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梅雨前線、消滅警報


 10年くらい前の、長い長い梅雨を思い出している。毎日、りっくりっくらんみたいなきいろい長靴を履いて、お気に入りの傘をさして、小学校に行った。蒸し暑い、雨の匂い。下駄箱は靴下が濡れるから上履きを先に履いて、その後に長靴を曲げて狭い靴箱に入れる。廊下は走んなくても転ぶから気をつけてって先生がよく言っていた。5月の、アツアツのフライパンの上みたいなグラウンドで運動会をしたと思ったら今は、沢山の雨で校庭はすっかり見る影もなくなっている。
 雨は、5月末から7月の初めまで、ずうっと降り続けた。私はカタツムリとかナメクジとかオタマジャクシなんかを捕まえて、伸ばしたり投げたりして(子供特有の鬼畜)、梅雨を楽しんだものだった。雨が明けたあとは、サア夏が来たと、そういうワクワクした空気がクラス中にあった。騒がしい教室、夏休みはどこに行こうか、蝉の声、海、灼熱の太陽。夏の全てがそこにあった。


 私は今になって考えるのだ。あの梅雨をいつか、いつかきっと忘れるだろう。誰も知らない季節になってしまうのだろうと。今年は6月の中旬まで晴れが続いた。昨日はやっと雨になったけども、時にまだらに、曇りにもなった。今日は、また晴れ。昨日、雨の余韻で扇風機を付けずに寝たから、今朝はすっかり汗まみれになっている。最高気温は28°だそうな。

もう梅雨はないのだ。私の望む梅雨は。消えてしまった。幼い記憶だけが、幻のようにそこにあるのみだ。

 雨が鬱だとか、気圧が嫌だとか、そういうのはどうでも良いんだ。今はただ悲しいのだ、恋しいのだ。天はきっと、夏が来る前に、一回激しく泣かないといけない。そうでないとあの太陽の輝きを愛せないから。今の晴れどきどき雨を繰り返す梅雨じゃ、その後の夏を楽しめない。2020年くらいからだったか?こんなふうになったのは。———思い出せない———。暑い。暑い。元々、中国と朝鮮半島の一部、日本にしか存在しない季節だ。私たちが忘れれば、一体誰が思い出してくれる?

「おりおりに和暦のあるくらし」より。
こんなにたくさんある雨の名前も、消えてしまうのだろうか

日本は水の国なんて称号は、いつか無くなるのか?いや、まだそんなに危機的状況でもないのかもしれないけれど。先人たちの残した梅雨の情緒が消える。血と肉の経験ではなく、ただの文字になっていく。私はそれが、どうにももどかしい。

晴れとアジサイ。似合わないねなんてこぼしながら撮った一枚。
五月雨の物思いも、薬狩りも、もうない。誰も、そんなことはしなくなった。


 梅雨よ来い!私は、あなたの涙を待っている。空がめいいっぱい泣くのを待ち望んでいる。一緒に泣いて、泣いて、涙腺が溶けるくらい泣いて、その後に虹を、夏を見たいのだ。泣き止んだ空の、涼しくて透明な澄んだ空気と、雲から太陽が顔を出す瞬間に、私の顔が照らされる。私の頬が光に赤く染まって、泣き腫らした目が、美しい茶色に輝いて太陽を映すのだ。あの日の、いつかぶりの輝きを映すのだ。

 その瞬間、夏の始まる瞬間を、ずっと待っている!


 夏の始まる瞬間は、まさにその時だ!と梅雨があった時には感じられていた。けど今は、いったい夏がいつから夏なのか、天気と一緒にいつ泣いていつ笑えばいいのか、分からないんだ。あの夏を、十数年前の夏をもう一回。梅雨がなくなっても笑って迎えられる?そんな日がいつか来る?分からないよ。私はまだ、君が恋しい。

 雨の匂いの残るアスファルト、涼しさ、蝸牛、空、そこから顔を出すのは太陽、熱。夏を呼ぶ熱。

 この、henceforthを聴くとき、私はいつでも、さっき言った夏の始まり、雨上がりの空の匂いと温度、灼熱の太陽を思い出す。Orangestarさんがどういう心情でこの曲を書いたかなんて分からないけど、眼を瞑ってこの曲を聴くと、瞼の裏にはいつもそれがある。

 好きなんだ、梅雨が。まるで失恋をしたような気分なんだ。晴れた空はなんの慰めにもならなくて、私はまだ一緒に泣ける相手を探している。寂しさ。突然、何を言うでもなく恋人が目の前から消えてしまうような喪失感。心に穴が開いた。いつかまた会える?どこで?私はその時何をしているの?そもそも生きているの?未知。でも一人で、歩いていかなければならない。



—————深い、雨の匂い。昨日の豪雨はもう止んだのに、ペトリコールが、あるはずのないその独特な憂鬱感を、その余韻を、私の鼻の中にハッキリと引き残している。

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