まずは、該当論文は、こちらです。
(※ダウンロードできます)
以下、こちら小論文の目的を、本文から引用します。
次に、本小論文は「双極性障害」についての概略を示す。
この語、小論では「語りの内容分析」について言及している。
上記の文章では「患者にとっての双極性障害の回復は医学的に定義される回復とは異なることを示唆している」という着眼が、当事者の私からすると、頷ける見解であると、とても納得できた。
本小論文の「結論」は、以下である。
この結論部分で明らかなように、本論は「物語」研究のための方法論的試論として、少しばかり「物語研究」という分野に精通していないと、その記述内容への理解が深まらないばかりか、場合によっては理解不能に陥る可能性も否定できないが、前述したように、「患者にとっての双極性障害の回復は医学的に定義される回復とは異なることを示唆している」という指摘を行った、その意義は大きいように思われる。
つまりは、医学書に書かれている「双極性障害」に関する知識を、如何に散見し、情報を増やしても、患者本人の、双極性障害からの回復とは、必ずしも関係性がない…ないしは無関係である…という意味である。
この点を理解した上で、双極性障害の当事者は、双極性障害について書かれている文献を読むに値するかどうか、判断する必要があるのではないだろうか?
これが家族や、当事者の周囲にある友人や知人であれば、双極性障害に関する「一般書」の知識で十分である…ということ。
「専門書」や「学術書」で求められる知的難易度は、それが、いくら学習効果により読解力が向上し、理解が容易くなったとしても、必ずしも、双極性障害の「当事者」や「家族」が求める情報とは異なる…ということである。
将来、精神保健福祉士(PSW)になる以上の知識を、双極性障害の知識のみを「深掘り」した場合には得ることになるが、精神科医を目指すことのない人生設計の読者層にとって、学術論文を読むことの意味を、しっかりと判断し、その該当する論文全体の中から、最小限、必要な情報を抜き取る能力を目指すのが望ましい…と思われる所以が、ここにある。