愛は残れど恋はしぬ


 ❜7年で、どんな男女も恋は死ぬ❜

 自分が数年前に、斜線をひいた本の一言に胸がきゅっとなった。

何度も経験した。恋は死ぬこと。
愛に変わる経験もしたけど、わたしがいつも求めているものは、
男女の恋だった。

永遠という希望に満ちたむしろフィクションな言葉の意味を、経験とともにないことを知ったから。
そんなもんはドラマかなんかでやってくれよ。とおもう。現実は夢など見させてはくれない。
生活はロマンティックとは正反対だからだ。バツイチだからこそわかる。育児の隣にエロはない。

1月のある日、子どもたちの夕ごはんをつくり食べさせ毎日の生活を終わらせた。
同じ家に住む仕事を終えた恋人と、待ち合わせをして、飲みにいったんだ。

6月で7年目を迎えるわたしたちは、お互いを彼女と呼び、恋人と呼ぶ。わたしたちの関係は名前がないから、めんどくさいからパートナーと呼ぶこともある。
そして同じ屋根の下で住む家族でもある。

駅で恋人を見つけて、ん?なんだこの感覚。ってなんか懐かしいような、なんか覚えてるような。
 自然と彼を見つけたわたしは写真をとっていた。

子どもが大きくなったからこそできた、特別な時間。

たしかにすでに愛よりの恋かもしれない。いや愛なのか?これは。
アホな顔を寝顔でさらしても、嫌われない確約があるから愛なのか?

生活を共にする相手に恋心をmax100でもつのは難しいことはしってる。

それでも懐かしい、なんか見た光景にわたしは涙がでそうになった。

よく結婚しないの?と聞かれるけど、
恥ずかしげもなく本音をゆうならば、言いたくないけどゆうならば

一生恋人でいたいから。儚いものにだれよりもきっと憧れてる。運命なんてふざけんな なのに、だれよりも信じてる。

心がきゅっと痛くなったのは、本の一文を思い出したとともに、
もしかしたら 7年の恋の死は わたしたちには当てはまらないのか? (6年続いただけで大往生だろ)

と思わせてくれる恋人が隣にいるからだ。

この懐かしい思いは、わたしたちが二人で作り上げた思い出だからだ。

6年目も佳境をむかえ
7年目の恋の死はあるかもしれない。
それでもあなたが隣にいてくれること。毎日名前を呼んでくれること。

死にたくなる夜も、いつも大丈夫。そばにいるよと、チョコレートを買ってきてくれること。

甘い夜なんてないけど、
恋が続きますように。といつだって心から思っている。

そして無事に生きて今日もお家にかえってきてほしい、と本気で思っている。





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