名前 それでも生きる SNSアカウント twitter→https://twitter.com/fhx9Jzyh9ksZoRY 趣味、好きなこと 《ここで主に書こうと思ってる》 旅、旅行。 →なにが好きかは下の方で語るぜ 《芸術》 芸術の好きなところは、どのジャンルでも作者さんの人柄、人生など、深掘りすると見えてくるものがたくさんあり、作品を通して一人の人間と対話しているような気分を味わえるところです。 小説、詩 →今は明治とか大正、昭和前期あたりの、所謂文豪と
※虫の写真があります。苦手な方ごめんなさい。 7月15日 白んだ夏の色彩と共に灰になった心をどうにかしなければともがきながら生きている。旅も小説も登山もその一環だ。外に出さえすれば、きっと気分が良くなると願って。 何でこんなことしてんだろ自分 ↑浪人した主な経緯。供養。 私はきっと親の言う通りにして文転もせず、国立理系に進んで、“食いっぱぐれない”仕事に就くべきだったんだ。そうすればこんな風にして浪人という名の穀潰しになる事もなかった。 でも、これだけは知
10年くらい前の、長い長い梅雨を思い出している。毎日、りっくりっくらんみたいなきいろい長靴を履いて、お気に入りの傘をさして、小学校に行った。蒸し暑い、雨の匂い。下駄箱は靴下が濡れるから上履きを先に履いて、その後に長靴を曲げて狭い靴箱に入れる。廊下は走んなくても転ぶから気をつけてって先生がよく言っていた。5月の、アツアツのフライパンの上みたいなグラウンドで運動会をしたと思ったら今は、沢山の雨で校庭はすっかり見る影もなくなっている。 雨は、5月末から7月の初めまで、ずうっと降
※内容が暗めなのでわざわざ自分から気分を害したくないという方はブラウザバックを推奨します 5月25日 どうしようもないウツウツとした不安が大波となって一斉に押し寄せ、思い出も安寧も友人も家族も、その全てを薙ぎ倒していく。 強迫観念、自己否定、希死念慮。 意識が、水底から浮き上がってくるようにぼんやり戻ってくる。午後五時、六畳の部屋、ベッドで目を醒ました。息を吸う。閉め切った部屋の、澱んだ空気で。今にも泣きそうになりながら、それでいて一生懸命に何かを堰き止めようともが
春も近づくある冬の宵 海。海。海が見たい。この目で、かみしめるような海を。 睡眠や食欲と同じ速度で海があった。急に、思いついたように何気ない自宅のリビングの風景が縦に別れて、いつか見たあの海がぐわっと目の前に迫ってくるような幻想をよく感じては行きたいと、そのために生きたいと願ったりするほどに、私には海があった。 そうだ、明日は4時起きの始発で日の出と海を見よう。そう閃いたのは2月の下旬、まだまだ日の短い冬の終わり。こういう思いつきは熱のあるうちに実行するのが吉だ
やっぱし自分はここでは日記とか旅とか、そういうことについて明るく発信していく方がいいのかも知れない
【警告】唐突に虫や爬虫類の写真が出て来ます。苦手な方は、ブラウザを閉じてください。 4月25日 やっと、雨が上がったんだ。このところ最近ずっと降り続けていたから、自室の六畳間いっぱいに晴れを見たときはつい嬉しくなった。 外に出よう。服を選んで、リュックサックに荷物を詰めて。どこに行くわけでもなくても、ただそれでいいから。 ひんやりとした玄関のドアを開ける。 四月の初めには満開だった桜はもう散って、肌をひりひりと刺すような夏の日差しが五月の到来を告げていた。
4月2日——深夜テンションの殴り書きに、少し追加。 浪人した。正確には現在進行形で浪人。何でこうなったかといえば長くなるが、簡潔に言うと自分の気持ちを曲げたくなかったからだろうか? 以下、浪人に至るまでの経緯 文学が好きで、理系だったが親の希望を突っぱね文転。 大学ではせっかくだから好きな事を学びたいと文学部を志望。就職せず作家になりたいと思う。 凡そ400万溶かして就職できず最悪ニートになるかもしれないという未来に怯える。 親が自分の志望校の悪口を言い出す。 周り
私小説って子供時代から書くべきなのか、今までの人生でいちばんの重要なイベントから遡って記憶をおこしてその都度書き綴るのがベストなのか、初心者すぎて分からない
※まだ肌寒い風のふく冬の終わり頃、2月下旬。公開が3月中旬となりましたのは筆者の筆が遅いせいです。ご理解ください・・・・ 祖母という人 まず、先日旅をしたいと書いたが、これは旅ではない。見知らぬ街を彷徨うでもなく、ひとつの場所に長い間滞在した訳でもない。一足先に花見に行ったというだけだが、この外出で刹那的に沢山の感情が溢れ出したのでまとめておこうと思う。 ここで大事なのが一緒に出かけた、今年で82歳になる祖母だ。昭和18年生まれで、私は平成18年生まれ。彼女は第二次大戦
なにか感動や体験を伝える。相手はうんうんと頷いたり、へえそうなんだとリアクションをしたり、あるいは聴いてるふりをしてほかの事を考えたり、そんな話興味ないよと話題を変えたりする。このいずれにしても、あの時感じた苦しみや悦び、体震える感動を、自分と完璧に同じように受け取ることのできる人間は存在しない。出来ているように見えても、それは相手が独自に想像で補完していたり、過去の体験に重ねていたりするだけだ。自分が与えたかった感動とは違うものを受け取ってしまっていて、そういう時私は少し
受験も終わり、春から晴れて大学生になる。18歳。成人という節目で、将来自分が何をやって生きていくのか、どんなふうに生きてみたいかと考えた。その結果、何を仕事にして食べていくかとは別に、人生を豊かにする目的で、旅をしたいという一つぼんやりとした望みがあった。日本に生まれ、育ち、今まで沢山の人にであった。自分が今まで生きてきた、これからも生きていく場所。そんな日本という国の景色を、もっと知りたい。私は旅をすることで人々の暮らしや日常を垣間見、そこに自分を重ねて、生きることにエネル