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数年後に死ぬと思って生きるのを辞めた(エッセイ)


前に何げなくTwitterのタイムラインを眺めていた時に見た言葉は、

「3年後に死ぬと思って生きろ」

だった。年数は1年とか2年とかだったかもしれないが、そこは正直論点からずれるので置いておく。


ただ、何年後かに死ぬと思って生きたら私の場合はすべて投げやりになるだけで、実際数年後に死ぬなんて絶対無理なのだ。そしてそのことに気づいた時の絶望はかなり深い。


私とて人生がめちゃくちゃ長いということに気づいてしまい、20代から不安定な雇用で生きることへの恐怖を感じた。まだあと60年位あるのだ。そんな長い時間をこれから生きねばならないのに、このまま不安定な生活を強いられたら、それこそ精神がおかしくなってしまう。


「女は家庭に入れるからいいよな」とは言われたことがあるが、私にその選択肢はほぼないに等しい。なぜなら恋愛というものが生まれてこの方理解できないからだ。


私にとっては永遠にファンタジーかもしれないと気づいたのは、大学生のころだ。世の中の人がブラックな企業で懸命に生きていることを知っていたのに、私は会社に対する嫌悪から新卒で入った会社を3年以内に辞めた。


ただ、人生の長さから考えると、あまりにも短い期間だったということに気づいたのは、派遣の仕事を適応障害で辞めて以前の会社に戻りたいと思ってからだ。

今更戻れないというのに、私は次の選択を強いられていることに恐怖を覚えている。今ならわかる、私が勘違いしていただけで、以前の会社は決してブラックではなかったし、良い人もたくさんいた。


私が世間知らずだっただけで、仕事を辞めてから仕事を探すというのは、思っていた以上に精神的につらかった。追い詰められた現在、私は必死にあがくしかなくなっている。

正社員という立場は、やはり安定しているし生活もできる。私はそのことに気づいていなかったし、頭が悪かった。だから親や兄弟にもっと強く止めてほしかった。もう少し続けたほうが良いかな?と話したときに、迷っていたときに、止めてほしかった。


不景気な時に会社を去るということがどういうことか、あの時の私にはわからなかったし、辞められなくなる先輩たちを見ていると、自分もあぁなるのではないかと怖かった。まだ若くて会社に入ったばかりの私に、正常な判断ができるはずもなかったと思う。


それなりにきちんと、考えていたつもりだったけれど、私が就きたいと思っていた職は、コロナの影響もありもともと狭き門だったのが、余計に狭くなってしまった。

せめてもっと会社を早く辞めていれば、景気が良い時に転職できたのに、と悔やまれる。


この大きすぎる後悔を抱えて生きるのは、辛い。こんなに人生が長いなんて、私は思っていなかったのだ。もしかしたら病気で死ぬかもしれないし、嫌な会社で働き続けても意味がないと、当時漠然と思っていた。


ずっとキラキラした業界に憧れていた。けれど、実際はキラキラなんてしていないのだろうと気がついた。去年の今頃、私はとある業界に憧れて専門学校を6,7校巡っていて、直前になって辞めた経緯がある。ただ、学校に入れたとしてもその業界に入れるかも微妙であり、学校にかかる費用も高い割に薄給でブラック。


あまりにも無謀な挑戦だったけれど、当時の私は憧れで仕事を乗り切っていた。こんな仕事をやり続けるくらいなら挑戦して死にたいとさえ思っていた。けれど直前で怖気づき、今ではこんな状態になっている。


ただ、不思議なことに、ものすごく辛くて何も書きたくなくとも、書くのも億劫な時でも、読んでくれる誰かがいるというだけで、不思議と頭の中の『思考の糸』が解けて、心がすっと軽くなる。


そもそも書くことにより『思考を具現化する』という行為は、『心の整理』をしていることに等しいと思う。私は自分の思考を言葉にすることで、ある意味生きる活力にしているのかもしれない。


失敗を書くことは『恥ずかしい』ことだ。隠していることだってある。

ただ私は、失敗しても失敗しても、成功するまで続ければよいという言葉が、たまらなく好きである。


いつかを信じて、成功するまで続けるということ。自分にとって本当の自由とは何か、幸せとは何かを考えるということ。


少なくとも、仕事がないという状態は自由とは程遠い。それでも、焦ってはいけない。若ければよいという仕事は、探せば意外と見つかるが、若さという武器を簡単に使ってはいけない。

そもそも、大して若くはないのだから(笑)


中途半端に年を取ってしまったけれど、私は私らしく生きる方法を探すしかない。時には休みながら、少しずつ。



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