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実話。暴露します!中編。大手企業の人の減らし方。誰も知らない人材紹介会社と組んだ陰のカラクリ。<社内解雇と社内職探し編> by転職定着マイスター川野智己

「物乞いに用は無い。採用してくれた社長に泣きつけ。」
「落ちぶれたくはないものだ。君は恥を知らないのか。」
「貴方ができる仕事などここにはない。立ち去れ。社内ホームレスさん。」

 これらは、社内職探しという屈辱を強いられた転職者に対して投げられた、同僚からの冷徹な言葉の礫(つぶて)である。

経理部長に昇格した井田は、2年前に自分の身に降りかかった四面楚歌、さらし者扱いに思いを巡らせていた。そこには、脚が震え、動機が止まらず、何度もトイレの個室で深呼吸を繰り返していた当時の自分がいた。ただ、家族を想い耐え続けた時の一幕であった。

前回(6月3日)投稿の記事「暴露します。大手企業の人の減らし方。誰も知らない人材紹介会社と組んだ陰のカラクリ。転職を余儀なくされた社員の行く末は。(前編)」では、人材紹介会社に出向した大手企業のキャリア開発担当者による、「自社の人材の追い出し(人減らし)」のからくりの実態をお伝えした。今回は、その中編として、そして、私川野が人材紹介会社勤務時に、事案として井田氏と取り組んだ実話として書き記している。

 地方の信用金庫の支店で課長代理として勤務していた井田吾郎(41歳)は、地方経済の停滞による中小金融機関の融資先不足による経営不振により、勤務先からは人減らしの標的となっていた。そこで、キャリア開発担当から、あるベンチャー企業への転出(転職)を勧められたのだ。

井田は、勤務先では多くの預金を獲得し、貢献しているつもりであったので、この冷徹な宣告に驚きいたく傷ついた。かつ、まだ小さい子供を抱える身としては、経済的にも大きな不安を抱えることになった。妻からの、「信金のお偉いさんに頭を下げれば残れるのでは。」「これから、どうするのよ。まったく、あなたって人は。」と、仕事で疲れ切った後の夜中まで自宅で延々愚痴を聞かされることに、心底疲弊している自分がいた。

「頭を下げたから、勤務先の方針が覆るはずもないのだよ。」と妻に内心反発しつつ、「それにしても、こんな時こそ共感し、夫の悔しさや苦しみを分かち合ってくれるのが夫婦ではないか。もうすこし優しい言葉があってもいいのではないか。」と感じる一方で、「妻も不安なんだろうな。可哀そうに。」と理解を示している。頭の中で堂々巡りしている。そんな胸のうちであった。

屈辱と悲しみ、不安、家庭での孤独。その一方で、諦めや相手理解が頭をもたげ、そして従順と気配りも併せ持つ自分に、井田はとことん自己嫌悪に陥っていた。誰かを一方的に憎んだり、罵ったり、責任転嫁できる人間であれば、自分もどんなに気が休まるか、メンタルも安定するのではないかと、今さらながら自分の煮え切らない、情けない性格を恨む毎日であった。
もっとも、このようなある意味「人がいい」「表立って反論しない」人間だからこそ、今回の人減らしの対象になってしまったのかもしれない。会社としても、面倒くさい人間は、あえて対象にしないからだ。井田に残されたのは、勤務先からの宣告を受け入れることしか無かった。

 キャリア開発担当の勧めもあって、転職先は、創業7年目の「㈱パソコンR」という従業員180名ほどのベンチャー企業であった。社長の鈴木はまだ30代半ばであり、大手リース会社勤務の経験を活かして自らこの会社を起業したのだ。若いがバランスが良く、穏やかな人物であった。事業内容は、リース切れのOA機器を、丁寧にクリーニングして中小零細企業に再販売する事業である。業績は順調であり、毎年、倍々ゲームで売上高を伸ばしている。

井田が採用された経緯は、得意先に零細企業が多いこともあり、売り上げの未回収が多く発生し、かつ不明朗な営業経費も散見されるので、営業部次長として部隊を管轄してほしい。そして、信金職員なら緻密であろうから経費管理も任せたいとの鈴木の想いがあった。
現有の営業部隊は、鈴木社長がリサイクル業界からのヘッドハンティングで連れてきた者ばかりで、業界を渡り歩く野武士的な豪快な人物が多く、一方でどんぶり勘定な野放図な傾向があった。

彼ら営業部隊からすれば、井田を採用するということは、自分たちの否定であると感じ内心反発をしていた。その急先鋒になる人物が井田の上司になる鎌田という営業部長であった。鎌田は自分のこれまでの経費の使途について白日の下に晒されたくなかったのだ。

そんな中、事件は起こる。
井田自身が担当していた得意先で大きな焦げ付き、未収が発生したのだ。得意先は倒産し、回収は実質的に不可能となった。
もともとは、この倒産した得意先は、鎌田からあてがわれた企業であり、経営不振状態であることを井田には秘匿して、意図的に営業担当としてあてがったのだ。
ようは、井田は諮られたのだ。鎌田からの謀(はかりごと)にはまったのだ。

 鎌田は、社長である鈴木に「これが、法人営業のプロなのか、信用調査のプロなのか、と騒ぐ部下の反発を抑えられない。私自身は井田さんに今後とも活躍してほしいが。このままでは、彼も、わが社に居続けられないのではないか。」と、暗に解雇を勧めてきた。
  鈴木も、これまで大きな売り上げを挙げて来てくれている鎌田率いる営業部隊を敵に回すことはできない。彼らの意向を無視できないのだ。何故ならば、技術者上がりの自分には営業などできないし、これまでの業績向上は、良くも悪くも営業部隊のおかげでもあるからだ。

  鎌田はさらに続けた。
 「彼(井田)も生活があります。では、こうしましょう。社内に自分の居場所があるのかどうか、社内を巡回させて、自ら仕事を探させたらどうでしょうか。彼のことを欲しいという部署が、もしかしたら有るかもしれません。自分を売り込み、結果、どこの部署も『井田は不要』と言うなら、彼も諦めがつくでしょう。私も、このまま彼を解雇するのも忍びない。」
 と、いかにも井田を慮(おもんばか)っているかのような提案であった。要は、「自分は社内で不要な人間である。」「(物乞いのように)自分に職を下さい」と社内をさらし者のように,井田を社内巡回させるというのだ。
 これは、鎌田が、雑誌で見聞きした「嫌がらせ策」、その実践であり、井田に対する別れ際の負の餞別、最後の意趣返しであった。

 しかしながら、その2年後の現在、井田は経理部長としてこうして居場所を獲得している。鎌田の目論見は、最終的には失敗したのだった。
 次回の後編では、その経緯について触れていきたい。

※毎回、ご一読いただき誠にありがとうございます。書き記した内容は、私川野が大手人材紹介会社の教育研修部長時代に見聞き、体験した「実話」です。よって、個人名や企業名が判明しないよう若干の表現上の工夫をしております。何卒ご了承願います。
おかげさまで、投稿を初めて3週間。多くの方々から大きな反響をいただいております。転職を考えておられる皆様方の、ご参考の一助になれば幸いです。

令和3年6月8日  転職定着マイスター 川野智己

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