久しぶりに挫折を味わった。 新しいチャレンジで、とあるプロジェクトのリーダーを任された。 結果、ほとんど手も足も出なかったんじゃないかと思う。 自分はもうちょっとできると思っていた。 でも、それはおごりだったと思い知らされた。 「自分ってこんなに何もできないんだ」と、改めて痛感した。 それで気づいたのは、人は謙虚であろうしても、なかなか謙虚になれないが、ひとたび、自分一人では何もできないことを思い知ると、謙虚にならざるを得なくなる。 メンバーの頑張りでなんとかプロジェ
自分さえよければいいとか 自分の国さえよければいいと思うから 奪い合いや、争いが起きて 結果的に互いに不幸になってしまう でも考えてみれば 地球はひとつしかなくて そこに住む人たちは ただ幸せでありたいと願っている ただそれだけだ なら自分だけじゃない 自分の国だけでもない 地球の幸せを願えばいい そこには自分も 自分の国も含まれるのだから 困る人は誰もいない 幸せを願う範囲を広げること 世界から争いをなくすには たったそれだけでいいのだ
大都会に住んでいても 空を見上げれば 雄大な大自然が広がっている 空の向こうには宇宙があり その果てしない大自然は 138億光年以上もの広がりを持つ その広がりから見れば 銀河系は点にも満たず 銀河系の広がりから見たら 地球は点にも満たない そんな小さな小さな惑星の中で 人と人とが織りなす 小さな小さな物語 そう思えば 日々の悩みは かわいらしくもあり ありがたくもあり 愛おしいものなのかもしれない
お酒をやめて今月でちょうど丸4年が経つ。 やめてみて分かったことは、 飲まないことによるメリットが結構大きいいこと。 お金がかからなくなる 毎月お酒にそれなりの額を使っていた。 これがゼロになった。 毎月の小遣いがちょっと余るようになった。 時間を有効に使える 家飲み派だったので、飲むときは酔いつぶれるまで飲んでいた。 当然、酔っぱらうと何もできない。 お酒をやめたら、自分の時間を持つことができるようになった。 体調がいい これが一番驚いた。 飲んだ翌日、二日酔
いつの日か 夢見るような 景色の中で 語りたい 信じられないかもしれないけど その昔 地球上では 戦争をしていた時代があったんだよと まるでおとぎ話だねと 笑われながら 優しい眼差しを 過去に向けられるような そんな日が来ることを 心から願う
科学の進歩と便利な生活 心は置いてきぼり 戦争が終わらず お金に振り回され 気候変動に天変地異 終わりに近づく これまでの時代 まだ誰も知らない 未知だからこそ不安で 未知だからこそワクワクする 未知に向き合い 失敗を恐れず 挑戦する者のみがつくる これからの時代 これまでの常識に 未来への羅針盤はない 夜明け前が最も暗い 明けない夜はない 未知なるものに挑み 時代を切り開け あなたの心にある その羅針盤を信じて
家族のぬくもり、家庭の温かさはどこからくるのか。 それは、相手を大切に思う気持ちからくるのだと思う。 親が子を大切に思い、子が親を大切に思う。 兄弟や姉妹も、時にはケンカをしても根底の部分ではお互いを大切に思っていたりする。 「相手を大切に思う」気持ちがなければ、たとえ血のつながった家族であっても、辛い家庭生活になるだろうし、その反対に、血が繋がっていなかったとしても、互いに相手を大切に思っていれば、温かく居心地のいい家族、家庭になる。 家族一人ひとりの思いが大切な
人の死について、興味深い話を聞いので、ここで紹介したいと思います。 人は肉体が死んでも、魂は生きているそうです。 例えば病院のベッドで亡くなった場合、肉体から魂が離れて、ベッドに横たわっている自分の肉体を見ながら、医者が死亡時刻を家族に告げているのを、横で聞いていたりするそうです。 また、魂が肉体から離れても、心臓が停止して間もないうちは、シルバーラインとか霊子線とか呼ばれるもので、まだ肉体と魂がつながっているそうです。これが完全に切れるまでに2、3日かかるのだそうです。
「時間のふるい」について考えてみたい。 私たちの社会の価値観は、時代によって変化している。 『不適切にもほどがある!』というTBSのドラマを見るとそれがよく分かる。 物語の舞台となっているのは1986年と現代だ。 この38年間の間にずいぶんと人々の価値観が変わっていることに気付かされる。そのギャップが面白いのも、またこのドラマの魅力でもある。 38年前でも価値観がそこそこ違っているのだから、100年や500年、1000年も前だったらどれほど違うだろうか。 原始農耕社会
NHKの「歴史探偵」で平安時代の陰陽師について取り上げていた。 平安時代、陰陽師は当時の最先端の科学者だったという。 疫病が起こる原因を疫神のせいだと考え、陰陽師はその疫神を声で追い払っていたという。 現代人の感覚でこれを聞くと、とても迷信チックで、無意味なことのように思えるが、当時の人たちの気持ちになって考えると、陰陽師はとても頼りになる存在だったに違いない。 なぜなら、今のような医療的な常識も、知識も技術もない時代に、以下のような状況に陥っており、 ある日突然、あ
私たちが日常、何かに感謝することがあるとすれば、それは得難いものを得たときではないだろうか。 例えば、アカデミー賞を受賞した人のスピーチを聞くと、多くの人が感謝を述べている。それは、その賞がいかに得難いものであるかを物語っている。 その反対に、全く得難くないもの、そこら中にありふれているものを得たとしても、あまり感謝の思いは湧いてこないだろう。 それは、いつでも手に入れることができるからだ。 「ゼロ・グラビティ」(2013年アメリカ)という映画の中で、主人公は宇宙で様々な
排斥しあう力は、お互いに弱めあい、 結びつける力は、お互いに強めあう。 愛は結びつける力。 家族の結びつきは強い。 大きな災害が起これば、まず家族の安否を心配するほどに。 家族には大小様々ある。 でも、さかのぼると必ず一組の男女に行きつく。 一組の男女は、家族の最小単位となる。 その男女の愛が、家族への愛へと広がっていく。 恋愛は、男女の結びつきのはじまりであり「愛の入口」とも言われる。 映画、ドラマ、マンガやアニメ、ゲームに至るまで、恋愛を扱ったものが多いのも、
不幸でありたいと願う人はいないと思う。 みんな幸せでありたいと願っているはずだ。 「幸せでありたい」と願う一人ひとりが集まって国ができている。 だから、国というのは、そこに住む者たちの幸せのために存在している。 問題は、この「そこに住む者たち」=「私たち」の範囲にあると思う。 「私たち」と思える範囲が、自国にしか向いていないから、自国の利益のために他国を攻撃してもいいということになってしまう。 国連のような場でも、それぞれが自国の利益を最優先するから、全体の足並み
どんなに愛してやまない家族がいても、 どんなに心を許し合った友がいても、 生まれてきた時と同じように、死ぬときは一人になる。 人は一人では生きていけない。 多くの人と関わり合いながら生きていくもの。 だけど、そんな人生の最初と最後は必ず一人になる。 それは、どれだけ人と共に生きていようとも、 最後に問われるのは「自分が自分の人生をどう生きたか」だけだということ。 今の社会はどうだ 世の中の価値観はこうだ 周りはみんなこうしている ということばかりに心がとらわれてい
昨年末のお休みは近所にいくつかある大きな公園に行った。 天気のいい日は、日光が当たる場所にいるとポカポカと暖かい。 休みの人が多い時期だからか、公園には多くの家族連れが来ていた。 日の当たる場所で本を読んでいると、近くに小さな娘さんを連れた親子連れが来た。 お父さんが娘とじゃれ合って遊び、お母さんは隣でそれを微笑ましく見ていた。 あたりには楽しそうな親子の笑い声が響いていた。 しばらくすると、お父さんも興が乗ってきたのか、娘さんを軽くジャイアントスイングしはじめた。
今、Amazonでベストセラーになっている書籍「きみのお金は誰のため」。 この著者である田内学さんが、どのようにして現在に至るのかということをNoteに書かれており、非常に勇気付けられ、教えられることが多いと感じたので、シェアさせていただきます。 田内さん自身も最初は、そこまで本気で経済の本が書けるとは思っていなかったみたいです。夢として持っていた感じです。 だけど、佐渡島庸平さんという人と出会ってから、"本気"が感染して、どんどん実現する方向に進んでいったそうです。