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始発の便で海を見に行った話


春も近づくある冬の宵


 海。海。海が見たい。この目で、かみしめるような海を。 

 睡眠や食欲と同じ速度で海があった。急に、思いついたように何気ない自宅のリビングの風景が縦に別れて、いつか見たあの海がぐわっと目の前に迫ってくるような幻想をよく感じては行きたいと、そのために生きたいと願ったりするほどに、私には海があった。

 そうだ、明日は4時起きの始発で日の出と海を見よう。そう閃いたのは2月の下旬、まだまだ日の短い冬の終わり。こういう思いつきは熱のあるうちに実行するのが吉だと、早速地元でいい感じの海岸に行くことにした。神奈川県、小田原、御幸の浜へ。


 4時20分にアラーム。がばっと起き上がって支度をする。誰にも言わずに家を出よう。いっそこのまま消えようか?家族にバレないようそっとドアを開けて、鍵をかける。
 外にはまだ夜空、西に流れたのは月、瞬く星が2、3、静謐な住宅街、暖かいジャケットにもこもこした裏地のジーンズとスニーカー。かろうじて息の白まない関東の冬の終わり。訳もなく走りたくなったから、月と一緒に駆けた。
 日の出時刻は6時12分。5時手前の始発でおよそ1時間、小田原駅から20分…………ってこれじゃ間に合わなくない?!…………い、いや、間に合う。私なら出来るさ!厚着して走る体温が冷静な思考を奪い、高揚感と海への憧れだけで呼吸をする。ハッハッと息を荒げて無我夢中に走る。これが思い出になる。そう確信しながら。パスモはあるか、財布は?寒い、サンダル履けば良かったな、色んな思考を振り切ってそのまま最寄り駅へ。

 誰も居ないと思ったけど、駅にもぽつぽつ人はいる。下り電車でも車両に数人。意外。こんな朝早くにどこ行くんだろう。
 スマホを触るのは野暮だと、電車の中で景色を眺めていた。東の空がぼんやり明るい。もう朝が来るのか。


⇈夜明けの疾走感。焦燥、不安と、それらを吹き飛ばす高揚。走りながら、この曲が頭に流れてた。


 夕焼けはよく眺めるけど、朝焼けを見た記憶は生きて来た中で本当にない。車窓からの景色で、ようやく違いがわかった。
 こんなに明るいのか。太陽は。だんだん暗くなっていくのと、だんだん明るくなっていくのじゃまるで印象が変わる。朝日が希望の象徴のような扱い方をされるのがよく分かる。胸の底が明るくなるような、澄んだ心が呼び覚まされるような。生命力。光を初めてはっきりと尊いと感じられた瞬間だった。人間が毎秒ずつ忘れていく生の活き活きとした実感を、自分は少し取り戻したような気がした。

 暫く揺られていた。西の月が紫の空に白く映えて美しい。東は対照的に、紅く輝いて燃えている。まだ太陽はかろうじて顔を出していない。それでいて、この存在感。凄まじい生命のエネルギーが大地を揺さぶっている。それが私の全身に共鳴して躍動する。我を忘れるように空に見惚れながら、冷静に電車の揺れるのを諦観する自分がいた。車内アナウンスを聞く。そろそろ次の駅だ。
 ほどなくして、途中下車して車両に自分以外の誰も居なくなった。ガタゴトと列車の揺れる音だけが響く。ふいに錯覚する。もしかしたらこの地球上には、自分と太陽以外の生物は存在しないんじゃないか?実は人類は既に滅亡していて、私は最後の生き残りで、死ぬ前にせめてと旅をしている最中なんじゃないか?その瞬間私は、街を走る車、電車の運転手、学校の先生、友人、家族、その他諸々の人間の一切を忘れた。寂れた街と自然と、自分だけが懸命にこの世界に存在している——車両の光と影の当たり具合に見惚れ、窓を少し開けて風の匂いを嗅いだ。


 海の匂いがする――――――――――。



  勿論次の駅で普通に人が来て、妄想の世界から一気に引き戻された。急いで窓を閉めてキョロキョロして、私なんもしてないですのふり。これ乗ってきた人からしたら、先客が窓から外の匂い嗅いで上の空で朝ぼらけに浸ってるのを見ないといけないわけだ。恥ずかし。うわ恥ずかし。苦し紛れにスマホで潔く小田原駅の構造と出口、海までの経路を確認。よしあとは駅に着くだけ。待ってろ日の出!…………正直恥ずかしいのでここから逃げ出したい。顔が赤いのを朝日のせいにして、おとなしく席に座った。



 いよいよ小田原。

 時刻は5時55分。ギリギリ。……行けるか?!いや、行けるかじゃない、やるんだ!!!
 少年マンガとかによくあるセリフを脳内で叫んで走り出す。(ぶつからないように気をつけました。実際ぶつかりませんでした。)Googleマップで現在地を確認、よし、南へGO!気分は走れメロス、セリヌンティウスが海だ!!(メロスは日の入りだがこっちは日の出という違いは無視)駅を抜け、小田原城らへんのよくわからん道を捌く。道に迷った。間に合わない!
 現在時刻6時10分。住宅街を巡る。ここだ、ここらへんにあるはずなんだが……うりゃ??
 気づくと、家々に青いMIYUKINOHAMAみゆきのはまの看板が貼りついている。家によっては3個とか、めちゃくちゃ貼りついている。なにこれ?どこで買ったの?どっかで貰えるの??わからねえ。だが看板の矢印は確かに海の所在を告げている。

 6時12分!!日が昇ってしまう!!…………いや、まだ昇らない。私が海岸に辿りつかない限り、日は昇らない!走れ!!
 疲れて苦しいはずの息もリュックの重みもどこかへすっとんだ。大地を蹴る脚の躍動と、鼓動する命だけがこの世界の全てなのだ!青い矢印の示す方へ、太陽の昇る方へ。海の声が聞こえる。もうすぐそこだ!!!


――「それだから、走るのだ。信じられているから走るのだ。間に合う、間に合わぬは問題でないのだ。人の命も問題ではないのだ。私は、なんだか、もっと恐ろしく大きいもののために走っているのだ。ついてこい!フィロストラトス。」

太宰治「走れメロス」より

 走り抜けた家々の曲がり角で、トンネルを発見した。その先に、浜と波があった。

ハァ、ハァ、……ハァ、………………ハァ、
…………………ついた。





 ワーーーーーーーッ!!!と叫んでへたりこむ。呼吸を繰り返す。平静に戻る間に太陽が昇りきってしまうのが惜しいから、そのままゆっくりと辺りを散策した。ウォーキング。よく周りを見渡すと、ちょくちょく人いるもんだね。日の出拝みに来る人、まあいるか。…………思いっきり叫んでしまった。また恥ずかしい。でもそれよりか達成感の方が大きいや。充実。おはよう太陽、また今日が始まったね。


月、山の端へ。おやすみなさい、また会う日まで。


 息が落ち着いた来た。波を眺める。


フネ。


 波の音。大きい。動画で見るより、聴くよりずうっと大きい。地球が鼓動している。合唱曲「地球の鼓動」の冒頭も誇張ではないのだ、童謡「うみ」もそうだ、「海の幽霊」の胸の震わせるサビも本当だ!

 海。全生命の故郷。何十億という幾星霜の進化の原点。なぜか懐かしい。全自分のオリジンがここにあるという確信。ひょっとして、胎児の時の、羊水の中の記憶だろうか?親の顔が浮かぶと年頃なので気持ち悪くなった。むりやり海最高!!ということにする。

 裸足になった。冬なので砂がもう冷たいが、やってやる。水は外界の温度が伝わりにくいからいける!いざ海へ行かん!!!


 バッシャーーーーーー!!!!!!!!!


 ………………冷たかった。裸足のまますぐに靴を履いた。後悔。


 気を取り直して。

 陽の光が波に反射している。まるで道みたいだ。光り輝く波を走ったら、きっと太陽に辿りつくという予感がする。そんなことはない、まず水の上なんて走れないしとか、次に地球の重力を振り切るのがどうだの、宇宙を泳いで太陽に向かう距離と年月がどうだのとか、科学的なあれこれの理屈はすべてぶん投げて、私はあの光の一つになって空に輝いていたい。


 なんだか思考が理系よりになってきたな。そしてそれと同時に、達成感とかいうものが薄れて、凪のような静かな海に心が引っ張られ、冷静になってくる。
 人生は、もしかすれば元素とか生命の神秘とかなのかもしれない。

 きっと太陽も海も私も、ぜんぜん違うようで、どっか似ている。水素がちょっとずつ含まれてるとことかね。
 この世界に存在する元素の数はおおよそ決まっているのに、その組み合わせや量で性質が変わったりするのが不思議だ。無機物、有機物、はたまた生命までも、元素の集合体でしかないのに。
 太陽と海と自分。全て元素の集合体。なのにどうして、自分だけがこんなに汚いと思えてくるのか。心があるからか?人間だからか?なんなんだ。空も星も、月も太陽も、海も等しく美しいのに。もう醜い心を捨てて、私はその一つになって消えたい、人間を止めてしまいたい。

 生命にはなぜ心があるか?ただの元素の集まりがなぜ生命となり、心を手に入れたのか。なぜ人間は高度な知能を持ち、それゆえに苦しまなければならないのか?海よ、教えてくれ。私には分からない。



 6月の今日、ふいに海の事を考えたんだ。あの日の疑問の事を。生命がどうやって出来たかとか、進化の過程で心がどう生まれるかとか、そんなのは一生考えなくていいことなんだろうけど、自分には分からないんだ。どうせ死ぬのに、どうして生きるのか。なぜ苦しまなければならないのか。いったい何のために?分からないんだ。

 でも、「汚い私」を洗って綺麗にするのは、少し出来るような気がする。海風を食べて、朝日を飲んで。そうすれば、あの空と、星と、美しいすべてのものとひとつになれるんじゃないか?部屋にさざめく光に生を見出すとか、育てている植物の青を眺めるとか、そういう繰り返しで綺麗な心になっていく。それを待っていようと思う。

mammaruさんという工房にお邪魔して購入した、宮沢賢治の「注文の多い料理店」序。
前半の、自然に対する感性のあり方が好き。


 私自身の心が綺麗になれなくても、美しい自然に触れ続けることで、少しずつ変わっていけるのではないかと思う。海も、そのひとつでありたい。

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