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【激鬱】もう一人の自分と夕日を見る

※内容が暗めなのでわざわざ自分から気分を害したくないという方はブラウザバックを推奨します


5月25日


 どうしようもないウツウツとした不安が大波となって一斉に押し寄せ、思い出も安寧も友人も家族も、その全てを薙ぎ倒していく。
 強迫観念、自己否定、希死念慮。
 意識が、水底から浮き上がってくるようにぼんやり戻ってくる。午後五時、六畳の部屋、ベッドで目を醒ました。息を吸う。閉め切った部屋の、澱んだ空気で。今にも泣きそうになりながら、それでいて一生懸命に何かを堰き止めようともがきながら。…………肺に絶望が広がっていくのを静観した。

 「呼吸をやめたい」と思ったことは18年の人生で何度かあったけども、その全ては結局徒労に終わった。私には出来なかった。終わる生の、最後に思うことはなんだろうと考えると、それはきっと他人には言えないほど情けない感情で、自分のそういう弱い部分に押しつぶされながら遂げる自殺はきっと地獄だろう。死ぬことを諦めた。いつしか自殺を考える事自体、無謀だと思うようになった。

 ほんとうは、出来ることなら楽に死んでしまいたい。

 生きている限り、生きていなければならないのだ。呼吸をやめることは出来ない。この息を吐いたら、また吸って、吐いて。それを何千何万と繰り返して、いつか終わりが来るんだろうか。全てから解放される日が。………………それまでに何度、生きたまま心臓を抉り出されるような痛みに耐えなければならないのだろう。(………もっとも、それをどうにかする手立ても思いつかないから生きているのだけれども)
 吐息する唇の震えているのを、ただじっと聞いていた。また次の呼吸が始まる。生が、地獄が続いていく。

 何もできないのに今日が終わる。



 そのとき、ドアの隙間などから私が首を出すような幻想を感じた。ギョロリ、目玉だけを動かしてその方を見ると、やはり誰も居ない。しかし気を抜いた時に突然、ヒョッコリ出てきては話しかけてくる。私はそんな生きた心地のしないようなするような状況が好きだけれども、やはり私は私で、性格がどうしようもなく捻くれていた。される側の気持ちを分かっていながら、意地悪をするのだ。

「真っ赤に染まった夕日を見てみないか」

 私はドアの私から目を逸らす。太陽の光が微弱に透けたカーテンのシミの数を数えながら深呼吸して、

「……………………………頼む。それだけは勘弁してくれ」

「どうして?君はそんなこともできないのかい」 

 できない。できないさ。
 ある人にとって当たり前に出来るのを、あたかも全員が出来ると思ってはいけないんだ。………なんて綺麗事を吐くのも、言われるのももう飽きたのに、ずっと頭の中で誰かが叫んでる。ドアの私でもなく、ベッドの私でもない、もはや誰とも分からない声。一人で唱えるようにも、大勢で行進するようにも思えるそれは、「やめて」と言っても止まることはない。この声はどこから来るのか?いつからそこに居るのか?分からない。
 声がドアの私を攻撃する。ドアの私の傷ついた痛みがベットの私と共鳴する。私は、独りで加害者と被害者の両方の痛みを知るのだ。加害者と被害者、傍観者、ヤジ、すべてを独りで無意識に自作自演している。プッ!ちゃんちゃらおかしいぜと、傍観の私が真顔で笑っている。涙のない泣き笑いが伽藍堂の心を一層虚しく引き立てて惨めだ。が、それがまた悲しいほど面白い。
 もはや自分を虐めるのが性癖になっている。誰もここに入ってこられない。


 ドアの私がまた喋る。腹いせの八つ当たりか。なるほど、悲しみは痛みで誤魔化すものだからな、それもいい。

「だって、便所には行く癖に米は食べないし風呂には入らない、受験勉強のじゅの字もないじゃないの。このまま死んだように生きてく気なのかい」


…………………………ヒュッ。


(…………ヒョアア"ァァッアッ、、アア"ァア"ーーーーーーーーー!!)

 冷静も自嘲も非も全て棚に上げて、ベットの私は腹の底からうねるような声にならない叫び声をあげた。
 米は喉を通っていかないし、風呂はなんかもういいや今日はってなるんだよ。将来の事とかもうどうでもいいから勉強だってどうでもいい。全部どうでもいいし、大体お前は私を怒らせたくて煽ってるんじゃないか。
 勉強机の上に、メルカリで売るはずだった参考書が散らばっている。形だけ、と言わんばかりにルーズリーフに殴り書いた文字が踊る。———euthanasia安楽死———。
 赤シートで隠せない人生は花緑青だ、愛想笑いすら出来ない自分を嗤っているんだ。自暴自棄。バツもマルも、何のためにつけているのかすら分からない。インクの無駄でしかない。受験っていうのは、落ちれば負けなんだろう。そうだとすれば、このバツとマルですら、人生を全然違う方向に左右するような質量を内包しているようで恐ろしい。そんなことで決まってしまう人生が恐ろしい。
 言葉が身体の奥から飛び出ようとする。でも全部、喉に詰まって息が出来ない。黙って唇を噛み、自分を睨みつける。何を叫んでも意味がないから、笑われるだけだから。
 我慢した感情が重たい不快感に変わって心臓を締め付けてくるのがやりきれない。苦しい。鬱の時はいつもそうなるんだ。上手く息が出来ない。水の中で呼吸をしてるみたいなんだ、いっつもそうなんだ。

「………………分厚いカーテンの隙間から差し込む光に背を向け、ベッドにくるまって唸る君に私は何もできないのか。」

 唐突に優しい言葉の輪郭が部屋に溶ける。その声の柔さの裏に潜む闇を、私だけが知っている。ドアの自分が這い出て、醜い顔をしながら近くへ擦り寄った。……………醜い?
 確かにそれは、愛情を素直に受け入れられる側の人間からすれば、聖母にも似た慈愛と憐れみに満ち溢れた優しい表情なんだろう。しかし、必死に信じていた大切な人に裏切られ、捨てられた不憫な人間がその顔を覗けば、ヒェッと叫び声を上げ、たじろぎ、たちまち逃げ出すに違いない。ベッドの自分にはもう一人の自分が、目をぎらつかせ獲物が隙を見せるのを待っている獣のような形相をしているように見えた。

 実際、私は私に少しも同情してはいない。人間の一番美しく優しい部分を演じているだけ。気まぐれに気の向いた時だけ「君は悪くないよ」と頭を撫で、大好きだと褒めそやし、その実人間を見下している。偽善がバレたら捨てて、他の人間に乗り換えればいい。思いやりでもなんでもない、ただのエゴである。自分がまともな善人だと錯覚したいという、ただのエゴ。そのためだけの保身。

 喰われる方の私は、思いがけずぎょっとして目を逸らした。唾を飲む。怯えて視界が泳ぐ。捨てられるのが怖いからではない。自分の胸の奥に秘めた暗部を、もう一人の自分に見るのが怖いのだ。
 「皆結局は自分が一番可愛いんだから、私も自分を可愛がってあげないといけない。そしてそのためなら、他の人間を多少足蹴にしてもかまわない」
 そう思っているんだろう、分かるよ・・・・。けれども、純粋な自分を、本当の自分と思って死んでいきたいと願うのは罪だろうか?ベッドの私もまた、善人でありたいのだ。お前とは違う、まっとうな方法で自由になりたい。そう願うのは罪なのだろうか?

「過去の罪から目を背けるのは罪だ。断罪しなければならない。ベッドのお前は都合のいい幻に縋って現実逃避しているだけだ!何も為さないのなら死ね。それが出来ないのなら今まで自分が傷つけた人に一生をかけて償い、詫びろ!!!!」

 違う!!私は、逃げるのしか知らないんだ。立ち向かってもダメだって分かっているから逃げるんだ!調和だ、協調だ、諦観だ!これは正義なんだ!!そうだろう、お前も。分かっててそう言っているんだろう!


 双方の意識が混濁している。もう、心がもたない…………………………。



 そうして私は、逃げるように午後六時にしては暗い自室、六畳の黄昏を泳いだ。祈るように溺れた、どうしても目を合わせたくなかった。
 死んだ目で黒い壁を眺める私に、もう一人の私が言った。諦めたのか、今度は声音に落ち着きが含まれていた。

「何が『心がもたない』だ、自業自得の癖に。友達も誰もいないんだから、自分で自分を慰めるしかないんだよ。………………はぁ、ほんと君さ、一応浪人生だよね?これじゃ誰がどう見てもただのニートだよ。こうなったら二択にしよう。夕日と勉強、どっちがいい?」

 外の景色も現実も、両方見たくない。

「…………うぅううううぅ」



「何か言いたいことある?」



「…………………………………………………………………………………………」




「何も言わないのなしだからね」








「…………………………………………………………………………………夕日。」


 シーツも布団もぐちゃぐちゃのままにしてベッドから降り、両親の寝室に向かう。この階だと西日の照らす部屋はそこしかないから。本当は嫌だけど。もう一人の私が、勉強と夕紅とを天秤にかけてコイツまさかの後者を取りやがったと呆れ顔。うるさい、正論なんて今更だ、だらしがないなんて言わせない。この閉め切った部屋の空気に、私はもう既に毒されまくっているから。

 夕闇の廊下、寝室のドアの隙間から光が漏れ出す。ドアノブを握る手が震える。静かに、ヤケクソに捻った。こうなったらもうどうにでもなってくれ。




 太陽。ゴッホの油絵みたいな真っ赤な部屋、カーテン。気持ちよさそうに揺らすのは風、吹き抜けて頬を撫でる。その時ようやく、ああ、窓が空いていたのかと気づく。鮮やかな空気が身体に入る。空の匂いが全身を廻る。
 目の前に広がる美しい景色に、もう一人の私は持ち前のお気楽さをすっかり取り戻して、笑みを浮かべていた。

「空が、紅化粧をしたんだね」
「………化粧というより、燃えているような気がするけど。」
空火照そらほでりという言葉があるだろうよ、唇や頬が紅く美しく色付いてるみたいじゃないか」
「寒い、早く帰りた」
「うるさい」
そう被せられて黙った。

 ポエムに付き合う元気もないんだよこっちは。ここに居たくない。眩しい窓辺に近寄る勇気もないから、ドアの前に立ちすくんだ。私に話しかける陽気な私は、両親のベットの近くにある出窓の床板に乗っかり、雨戸を開けて、いつの間にかニョキニョキ生えた腕を、その手のひらを太陽にかざしている。
「なんだっけ、真っ赤に光る僕の血潮、みたいな歌があったよね。私今、生きてるって感じがするよ。君はどうだい。」
 燦然さんぜんと笑っているのが自分とは別人みたいだった。見ていられない、歌詞を訂正するのですら億劫。私は喉に詰まった羨望とか嗚咽とかをなんとか騙しぬいて、言葉だけを、なんとか上手く捻りだしながら喋った。
「………………生きることが嬉しんだり悲しんだりすることなら、…………私はとうに死んでるよ。」

 死んでいる私は堂々と開き直り、嘲謔ちょうぎゃくして薄ら笑いを浮かべた。自虐でしか笑えないとはまったく重症である。しかし、先述したように私は、決して人に誉められたような人間ではない。それどころか、悪辣の限りを尽くしている。最低なやつだ。そしていつからかその罪を罰するように、自分で自分を責めるようになった。それで償おうという甘ったれた考えがいつも心のなかにあるのだ。「幸せになってはいけない」「どこにも逃げてはいけない」「ずっとそこにいなさい」声が聞こえてくる。それは自分の声でもあるし、親の声、友人の声、誰とも知れない声でもある。
 そうだ。暗い部屋にいるのはそのためだ、出てきてはいけないんだ。私は、苦しまなければならない。今まで傷つけた人間の数だけ苦しまなければならない。本当は夕焼けなんて見ていい人間じゃないんだ。暗い部屋で、早く、早く死にたい。もう生きていられない。

「………………君さ、本当に死にたいと思っているの?」


 生きている方の私が子供のように首をかしげている。当たり前だろう、そんなことは!それはお前が一番分かっているだろう!!人を傷つけたのはお前だ!!お前が!私が!生きているだけで誰かを不幸にするんだ!!


 ……………………こんな人生はもうたくさんだ。

 なぜ窓の私は私に話しかける。私は私だろう。元は一人の人間で、願うことは同じはずなのに、どうして生きたいと思う。なぜ?
 ……………………それとも、こんなふうに話しかけてくるのも、どこかで私が私を、生きていていいと思っているからなのか?どこかで私は、自分を許していたいと、そう思っているのか?……………だめだ。自分は存在してはならない。己の脆弱性を言い訳にして他者をぞんざいに扱い、それを許してくれる優しい人の甘い蜜を啜って息をするという罪。私はもう一人の私を殺さなければならない。罰さなければいけない。お前がいるから私は、いつまでたっても死ねないんだ。そうだ!死んでくれ。私のために。もう一人の私よ。

 死にきれない私はベッドに飛び乗り、窓の私を殴り飛ばす———妄想をした。

 ほんとはわかってたんだ。そんなことする気力ももうないこと。



 中途半端に上げかけた拳をだらんと下して、私は私に向かい合った。飛び乗ったベッドが軋む。窓の床板に座る私は背を夕日に照らされて、これまたいつの間にか生やした脚をあてもなくぶらつかせていた。


 諦めて聞いてみる。

「なんで生きていたいと思えるの」


 静寂。風も、光も、時間を失ったかのように数瞬凪いだ。変に頭が冴え冴えとして、纏わりついてくる誰かの声の一切が消える。この人に私は、一体何を求めているんだろう?

 窓の私は暫く黙っていた。……………無視か?置物みたいに何も言わない。……ひょっとしたら、本当に置物になって生命を失って、私は私一人になったんじゃないか?どきどきして、思わずゆっくりと顔を上げる。目が合った。

 普通に瞬きしやがった。なんだ、と何処かで落胆。睫毛の動くのは辛うじて認識出来るものの、それ以外の表情は逆光でうまく掴むことが出来ない。髪や腕は金色に輝いているのに、顔は真っ黒。黒い、太陽みたいだ。

 私の暗部が此処にある。こいつが、死にたいとさえ言ってくれれば。ただの虚勢であって欲しい。生きたいとか、幸せになりたいとか、人間には必要ない。人間の尊さは自分を苦しめるところにあるんだ、不幸と苦しみが人間の魂のふるさとなのだから。早く安心させてくれ。早く、早く死なせてくれ。





 ……………奴は、惨めなほうの私の目を見てこう言った。

「君が一番つらかったときに、生きたいって強く願ったからだよ」



 ……………………なぜ私が幻聴にさいなまれるようになったか?なぜ自分が複数人いるような幻覚をみるようになったか?それは二年前の鬱に由来する。高校、ブラックな部活。休みは月2日、そのくせ勉学との両立は必須で赤点を取るとみんなの前で謝罪、人間関係は最悪、退部は原則禁止、部則で制服も気崩せない、顧問という名の宗教……………………。
 ある程度まで精神を病むとね、もう一人の私がその存在をはっきりと主張するような感覚に陥るんだよ。人と喋って笑わないといけない時とかに、ヒョコッと現れては代わりに明るく振舞ってくれたりするんだ。そうやって場を乗り切ったら翌日は疲れて一日中ぐったりとか、数日分のエネルギーを前借するというデメリットはあったけど、それ以外はまあ便利。人から別人みたいだねと言われることもあったけど、そんなのはもうどうでもよかった。瓦解していく精神を取り繕うので精一杯だったから。密かに周囲にSOSを求めたこともあったけど、ブラック部活だから、他人のことまで背負いこむ余裕はなかったんだろうね。皆自分の事で精いっぱいだった。だんだんと精神は悪化、被害妄想が拡大して他者とのコミニュケーションがだんだん困難になっていく。友人に依存し、毒を吐き、終いには誰からも心を閉ざした。
 まあ、原因は他にもあるけど、色んな最悪がフルコンボした結果、心が壊れ、自我が決壊した。取り返しがつかなくなった。
 頭の中で「精神科に行っても薬漬けになるだけだし、実は精神病も発達障害もただの個性だからモーマンタイ!放置放置」って誰かが言うから、病院には行けない。何かしようとするたびに全部頭の中の誰かに否定されるから、何も出来ない。自殺も考えた。でも出来なかった。最後まで、生きたいと思ってしまった。

 「皆結局は自分が一番可愛いんだから、私も自分を可愛がってあげないといけない。そしてそのためなら、他の人間を多少足蹴にしてもかまわない」
 そう本気で信じた。復讐。怒り。自分の心を壊したあまねく全ての人間にこの苦しさを呪いとしてこすりつけてやりたい。このままおとなしく死ぬわけにはいかない。それが片方の私の生きる理由になった。

 その一方で、自然の美しさに恋焦がれる自分がいた。綺麗なものだけ見て生きていたい。日本中を旅したい、星空の綺麗な場所で眠りたい、川のせせらぎに耳を澄ましたい、生き物と一緒に野原を駆け巡りたい——————。鬱の私は、美しい桃源郷を見た。逃避行の果ての、この世の美しいものだけの集まった秘境。心の秘境が、自然という拠り所が生まれたのだ。このまま死にたくない、綺麗なものをもっと見たい。もう片方の私はそこに、生きる理由を見出した。


 そうして二つの自分が生まれた。時に無意識下で混ざりあって、別れて、海中にぷかぷか漂うように存在している。


 だらだらこの生活を、およそ二年続けている。




「君は、ほんとは死にたいだなんて思ってないよ。」


 復讐の私、もしくは生きたいと願う私が言う。
「あの日。ベッドから起き上がれなくなって、部活をバックれた日。君の心が死んだ日。私達は死のうとはしなかった。懸命に生きようとした。一番つらい時に死ななかった。それだけで、今を生きる理由になるんだよ」

 数刻前まで死にたいと願っていた私の脳裏に、ふと天の川が広がる。古民家の縁側、富士山の山頂、赤い鳥居、雪を纏った森……………………。色んな風景が明滅していく。
 もっと、いろんな景色を知りたい。なんでこんな大事なことを忘れてしまったんだろう。鬱の日々が遠のいていき、前よりはずっと元気になった。それなのに、生の実感は薄れていくばかりで、怠惰に毎日をすり減らしながら生きている。それじゃダメなんだ。あの日見た桃源郷を、もう一度鮮やかに反芻したい。生きてていいって、何も出来なくても、そこに存在するだけでいいって、誰かに認めて欲しいんだ。



「さに辛う君、」


 赤い夕日にたなびく雲を指さした、生きたい私がこっちを向く。

「あのあまが紅が君だ」

 空はもうだいぶ暗くなっていた。夜去方よさりつかた、地平線に広がる、最後の赤を纏う雲。それが自分?

「私が怒りに心を燃やす太陽なら、君は気の向くままに空に浮かぶ雲だ。嫌なこと、苦しいことはしないでいい。そういうのは全部、私が持って行ってあげる。君は、きれいな街を眺めて、ただそこにいるだけで、生きていていいんだよ。」

 そうか、よくわからないが、そうか。何故か納得させる説得力が、もう一人の私にはあった。
 自分で自分を慰めるしかない———。本当にそうだと思う。どうにもならない自分の心を、自分だけがどうにかすることが出来るから。終わっていく今日を、少しでも生きて良かったと思えるように。

「もう暗いし、部屋に戻ろうよ」

 私はもう、生きたい自分から目を逸らさなかった。

「良いけど、せめて窓は開けようね。空気が最悪だ。」

「わかってるよ。」


 水中で呼吸をするような苦しさは、もう完全になくなっていた。
 二人の私は、笑って寝室を後にした。



※補足

・私は気分が落ち込むと偶に幻聴みたいなのが聞こえることがあって、親や友達、それこそ自分から責められるようになったり、昔傷ついた記憶がおもむろにフラッシュバックしたりすることがあります。普段はそういうのを書くとややこしくなるので記事には入れないようにしていますが、こういう題材ってなんだかおもしろそうだなと思ったので今回書いてみました。
・書いてて双方の意識が混濁したりして思想や価値観がごちゃごちゃになっているのは、思考の混乱とカオスを表現するために推敲せずそのままにしました。読んでて訳分からなくなってたら私のせいです。ごめんなさい。
・最初の方のもう一人の自分がひょっこり首をだすシーンは、坂口安吾の『風と光と二十の私と』という小説のワンシーンを真似ています。(これをオマージュにするのはなんだか自分を正当化するような後ろめたさがある)こちらももう一人の自分にどやされる描写があります。多重人格?かはわからないですが。よかったら読んでみてください。

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