言葉足らずな自分、文章で何を伝えるか
なにか感動や体験を伝える。相手はうんうんと頷いたり、へえそうなんだとリアクションをしたり、あるいは聴いてるふりをしてほかの事を考えたり、そんな話興味ないよと話題を変えたりする。このいずれにしても、あの時感じた苦しみや悦び、体震える感動を、自分と完璧に同じように受け取ることのできる人間は存在しない。出来ているように見えても、それは相手が独自に想像で補完していたり、過去の体験に重ねていたりするだけだ。自分が与えたかった感動とは違うものを受け取ってしまっていて、そういう時私は少し悲しい気持ちになる。
つまり聞き手と話し手で齟齬が生じるのだ。
宮沢賢治が「人の心を本当に動かすにはその人の体験から滲み出る行いと言葉しかない。知識だけでは人は共感を感じないからだ。」という言葉を遺したが、その体験や言葉が相手に伝わらなければどうしようもない。
言葉は非常に不便だ。使いこなすのはとても難しい。小説家や漫画家など、言葉の使い方の上手い人をみると、どうして自分はこんな風に人に感動を伝えられないだろうと思う。現にいまこの文章を書いている私のこの感傷も、他人はおろか自分でさえ、明日になれば忘れてしまうのだ。この稚拙な文章に乗せた憤り、やるせなさという感情があるからこそ私はこの文をまともに書いていけるのであって、偶々このページを見た人間には最初だけちらっとみて読み飛ばされる、そんな心になんにもひっかからない屑に違いないんだ。
物を書くというのは想像以上に難しいけれど、それでもどうにかして誰かの心臓になれるようなものを作りたかった。そのためにもっと感性を磨いて、それをぶつけられるような言葉を探して、形にしなければ。どうにかして。
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