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信心深く何かをしてみる

自分のために何かをすることは難しい。
思い切って決めたとしても
気持ちの維持は自身の
モチベーションに左右されがち。

一人暮らしをしていた頃、
これといった来客を見込んでいなかった。
そうなると次第に部屋の掃除が億劫になっていた。自分の城は常に綺麗にしようと意気込んでいたはずなのに…。

一方、会社の中では人並みにきれいにしていた。定期的な社内の5S活動があり職場ごとで切磋琢磨をしながら清掃する様はさも働きアリを連想させるだろう。周りの目もあった。しかしそれ以上に清掃することへの抵抗はなく「給料のうち」と浅ましく考えずに黙々と取り組めていたと思う。

状況が異なれば自身のやる気も変わってくる。
その根源にあるのはなんだろう。

今回はそのモヤモヤを
ベトナムの年末を過ごしてみて
感じたことをベースに書いてみたい。

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〈ベトナムの年末年始〉


ベトナムでは西暦より旧暦が重んじられる国だ。
とはいえ西暦の正月もある程度盛り上がるのだからあくまでグラデーションの濃淡の話である。
その中でも旧正月=テトの前後は最もベトナムが活気づく。これは西暦よりはっきりとお祭り気分にさせられるのだからはっきりと解る。

2週間前くらいには各家庭の前にベトナムの国旗が掲揚され、日中は掃除や修理の音が騒がしく、夜になるとあちこちで忘年会とカラオケ三昧。徐々に帰省するバイクの群れ、
溢れかえる市場周辺。至るところで桃や菊の花、金柑の木が売られる。普段ガラ空きのカフェにもお客さんが所狭しと座って談笑する。

次は上記のベトナムの年末年始の様相を以下のキーワードから考えてみる。

①仏教的思想が浸透している
ベトナムは多宗教の国であり一番多いのは仏教徒だそう。それでも全人口の約10%程度の信徒数であり、ベトナム人の殆どはいわゆる"無宗教層"である。ただ、「初詣に行ってお参り」「仏壇に線香をあげる」のような宗教に絡んだ行為は日本よりベトナムの方が厳格だと感じる。

先ず、各家庭には必ず仏壇がある。
旧暦の1日と15日には必ず仏壇に仏花とフルーツ、お酒をお供えし、線香をあげる。
線香は3本、線香を手で挟みながら土地の神様やご先祖様にお祈りをし3回手を縦に振った後香炉に立てる。また、旧正月の一週間前になると「オンタオ」という神様が各家庭の出来事を天に報告するため、その乗り物である鯉を買って近くの川に放流するというイベントがある。
大晦日にはバナナを入れた5種類のフルーツと仏花、天で使えると言われる通貨をお供えする。とにかく一番豪華にすること!

簡易的に仏壇を設けている。一家にひとつ。

1日0時を迎えたら家の前で花火や焚き火でお祝いするのだが、隣近所の家に入ってはいけない。必ずその年の生まれや干支、妊娠の有無などを考えて「縁起の良い人」が一番最初に家に入らなければいけない。
3日くらいまでは掃除をしてはいけない。運を逃してしまうから。門は常に開けておく。神様や良い出来事を家に招き入れるため。

などなど、覚えるのがとても大変だ!

②経済状況

毎年ベトナムの国の機関が「テト休暇」を発表している。これは西暦を基準にすると旧暦のテトは毎年日にちが異なるためである。それに合わせて各企業も概ね休暇にしている。

運送会社は一定期間軒並みストップ。運送会社を通して物を仕入れたり販売する会社も休みを余儀なくされる。都市部に住む人のうち、地方に実家がある人はほぼ必ず帰省する。
都市部は現地の市民のみですっからかん。地方は人で溢れかえる。
例外として、正月に働くと時給が2倍〜3倍近くあがるという。これは法律で定められている。家族に会うためにに帰る意識が強いベトナム、働く人は少数と聞く。

地方の市場は大盛況。
これは上述したお供えの文化が根強いためと、正月はどこもお店が営業しないために食品を買い込むため、さらに親戚が新年の挨拶に来た際にお菓子やお酒、食事を振る舞うためでもある。
また、車やバイクの洗車もこの時期にするため、洗車サービス店にはかなりの数の車両が停められている。



ごちゃごちゃ書いてしまったが、
簡単にまとめると

ベトナムの特に年末年始は仏教由来の文化やしきたりが色濃く残るため、それに合わせた行いや経済活動を皆している。
それを法律で緩やかに囲うように。
だからこそテトは西暦の正月より重んじられるというわけだ。

※ただし、今挙げた例は私の周辺の地域で一般的な文化なのであって、地域ごと、民族ごと、宗教ごとによって異なります。


祝砲をあげることでお正月の到来を五感で感じられる。

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〈自分の部屋を綺麗にするには?〉

郷に入っては郷に従え。
私がベトナムに移り住んでから十分でないにしろ文化やしきたりを勉強してきた。
今ではよく線香を立てている。お祈りは日本語で想像しているためベトナムの神様に届いているかはわからないのだが(笑)

家をきれいにする。

お供えをする。

国旗を掲揚する。

こういうことは自分の意思だけでできるだろうか。
無理とは言わないが難しいと思う。
なぜなら皆がしなければ次第に周りに合わせてしまう心理が働くからではないだろうか。

一昔前の日本では
保存食であったおせち料理は手作り。
玄関前には門松やしめ縄は当たり前だったと思うのだが、今はどうだろう。時間や経済的な側面、文化の簡略化などによって随分と形が変わってきている。
文化とは時代によって少しずつ変化することを是とすると、それも文化の一つと許容できる。


ベトナム版おせち「バインチュン」を作った。
「バインチュン」も作る時代から買う時代になってきている。それだと寂しいから毎年つくるつもりだ!


だが、文化を維持させていくためには
周りの人の生活が双方から見えること=開放的な社会的コミュニケーションが必要だろうし、皆が普通にやっているからというある種の同調圧力も少なからず必要だろう。そして法律などのある程度の強制力が働くことが大切なのかもしれない。

つまり文化は一人で維持するものではなく皆で維持するものだと感じた。

ベトナム人が信心深いと思うのも目に見えない何かが一部そうさせているのだと勝手に思っている。
以前、来客があることを知って家の中を掃除したのだが、お客さんの一人に「天井にクモの巣があるよ、とらないの?」と指摘された。

もしそう言われなかったら今でも頻繁に天井を見上げることなく、お客さんが来る前に蜘蛛の巣を取り除こうとしないのかもしれない。
自発的な行動が望ましいが、その行動する理由の一つには「言われる前に行動しよう」という受動的な理由があっても然るべきだろう。
また、指摘してくれるだけでもありがたいとも思う。特に包み隠さずよく話す性格のベトナム人だからこそありがたいと思うのだ。

以上のことから、もし部屋を綺麗にしたいなら他人を呼ぶことが必要なのかもしれない。


国旗の掲揚を怠ると罰金が課せられる。
これも文化を維持する方法のひとつなら。

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〈少しずつ変化する文化〉

少し前のベトナムでは
3が日は完全に店が閉まっていたそう。

だが、旧暦の2日になると、ちらほら雑貨店やカフェが営業している。

ベトナムの名目GDPは上昇したが実質GDPは去年より低下している。細かく見ても不動産を中心に高止まりしており、肌感覚でも経済的な余裕が少しずつ低下しているように見える。

文化的に大事な3が日に営業しているということは、色々な事情がありそうだ。

厳格な文化は少しずつ緩和していくのだろうか。それは自由を手に入れた代償に文化の変化を意味しているのだと思う。

数十年後ベトナムはどうなっているのだろう。

一市民の分際で勝手に神様のような視点からベトナムを観察することは楽しくもあるし儚くもある。

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〈信心深くなにかをしてみる〉

人間は大小さまざまな決断を行うと
その後のパフォーマンスに良くない影響を及ぼすという。
有名な話では、Appleの創業者スティーブジョブズはほぼ毎日黒のタートルネックにブルージーンズと決まった服装を着ていた。これをノーマルとコアを合わせて"ノームコア"と言うらしいのだが、
決断の効率化の一つだそうだ。

個人主義の現代において決断は多い。
起きたら朝ご飯、着る洋服を決め、何時の電車に乗って何分で歩くと何時に会社に着き、マルチタスクをこなし、昼食は嗜好に合いリーズナルブルな価格の昼食を探し…なんて決断をしていたら帰った頃にはヘロヘロで出社前に決めていた夜の部屋の掃除なんて面倒くさくなってしまう。

ここで自身の決断に頼るのではなく、
「大義のため」に行動することが望ましいと考える。
例えば、
年神様を迎えるために大晦日までに大掃除をするとか、トイレには神様がいるから綺麗にしないといけないとか、〇〇のために、〇〇が見ているから等、理屈を超越したような理由があると
良い行動が維持できる。
ベトナム人は毎朝玄関の前を掃き掃除する。これはいつでも来客を見込んでいるからだ。だからこそ自己満足にも浸れるし、良い習慣を維持できている。

何かを信心深くやってみることは良い習慣を維持する方法のひとつに思える。

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〈余談〉

旧暦の大晦日にようやく掃除が終わり一息ついていると近所の子どもたちが遊びに来た。
私はよく子どもたちと遊ぶので、その日もバトミントンをしたり鬼ごっこをしたり。
トランプを買ったのでババ抜きを教えてあげた。

子どもたちは私の拙いベトナム語を遊びながらよく聞いてくれる。
ベトナム語を練習、実践するには意外にも子どもたち相手の方が良いのかもしれない。


ちょっと光る石ころを集める「ダイヤモンド探し」をする筆者と近所の子どもたち。

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