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未来へ向けての悩み ①

今、高齢者関係から離れて、学習塾で仕事をしている。
そこで感じたこと。

今までは
「出来ないことを見ない」世界だった。
「出来なくてもいい。」
「いるだけでいい。」
相手が嫌がることはしない。

今は、まったく逆で
「出来ないところを出来るようにする」世界にいる。
「出来るようになる」
「勝たなければいけない」
自分自身では出来ないから、
例え嫌がられても、うっとおしく思われても
やらせる。
それが役割。

今の仕事を始めたころは、抵抗しか感じなかった。

高齢者介護とは、全く逆の価値観。

勝つことが求められる。
負けちゃいけない。

自分が元々勉強もせず、
部活(バスケットボール)に打ち込んで、
学歴社会なんてろくでもない!(自分自身高卒)
勉強なんか出来なくでも、立派な人間になれる。
そう思っていた。(今でもそう思っている)

だから、『毎日塾に来て22時頃まで勉強している子どもたち』を、
どこか「かわいそう」に思っていた。

そんな「見かた」が変わったのは、
自分が『どうなりたかったか』を考えた時だ。

もし、学生学生時代に戻りやり直せるとしたら
どうするか。

今、やりたいことを実現させていくために必要な事がわかっている。
その為には、勉強をする必要性も、資格取得のために必要な学校もわかっている。
だから、「ちゃんと」勉強をして学歴も付けられるなら付けると思う。


「プロ目指して一生懸命部活に励みました!キャプテンも務めました!(プロには成れませんでした)」
という学生と、
「東京大学卒業しました。」
という学生が就職面接に来たら、どちらを採用するだろうか。
以前の自分なら、前者に興味を持ち、後者に疑問を抱いただろう。

でも今は違う。

今なら、前者に疑問を抱き、後者に興味と尊敬の念を持つ。

医学部やいわゆる旧帝大に入るための努力を知ったからだ。

勉強もして、部活も出来る人はいい。
でも、そんな人はまれだ。
部活はそこそこで、勉強できる人もいいが、
それもそんなに多くない。
大概は、部活を楽しんで、勉強はしたくない。

部活に打ち込むのもいいが、それは「誰もが」やっている。
でも、その中でどれほどの人が「真剣」に取り組んでいるか。
「何のため」に部活をやっているか。
厳しい言い方をすれば、目の前にある「楽しさ」を優先し、
中途半端な満足感に時間を費やしてやいないか。

その一方で、『毎日塾に来て22時頃まで勉強している子どもたち』は
すでに「夢」を描いている。描いているだけではなく、実現させるために
すでに実践に身を置いているのだ。

子どものころからプロ、または世界を目指すためにまさに「すべて」を
かけて練習している子と、
子どものころから大学入試を目指して塾に通い、受験をするために
勉強している子とは、
「目標のために努力している」事に何ら変わりはない。

しかも勉強の方が、プロ選手になるより確率も、
可能性も高いのではないか。

勉強に時間とお金をかける。それは、
「コスパ」も良く、自分の選択肢を広げてくれるものなのだと今は思える。





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