることにしよう。そうしよう。


その3:人前に立つこと

1対1が好きなので、1対多数の状況は情報量が多すぎて捌ききれないし、そもそも何に注目したらいいのかわからないし(というか注目されちゃってるし)、いたたまれねえ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜という気持ちになる。

原因:一芸に秀でていないという呪い

人前に立てる人って、なんか、おもしろいことを言える人が多い気がする。気の利いたこととか。上手なアイスブレイクとか。なにか一芸に秀でている気がする。

そして私は、そういうことができる自信もなければ、テンションで押し切るメンタルもないのさ。そう、ないのさ。(苦手なことを考えはじめると、すぐ開き直りはじめるやまいを患っている)

筋肉マッチョな側の私が「そう思うなら、おもしろくなれるように鍛えたら?」ってささやいてくるけど、そうまでするほど改善したいという気持ちもない。結局、ただ現状を嘆くだけで何もしないという、放置プレイをかましている苦手分野である。


対策:役立つ人になれたらいいんじゃないか説

でも、一芸に秀でていなくてもいいんじゃないか?むしろ、そうじゃない代表として、胸を張って生きていけばいいんじゃないか?という発想の転換をするのはどうだろう。

おもしろくなくて、気も使えなくて、そんな私にできることは一つ。
有益であること!!!!!

最近、ありがたいこと(?)に人前に立つことが増えてきて、その度に絶対的に憂鬱な気持ちになるのだけど、今の私にできる最大限の有益な情報を伝えるのだと思えば、状況に気後れしすぎることなく話せることがわかってきた。

そこに集まってくれた人たちの目や耳や時間を、私に割いてもらうのであれば、せめて有益な情報を提供すべきではなかろうか。(また責任感的なこと言ってる)

それに実際、私が伝えた情報を聞いて、行動してくれた方が声をかけてくださったりして、私にとってもありがたいし、すこしは役に立てたのかな、よかったなと思ったこともある。
結局、こういうことは地道に経験を重ねて、失敗したり成功したりすることからしか改善できないのだと思う。(小並感)

地道にね、一歩ずつ、進んでいこう。

あらためて"苦手"と向き合ってみて、意外とがんばって改善しようとしている自分に気づいた

自分の中の得意じゃない部分や苦手な部分を直視するのは、誰しもそんなにやりたくないことだと思う。というか、少なくとも私はあまりそういうことが得意ではない。

どちらかといえば、わざわざ苦手を克服する方に労力をかけるより、得意を伸ばしに伸ばしきって、苦手を凌駕する得意を手に入れたほうがいいんじゃないかと思っている節がある。

そうはいっても、苦手分野に全く手をつけずに生活するというのもまた難しい話で、だからこそ苦手と対峙しなければいけない場面もある。でも、私はそういう場面に身を置くことを極力避けているような印象を、これまでの自分に対して持っていたし、まあそれでもいいかとも思っていた。

でも、今回考えてみた苦手は、手続きや書類作成以外の項目は、一応、自分なりに改善しようと努力していたことに気づいた。

アンタァ、意外と頑張ってたのか〜〜

あと、全部の苦手がそれでうまくいくかはわからないけど、見方を変えるのは大事だなと思った。大抵のうまくいかないことは、自分の捉え方に問題があって、捉え方が変わればラクに考えられるようになることも多い。

手続きは家庭の平和のために、もう夫に任せてしまう。
大丈夫じゃないのは相手じゃなくて、私。
人前に立つときはおもしろくじゃなくて、有益に。

自分の思考パターンが自分を生きづらくしているなら、それに気づいて、すこしずつでいいから、書き換えていくと良さそうだなと思った。

ご清聴、ありがとうございました。
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