見出し画像

鵺 (第八稿)

 後白河天皇の御代、南禅寺に悟省という若い僧がいた。
 この悟省、「省みる」という文字を戒名に戴いたのにはそれなりの訳がある。幼い頃から絵に興味を示し、筆を握っては周囲の人物や野山の風景などを好き勝手に描いていた。実力は確かで、筆一本の濃淡で様々なものを描き分けることができた。やがて自由闊達な絵が評判になり、寺を訪れた商人がいたずら描きのようなものを言い値で買っていった。
 そのようなことが幾度か続き、僧は天狗になった。「なんだって描いてみせる」と豪語した。やがて、絵が高値で売れれば自分の価値が高くなったと勘違いするようになり、仏道修行にも身が入らなくなった。絵を売った金で町に出ては酒を飲む、ばくちを打つ、女を抱くといった荒れ放題である。心の内の欠けた部分を埋めようとして、埋め切れずに掻いているような有様であった。
「自分で儲けた金だ。おれは客だ。しかも仏に帰依している上客だ」と言って憚らぬ有様であった。
 やがて、それは禅師の耳に入り、僧は呼びつけられた。
「今後は吾の心を省みると書いて悟省と名乗るがよい」
お前のことはこれから馬鹿と呼ぶと言われたに等しいのだが、本人は気にも留めず聞き流していた。

 元はといえば、寺に続く山道の傍らで、母の骸にすがりついて涙を涸らしていた子供であった。

 十数年前のある秋の日のことである。巷はお上が病に伏したという噂で持切りであった。
 そのような折、南禅寺の高僧、慧光禅師は兄の急死の知らせを受けた。
 鏡のなかに自分の青い顔を映し、それより色味の悪い兄の、生真面目で硬い面持ちを思い描いた。兄は朝廷に仕える僧侶であった。あるとき気の病を得て寝込んでいると書状がきて、それ以来音沙汰がなかった。
 急いで街に下りた。
 縁者だと知れると、禅師は河原に連れて行かれた。あまり大っぴらにできないどころか、人の口に戸を立てたくなるような、惨めな死に様であったらしい。弔いを許すべきかどうかという話も出ていた。
 亡骸は粗末な筵で覆われており、人々のかわりにたくさんの蠅が弔問に訪れていた。
 筵をめくりあげると、虚ろな目がこちらを見ていた。口から泡のようなよだれが垂れていた。
こみ上げてくるものをおしとどめるように疑念が浮かんでくる。
(これはほんとうに兄なのだろうか。)
 自分が横たわっているようにも思えてくる。まったく違ったなにかにも見える。
 ささやかな葬儀を手短に終え、想い出と現実の両者から逃げるように寺への帰途に就いた。
 死骸は船に載せられ、鴨川を下っていった。
 人の目を避けるように。

 寺の姿が見える頃にはすでに昏く、つるべでも落とされたかのごとく日が沈みかけていた。
 その貌をのぞき込んだときの、現実のふらつきに再び巡り会うのだとしたら。
 言いようのない不吉さと寂しさに足を速めたとき、獣の鳴き声のようなものが聞こえた。歩を進めるに従い、その声は大きくなっていった。
やがて前方に、大小二つのかたまりが寄り添って倒れているのを見つけた。母親と、その子であろうか。あたりは腐敗臭と、興奮した獣声に充たされていた。戦乱の相次ぐ昨今、行き倒れなど珍しくもなかったが、母子の上等な身なりに興味がそそられた。
 母親の骸には数匹の猿が集っており、腐りかけた頬の肉や眼球を一心不乱に引きちぎって食んでいた。
 幸い、または不幸にして、子はまだこの世につながれていた。
 一匹の猿が威嚇のため子供の腕を噛んだが、子は叫びもせずにうつろな目を母と猿に向け、母親だったものを抱きしめていた。
 子は半目をあけて母親が解体されていくさまをじっと見ていた。
 じっと、見ていた。
 そのとき、闇に向かって傾きつつある大気をひきさいて、虎鶫(とらつぐみ)の声が響いた。亡骸がなにかを語ったような気がして、禅師は我に返った。
「哀れな……」
 禅師は獣の群れを蹴散らし、無理矢理、子を母親から引き剥がした。
 そのとき、まるで未練であるかのように、母親の懐から一管の筆がこぼれおちた。おぼつかない手つきで子が拾い上げ、胸に掻き抱いた。母子の身分の良さを思わせるような上等なつくりである。
 禅師は子供を引きずるようにして寺に戻った。若い僧を何人か呼んで母親の亡骸を弔うよう指示を下し、稚児たちには汚れた子供の面倒を見るよう言いつけた。
禅師は、利発そうだがどことなく陰のある目つきの子供を寺で預かることにした。なんとなく顔つきが、気が触れる前の兄に似ていたからである。坊主頭も似合うであろう。
 これもまたすべて一つの縁なのだろうと。
 肉塊はバラバラになってあたりに一面に散らばっており、僧たちはとりあえず母親の服だけを埋めてきたと語った。禅師は「そうか」とだけ応え、力なく手を合わせた。
 筆は大切に保管されることとなった。

 子供は庫裏で粥をすすり、泣きながら育った。
やがて勧められるままに仏門に入り、十七年目の秋を、形ばかりの経を読むなどして過ごしている。

 ある日、悟省は禅師に呼ばれた。
「お前にこれを渡しておく。とある、やんごとなき方からいただいた大切な品じゃ。」
禅師は、袱紗(ふくさ)に包まれた一管の筆を悟省の前に差し出した。悟省は興味なさそうに「その筆」を受けとったが、触れた瞬間、微かにどこかが痛むような表情をした。
「鵺(ぬえ)を描いてみよ。」
怪訝な顔の悟省に禅師は言った。
「よいか。本物そっくりに描くのじゃぞ。」
悟省が鵺とは何ですかと聞くと、「よくわからぬ」という強い答えが返ってきた。カチンときて言い返す。
「よくわからぬものに本物もなにもないでしょう? 」
「じゃから、本物を描けと言うておる。わしも見てみたいのじゃ。鵺というものをな。」
面倒臭いことになりそうで悟省は顔をしかめた。正直、絵を描くことにすっかり飽いてしまっていたのである。適当に描くだけでみな有難がって買っていく。悟省にとって絵は愚昧な人々に高値で売れればよいものになっていたのである。
「何のために、そのようなものを描かねばならないのですか? 」
と問うと、禅師は「『何の』ではないな」と答えた。まったくよくわからない。ためらっていると、癇性にふれた。
「隠れて絵で稼いでいることは聞いておるぞ。お前は十七年、托鉢にも出ず、ただ飯を食っておったではないか。食い扶持を払えと言って何が悪いか!! 」
誰が禅師の耳に入れたのかと疑念をまき散らしながら、悟省は無言でその場を辞した。
(何が禅師だ。おれの顔を見れば怒ってばかりのあんたのほうがよっぽど修行が足りないよ。この糞坊主)
筆を廊下に叩きつけようと思ったが、なぜかそうすることができなかった。

 悟省は少し困った。無理矢理鵺の絵を描かされることになったが、そもそも鵺など先ほど聞き及んだくらいで、生まれてこのかた見たこともない。面倒ごとなど御免こうむるのだが、怠ると厳しく叱咤されるのでやらないわけにもいかない。説教だけで終わらないこともたびたびある。
 先輩の僧にたずねると、『ひょーひょー』という声を上げながら、「悪いがおれも見たことはない」とそっけなく返された。意地悪そうに笑っている。以前、女郎屋に誘わなかったことを恨みに思っているらしい。つまらん男だ。
 それに何故かこの『ひょーひょー』という声には聞き覚えがあり、妙に気味悪く胸に響く。悟省は眉をしかめた。
「お前に与えられた『修行』なのだろうから自分で考えて自分でやるがいいさ。お前は息の吸い方を誰かにきくのか?赤子以下だな。いや捨て子だったか?」
揶揄されていると感じ、見せつけるようにしばらく息を止めていた。先輩が去ったと同時に溺れた者のように大きく息を吸った。
(捨て子か……)
 昔のことを想い出そうとすると途端に気分が悪くなる。目眩や耳鳴りがしはじめる。母はいたのだろうがもう顔も想い出せない。自分を寺に連れてきたという禅師は母についてなにも教えてくれなかった。
「母は、どんなひとだったのだろう。」
くらくらしはじめたので考えるのをやめた。
 ふと、障子の向こうに影が映ったような気がした。

 京。昼下がり。辻に腰を下ろすと、悟省は辺りを見回してみた。都にはさまざまなものがあふれているが、鵺とやらがかごの中に捕らわれているのも、手足を狸しばりにされて売られているのも見たことがない。先代の帝の世に、御所の上空を騒がせ射落とされたと聞くのだが、その後どうなったか誰も知らない。この目で見たこともない妖魅の類いは一切信じないので、そのようなものは寝言や夢の類いくらいに思っている。
 隅で商う顔なじみの薬師にたずねると、
「頭が猿、胴は狸、手足が虎、尾は蛇。雷を落とし、なんだかわからない鳴き声で喚くそうじゃ。お上はその声を聞いて病に倒れたと聞く。おお、こわい」
と、まるきりわからず、病除けに要らぬ薬を買わされた。
 考えるのが面倒臭くなった。とりあえずそういうことにしておこうと、狸の胴に、猿の頭を載せ、虎の手足をできる限りそれらしく描き、尻から蝮(まむし)を垂らしてみた。
 それらしく見える。なるほど、これが鵺か。それならばそれでよい。
 寺へ帰ると 、小走りで方丈に向かった。わざとらしく息を切らせながら、書き物をしている禅師の前に墨絵を広げてみせた。「いやあ、描くのにとても苦労しましたよ」と、いつものように口先だけの言葉を添えて。
 禅師は硬い目で鵺と悟省を見比べると、
「これは、頭が猿、胴が狸、手足が虎で、尾が蛇というだけの虚仮威しじゃ。わしは鵺を描けと言うたのだがわからなかったのか? やりなおし。」
口元をこわばらせながらぶっきらぼうに聞き返す。
「なぜこれが……本物ではないと…わかるのでしょうか?」
「お前が一番、これが本物でないと知っておろう。」
悟省が眉の根を寄せ、渋面を作っていると、
「一所懸命に絵を描くので夕餉(ゆうげ)はいりません、とでも言いそうな顔じゃな。殊勝なことじゃ」と皮肉を言う。
「食べますとも」咄嗟に言ったものの、退室した悟省は頭を抱えた。紙の上の鵺に目を走らせる。うまく描けていると思うのだが、これではまだ売り物にならないということなのであろうか。少し面倒がすぎる。柱を蹴飛ばした。

 そんなやりとりがあったからか、夕餉の最中もぼんやり鵺のことを考え続けた。禅師の顔を思い出すほどに苦々しい唾が出るが、一体、「それ」がどういう生き物なのかは少し興味がある。どこに棲んでいるのだろうか。雌雄の違いはあるのだろうか。やはり人を捕らえて食うのだろうか。とりとめもなく考えを巡らしながら、漬け物ををぼりぼりと噛む。これは骨を砕く音だろうか。
 少し腰をすえてかかってみるのも悪くないと思いはじめた。本物でないと罵倒されて絵描きとしての矜持を傷つけられたところが少しあるのである。
(どんなものでも俺が描いたものが本物だ)
すると「おまえは馬鹿だよね」と誰かに揶揄されている気持ちがわいた。
「立派立派」「バカにしてはよくやっているほうだよ」
ムカムカと腹が立つ。
「うるさい! 」
と虚空を怒鳴りつけた。正面に座っていた稚児が驚いて椀を取り落とした。

 寝る前に厠に立った。手水鉢で手を洗っていると、竹林の向こうの暗がりが気になってしかたがない。誰かにじっとりと見られているような気がする。かすかな寒気を感じ、足早に部屋に戻った。

 夢をみた。
 なにかにすがりついて泣いている。
 「それ」はおおきく顎をひらき、のど笛を噛み裂こうとするように顔を近づけてくる。
 不思議と恐ろしくない。
 「それ」は赤い舌でこちらの顎の先をペロリとなめると、小鳥のように歌った。
「坊……」

 起きた瞬間、とめどなく涙を流している自分に気づいた。
 ひさしぶりに寝小便をした。

 冷雨の朝。出入りの行商人から、ある大店の主人が鵺の墨絵を持っていると耳にした。悟省は作務衣が濡れるのもかまわず転げるように街に下りた。「鵺を目にしたい」という衝動が、堰を切って溢れ出したかのようであった。

 南禅寺から来たと言うと丁寧に奥に案内された。客室を飾る上等な屏風の一面に、「それ」は描かれていた。
(これが鵺か)
 半開きになりかけた口元を一文字に閉ざした。
 濃淡で描かれた大妖が虚空から都を見下ろし、威圧している。一目で一流の絵師によるものとわかった。精緻な筆使いの見事な一品と思える。誰が描いたかを聞くと知らぬ名を告げられ、ちりりと炎が揺れるのを感じた。やらねばならぬと目を剥いたとき、悟省を噛み殺そうと牙を剥いた猿(ましら)の目と合った。捨て置けぬものを感じる。敵愾心とともに、なぜか鏡でも見たかのような心地がする。ぶるんと一つ、頭を振った。
(名も知らぬ絵師がどれほどのものか。出来損ないの猿のくせにいい気になるなよ。見てろよ、俺の方が…)
ふと、見知らぬ絵師の姿に禅師の姿が重なった。咄嗟に筆を握った。これでもかというくらい細部にわたって鵺の姿を紙に写した。
(踏みつけてやる)
完成した絵を突き付けた時の、禅師の顔が見ものだと思った。そしてもう一人の見えざる者も。
(お前らなんぞ、俺のこの手でぶち壊してやる。)
「バカがまたくだらないことをしてるよ。」
と、言われた気がしたが、構わず筆を走らせた。久しぶりに筆も走った。

「馬鹿者!!わしは鵺を描けと言ったのだ。誰が染物屋の絵を写してこいと言うたか!! 」
 言い終わる前に椀が飛んできた。三日後の朝のことである。殊勝な顔を取り繕いながら絵を広げて見せたのだが、返ってきたのは熱い粥であった。
 悟省は思わず声を荒げた。「どうだ、うまく描けただろう」としか思っていなかったので、陳腐な言い訳しか浮かんでこない。
「そんなことを言、言われても。誰も今まで、鵺なんぞ……見た者はおりません」
禅師は冷たい目で問い詰めた。
「探したのか? 」
 長い沈黙のあと、師匠の激怒を受け止めきれない坊主のように「まだです」としか答えられなかった。
 禅師は悟省の絵を八つ裂きにして放り投げた。丹精込めて描いた絵が、ただの紙切れとなって宙をはらはらと舞うのが悲しかった。いろいろなものに負けた気がする。絵の出来映えを見せつけて禅師の鼻を明かし、名も知らぬ絵師に代わって名を上げるはずだったのである。ただ、心のどこかが恥ずかしくもあり、それを隠さなければ死んでしまうと感じた。
(なぜ俺はここまで言われねばならぬのか。これは、難癖をつけて俺をいたぶっているだけではないのか。この寺を出て行けということなのではないか)
不平を込めた目線を真正面から受け止め、禅師は平然と言った。
「やりなおし。何度でも。」
その声は平生よりも柔らかいものであったが、悟省の耳には届いていなかった。紙切れとなった絵をかき集めると、無言でその場から去った。

 夕刻。拾い集めた紙切れをかまどにくべることにした。まだ気持ちがおさまらない。
(禅師、絵師、寺や京、お上、みな無くなれ。)
年甲斐もなく目頭に違和感を覚えた。いつもより煙が目にしみたせいにした。
 びゅっと、意識が何かに引き込まれた感じがした。
 一瞬、煙が庫裏の窓から外に吸い出されていったのである。逡巡の後、恐る恐る勝手口を開けてみた。
 誰もいない。
 小さな石が三つ積んであった。近所の子どもの悪戯だろうか。風の冷たさに、体が震えた。
 かわりに怖気に支配されたためか、今朝方からのもやもやした不機嫌が少し薄れた気もする。だが、同時に湧き上がる、禁忌に触れたようなこの昂りは一体なんなのか。鳥肌の立った首筋を掻いて、炊事にもどった。
 これから紙切れを焚き付けにして、三十人分の大根を煮なければならない。悟省は目の前の作業に没頭することにした。
 どういうわけか誰かに見られているような気持ちが心から外れなかった。

 朝、起きたときから胸騒ぎがした。誰かにどこかへ引きずられていくような気がするのだ。訳も無く胸がドキドキし、不安が心の中で踊る。眩暈がする。首を振ると一瞬遅れて周囲がぬらりと巡り、自分が何か別の生き物にでもなったような気がする。眼前に掌を拡げてみる。なにも変わらない人間の手であった。すこし安堵する。
(気の病だろうか)
 視線を巡らすと枕元にいつもの筆がある。禅師から授けられたものだ。理由はよくわからないがなにかが引っかかっている。気になってしかたがない。しげしげとあらためて見る。上等な筆であった。もしかしたら狸の毛なのかもしれないが、穂の毛羽立ちはまったくない。竹に蛇が自らの尾に噛みつく文様が刻まれており、『寅』と文字が描かれている。手に取るときれいな湖水に浸かるように気持ちが落ち着いてくるのがわかる。目の裏が澄んでいく。
 そういえば、と、燃えていく紙のことを思い出した。
 燃えていく紙のことしか思い出さなかった。
 おれはなにを書こうとしていたのだろうかと。

 その日から、悟省は鵺のことばかり考えるようになった。日々のお勤めをただ愚直に黙々とこなしながら、奇妙なことに絵についてだけは頭も腕も冴え渡った。
 名も無き絵師の屏風絵を思い浮かべては同じものを脳裏に何度も描き、また何度も燃やす。
(確かに俺はあの絵師と同じくらいには描ける。いや、それ以上にうまく描くことはできるだろう。だが、うまく描くとはなんだ? 何をどう描いたら、うまく描けたと言えるのだ? )
「本物を描けか……」
 果てしなく続く自問自答は、闇夜の森を手探りで進むに似ていた。

 毎日が変わった。
 街に下りては猿回しの使う猿に向かってうんうん唸り、境内にひょっこり現れた狸の親子を射殺すように見つめる。裕福な商家に豪奢な虎の毛皮を触らせてもらいに行き、薬屋の軒先で不味そうな青大将の干物を嗅いでみる。旅人を見かけると話しかけ、鵺について知っているか尋ねる。
「なんでもよい。教えてくれ……いや、教えてください。」
誰もが首を横に振り、そのたびに落胆するのだが、あきらめなかった。
 禅師のことを恨むのはやめた。絵師をなぶるのもやめた。

 托鉢に出るようになった。寺にこもっているよりも何かを探さねばならないと思うのである。
 都の辻に腰を下ろし、改めて人々を眺めてみる。かつてはまるっきり関心がなかったものが別のものに見える。
(あの男はどこの誰なのだろう。向こうの女は何をして暮らしを立てているのだろうか。この旅人はどこに流れていくのだろう。がきどもは何を囃しているのだろう。)
 意味もなく気持ちが昂ぶった。
 なぜか、次になにが起こるのか知っている気がした。
 一人の老婆が転んだ。悟省は思わず泥だらけの老婆に駆け寄っていた。なんで俺はこんなことをするのだと悩みながら老婆の手を取ると、心の臓のあたりに疼くものがあった。
(誰かに似ている気がする)
 老婆は微笑むと、小声で礼を述べた。
 その時、ふと、奇妙な考えが浮かんだ。
(この婆さんは、本当に婆さんなのか。街の連中は、皆本当に人間なのか。実は毛だらけの狸の体を衣に包み、蛇の尾を隠し持っているのではないか。夜ともなれば手には虎の爪が伸び、猿のような甲高い声で叫び出すのではないか。)
 段々と恐ろしくなり、慌てて老婆から戻した手を自分の頬に当ててみる。つるんとした肌の手触りも、自分のものではないように感じる。
 ぐにゃり。
 唐突に、世界を串刺しにするような誰かの叫びが頭の中に響いた。おのれの声だとは気づかなかった。
 血相を変えて何事かつぶやく若い僧に怯え、老婆はその場を急いで立ち去った。
 悟省はよろよろとその場に座り込む。途方もない疲労感。
 足早に去って行く老婆の手はどう見ても虎のそれであった。
(やはり俺はおかしくなってしまったのか。)

 それ以上考えることができなくなり、俯いたまま時が過ぎた。すべてが遠ざかっている気がした。
 ふと、日が陰った。雲ではなく、何かの影が、自分を照らす陽光を遮ってでもいるかのように。
 突然、懐かしさのようなものが打ち寄せてきたが、同時に肉が溶けるような腐敗臭を想い出し、吐きそうになる。
 時が止まった。
 誰かに呼ばれたような気がする。(誰が? )
 見てはいけない気がする。(何を? )
 そいつはなにかを見ろと言っているのだ。
 たぶん、見たら何かがわかるのだ。
 俺が本当に描きたいものが何か。
 うまく描くとはどういうことか。
 だが、わかったら俺はどうなる?
 見てみたい。見てはいけない。
 見たい。見たくない。
 見る。見るな。
 見るな見るな見るな見るな……
 叫ぶ。
 まともな声にならない。
 意識を埋め尽くす無限の繰り返しに耐えきれず、耳を抑えながら顔を上げる。
 ごくり。
 刹那、音を取り戻す。
 街行く人々の声の重なりに囲まれ、思わず辺りを見回す。
 少しずつ分離しはじめる。
 威勢のいい物売りの濁った声、遊んでいる子供たちの転がるような声、女たちの甲高い笑い声。
 声、声、声……
 雑踏の中、悟省は夕陽の残滓を浴びて立ちすくんだ。
 自分自身を盗んでいったかのように、影が長く伸びていた。

 独り取り残されている悟省は、一瞬、目の端に黒い塊を見た。
 黒い塊を、見たような気がした。

 影が、そのまま夜になった。
 とぼとぼと寺に戻る間、なにも信じられなくて涙がでた。何度も自分自身の掌を見つめ、なでまわしたり、つねったりしてみた。立木や壁に叩きつけたりもした。
 そのたびに悟省の手は、悟省の手だった。

 しばらくなにもできずに寝込んだ。とはいえまともに眠れたことはない。
 心から燃焼が一切失われてしまい、このまま腑抜けるのかと独り笑いをうかべた。漠然とした強い不安にとらわれ、世が暗転したまま没落していき、四六時中誰かからのささやきに苦しめられた。過剰にほめられたり、すすり泣かれたり、死ねばいいのにとなじられたりもした。
 おそらくこれは誰かに呪いをかけられたのだと、いまだかつてないくらいの本気で経を唱えてみたが、釈尊の言葉では苦しみが止まらなかったので、一切やめてしまった。もともと本気で帰依していたわけでもない。
 毎晩、胃の中になにもなくなっても自分の汚穢や後悔を何度も嘔吐した。そのたびにいっそ誰か殺してくれないかとも思えてくる。
 しかし、「その筆」を握っている間は心が澄み、絵に専心し、清潔な自分を見つけることができたのは不思議だった。
「おまえは本当に愚かだね。ただ絵を描いているときだけは本物だとおもうよ。」とささやきが語る。
(ああ、そうか。そうかもしれん。)
ある日、なんとなく気が晴れて、起き上がった。
(本物か……)

 十日ほど後、寺に幾つかある納屋の一つを仕事場に借りた。
 病に臥せっていても誰も心配などしてくれなかったし、例の先輩などは「痛快」と笑っていたくらいだった。自分はもともと独りだと知っていたので、いっそのこと人から離れようと思うようになったのである。
 初めの頃は食事も皆と一緒にとっていたが、やがて仕事場に運んでもらい一人でとるようになった。秋の夜長も、風の吹き込む納屋で寝た。
 淋しくはなかった。話し相手ならすでに「いる」のである。
 その内、悟省がいつも一人で誰かと話しているという噂が流れた。

 日がな一日、辻に托鉢し、何かを探し続け、歩き回り、夜は納屋で一心不乱に絵を描いた。水浴びすら厭うようになり、吐き気を催すような臭気を纏うようになった。熱気が皮膚を爛れさせる夏も、寒気が骨の髄まで沁み入る冬も。何か怪しいものを見たという噂を聞けば、徒(かち)で何日もかかる遠方を訪れ、鵺のことかと聞き回った。まるで亡き母のすがたでも探すかのように。

 やがて、悟省の正気を吸い取りながら、一つの像を結ぶように、鵺の姿が結実し始めた。
 絵の中で踊る墨の化け物は、怒り狂い、ねじくれたような姿勢で唸ったまま、紙の上に静止していた。いや、止まっているのではない、動きながら時を止められたかのようであった。猿の貌に優しさや慈愛、苦しみや悲しみが浮かぶこともあった。狸のような、虎のような、蛇のような、だが人のような何かだった。
 納屋は、異界そのものを描いたと言っていいほど、精緻な化け物の絵で埋め尽くされていた。誰も近づくことが出来ない暗病みを漂わせ、排泄物が腐敗してゆくような臭気を隠すことができなかった。
 僧たちは、悟省と目を合わせることを拒んだ。祟りを恐れて稚児も寺男も近づかなかった。

 ある晩、禅師が悟省を部屋に呼んだ。悟省はげっそり肉の落ちた頬に髭だらけの姿で、禅師の前に現れた。禅師は悪臭を気にする素振りも無く、悟省を招き入れた。
 鵺を描くよう命じた、あの日から数えてちょうど五年目になる。
 雑務を命じた後、黙って退出しようとする悟省の背中に尋ねた。
「描けたか? 」
その瞬間、悟省の暗闇に小さな稲妻が閃いた。
「描けませぬ。ですが、わかりました」
「ほう、何をだ? 」
「鵺の姿を、追うことに、これで、いいのだということが、無いということを」
 悟省は一礼して、何事も無かったかのように庫裏に向かった。
「吾の心、省けたかな」
 禅師は静かに微笑み、ひとりごちた。悟省の瞳に映る狂気のことも、もはや映らぬ禅師自身についても、いつかこうなるかもしれぬとわかっていたことなので悲しくはなかった。
 ある日突然「おれは鵺だ」と叫んで狂い死にしたという兄の、硬い笑顔を想い出していた。
 武士に矢を射かけられ、斬り殺された、その悲惨な死に様のことを。

 悟省が去った後、部屋の片隅に丸められた紙くずが落ちていることに禅師は気づいた。鼻でもかんだのかとつまみ上げたが、墨の色が気になって平らに拡げてみた。
「これは……」
簡潔な線と上品な濃淡で描かれていたのは暗雲に囚われた悟省の姿だった。ただ、猿の頭のようであり、狸の胴に見え、虎の腕としか思えず、なぜか蛇の尾が生えていると思えた。
 そのとき、どこかの闇の中で虎鶫(とらつぐみ)の鳴く不気味な声がした。
 禅師は電光に撃たれたように、よろめき倒れ、板の間に頭を打った。
 そして血を流しながら、気でもふれたかのように大笑いしたのだった。
「わしも祟られたか。これは愉快。わははは。」
禅師は、その絵に別のものを見ていたのである。
 道に迷った弟子のためであった。
 しかし、もしかしたら、悟省なら、兄が「ほんとうは」なんであったのかを見せてくれるかもしれないと。
いつのまにか、涙があふれていた。

 秋の夜のことである。
 悟省は、足を満足に動かせなくなっていた。食い物にまで気が回らず、何も食わない日が度々あった。不思議と腹も減らぬから放っておいたら、この様だ。
 いつも通り托鉢をし、京の市で墨を買い、引き摺る足で帰りが遅くなった。
 寺に戻ってみると、納屋から火の粉混じりの黒煙が上がっていた。蝋燭の火しか思い当たらない。火が出た。
 瞬く間に納屋を包む炎。僧たちが慌てて集まってくる。
 呆然と眺める者たちの中で悟省だけが、何かに気がついた。
 視線である。
(そこにいる。来ている。「あれ」が)
 僧たちの制止を振り切り、納屋の中に飛び込んだ。辺り一面の炎。今まで描いた数多くの化け物が巻き上げられ、燃え崩れながら、ひらひらと踊り狂っていた。
 立ち尽くす悟省は見た。狸の胴。虎の腕。蛇の尾。そして。
(なぜ俺には炎の中にそれが見える? )
 今まで紙の上に与えてきた形が、炎の中に映っていた。
 実際にそこに何かがいるのか。
 頭の中で炎の中に描いたのか。
 ともかく、「それ」は生きていた。
 「坊……」と誰かの声がした。いや、声ではなく子守歌や鳥の声のようであった。
 それは、あの時見た、腐って目玉が抜け落ちた女が、猿と混ざった貌をしていた。
 あの時。
 
 (もう俺にはこれは必要ない)
 悟省は懐から筆を取り出し、なんの未練も抱かない手つきで、そっと炎のなかにくべた。
 (おれは描けた。)
 暗病みから霹靂が走った瞬間、落ちてきた梁が悟省を下敷きにした。
 炎に包まれた悟省は満足そうに笑っていた。
 もう、すべてがどうだってよかったのである。

 翌日、梁の下から折り重なった黒焦げの男女の亡骸が掘り出された。女が何者かは誰も知らなかったが、これも縁あってのことと、同じ墓に葬られた。
 卒塔婆にはただ、「悟」とだけ書かれた。

作 中田 淳一


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?