万年三日坊主が習慣化できた理由

「note見たよ。けっこう続けて書いてるんだね。なんで続いてるの?」


久しぶりに話した友人から何気なく聞かれた。あらためて自問してみた。すぐには答えが出なかった。


だーくんの発案を目にしたことをきっかけに、私も乗っかってみよう♪とかなり軽率に始めた #アドベントnote企画 。note自体3年前に始めているのに投稿数はあまりに少なく、三日坊主を繰り返している私。

そんな私が過去初?かな。中身の濃さは目をつぶったとして、3週間近く投稿を続けている。なぜなんだろう。



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習慣化にモチベーションはいらない。
何をやっても続かないと自らにさじを投げてきた私が、今年に入り人生で初めて習慣化に成功したことがある。早起きと、朝のワークアウトだ。


これは、なぜ実現できたのだろう。


振り返ると『小さな習慣』よろしく、小さすぎて失敗すらできないほどの小さいこと…コーチングでいうところのベイビーステップを積み重ねるうち、次第にモチベーション(=感情)に左右されることなく身体が動くようになっていったのは確か。


モーニングワークアウトの例でいうと、最初はライブ配信の時間に目覚ましをセットし、ちゃんと起きてアラームを止めることができただけで「やった!」。冬場は30分前に目覚ましをセットし、エアコンをつけるだけで「やった!」。そのくらい、小さいところからスタートした。


じゃあnoteはどうだろう。

公開で投稿している時点で人に見られることは織り込み済みなはずだが、発信し見てもらうためのアピールは全くしていなかった。他者目線を一切意識しない、公開されているただの日記。

「まずはクリスマスまで」。
何日か続けていくうち、勝手にそして人知れず投稿しているだけのnoteを一人、二人と見てくれる人ができた。感想まで寄せてくれる人ができた。


誰かがどこかでこう言っていた。「見られている(読まれている)という意識がモチベーションになって続けられる」のだと。後半は特に、それに似た思いが自然と私の筆を進めてくれている気がする。


とはいえ、やっぱり私は発信者ではないし相も変わらず公開されているだけの個人日記的スタンスのまま。他人からしたら一ミリも面白さのない文章ばっかりだろう。それでも書くことが習慣化したから、あとは比較的オートモードで続けられている。


はじまりは特に思い入れがなかった分、終わりのについてもまったくノープラン。最初はクリスマスまで…のつもりが気づいたらもう年末だ。


ニーズの有無は度外視し、こうなったらいつまで続くか自分で自分の行く末を楽しみながら見てみたい。


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