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第12話:忍者の友達は何人?

もう40年前の話であるので、そのつもりで聞いていただきたいのだが、アメリカとカナダに行ったとき、付き添ってくれたカナダ在住の若い女性がカナダで日本のテレビ番組が放映されていて結構に人気があると言っていた。
みなしごハッチだとかメルモちゃんだとかいう僕などが子供のころのアニメとか、へぇーという感じもするが水戸黄門などはかなりの人気を集めているということであった。

彼女が言うには、日本の番組を観られるのは懐かしくて良いのだが、いろいろ困ったことも起きているのだそうだ。

例えば水戸黄門が最後に身分を明かすとき、スケさんやカクさんが「この紋所が目に入らぬか」とやるわけだが、テレビではこれを「Look at this」と英訳していて向こうの人にはよく分からないらしい。

そこで「thisとは何か」とか「お前もthisを持っているか」などという質問が友人から殺到すると言う。そう言えばインロウなどというものはどうにも説明しきれないものではある。

そのくらいの質問ならまだよいのだが、「お前の友達に忍者は何人いるか」とか「親戚に武士はいるか」などという時代錯誤も甚だしい質問を受けることがあって、それが度々に及んで返答が面倒臭くなると「そうね5人くらい忍者がいたかな」などと答えていると言っていた。

それも無責任な話なのだが、水戸黄門のインロウが遠い異国で一人歩きし、妙な日本のイメージを勝手に作り上げているのだとすると、まさかとは思うが、どこかに「ちょんまげ」「ハラキリ」などという日本のイメージも頑なに残り続けているのかもしれないと思ったりする。

「AIが翻訳してくれるから異言語を覚える必要はない」という人も出てきた昨今だが、他者の言葉を理解するためには、その言葉が背負う背景とともに、その言葉が発せられた「場」や「関係性」を考慮する必要があって、言葉だけが置き換えららればいいというものでもない。

例えば、有名な話だが、夏目漱石が ”I love you” を「私はあなたを愛している」と訳した学生に、それを『月がきれいですね』と訂正させたという逸話はいかにも日本人の心性をよく捉えた指摘であって、月や自然の風物を愛し、直接表現を甚だ苦手とする僕らに「なるほど」と思わせるものがある。
そんなふうに翻訳してくれるアプリが、早晩開発されるとも思えない。

しかし、事はさらに複雑である。
もう何年も前にそんな話を授業でした翌日、ある男子生徒がやってきて、
「先生、あのさあ、昨日A子と帰りが偶然一緒になって二人で自転車を並べて帰ったんだけど、その時、A子が空を見ながら『B君、月がきれいだね』って俺に言ったんだ。それって、俺のこと好きってことかなあ」
と言うので、
それはただ月がきれいだったんだろう
と優しく言ってあげた。

日本人同士の日本語でさえ正しく通じるとは限らない。言葉の知識や文化の違いに対する理解も大事だが、むしろ、自国語、外国語・自文化、異文化という枠を超えて、「場」や「関係」といった「文脈」を読む、人間としての洞察力が大切であるに違いない。


全くの蛇足になるが、現代文の演習で翻訳の難しさを書いた文章を扱ったとき、ネットで調べるとこんな例が掲載されていた。
アメリカのある会社のクッキーの袋に「熊(bear)」の絵があしらわれ、そこに 
un bearably good.
と書かれている。
「信じられないおいしさ」という意味であるが、実は「くま」の bear にかけて、
un BEARably good.
と洒落たわけである。

これを、この「洒落た」計らいを壊さないまま日本語に変換して日本で発売する商品のパッケージに表記したい。
さあ、あなたならどうなさるだろうか?

大ヒントを差し上げたい・・「もう、おいしくて○○ちゃう!」である。



言うまでもないが、答えは「おいしくて|困《くま》っちゃう」である。
なかなか「味」な翻訳ではないか。

(土竜のひとりごと:第12話)

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