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物語そらのたね#5 はなまる@Youji

2021.12そらのたねvol.6-一期一会-より


プロローグ


はなまる家族との出そらのたねの企画展示を始めて3度目の冬。様々なジャンルの作家さん11名をお誘いして児童養護施設への寄付を兼ねた6回目の展示会がスタートした。
田舎の小さなアトリエ内の小さな展示会は、いつも来て下さるお客様が殆どで、毎回思うのは本当に感謝でしかない。一期一会をテーマに一点ずつ出店頂いた作品が続々とお嫁入して、ほっと一息。展示も終盤を迎えた頃、初めてご来店くださったはなまるご夫婦。(※「はなまる」はご家族まとめてのニックネーム。お笑い芸人のはなまるさんとは一切関係ありません。)そらのたねというものに興味を持って下さり、活動の想いなどをお話をしているうちに旦那様も児童養護施設で育ったことを話してくださった。旦那様はもともとオープンな性格で、自分の生い立ちを隠すことなく堂々と話し過ごしてきたけれど、児童養護施設で育った人の多くはその事を隠して暮らしている。
自ら活動するタイプではないのだけど自分も何かできることがあればやりたい。そうお話してくださった。
確かに私の周りに児童養護施設で育ったという人はいなくて、なかなか身近に感じられない。いざ身近にいたとしてもその深くを聞いていいものなのか、戸惑ってしまうかもしれない。けれど自ら施設で育ったことを何の気負いなく話してくださる旦那様はとても貴重な存在のように思えて、このお話を発信すること自体が、児童養護施設というものへの関心や理解に繋がるのではないか、そして施設で育った人達も少し気持ちが軽くなるきっかけになるかもしれないと、「次回の年末のそらのたねで、このお話を届けましょう!」「是非‼」…と、何とも明るく、お会いしたその日に決まったのです。
そうして8回目のそらのたねは、冬が来る前にはなまる@Youoji(旦那様)さんのお話を物語として届けます。※下記から洋二さんに略します。

3人の父親と5人兄弟

福岡県出身の洋二さんは姉、兄、洋二さん、妹、弟の5人兄弟。姉、兄の父親と、洋二さん、妹の父親、弟の父親と3人の父親がいるが、会ったことはなく3人ともヤクザで、お母さんは洋二さんの父親に当たる人から、覚せい剤を無理矢理打たれ、強要されたことで次第に精神がおかしくなり、バイクで事故をして入院したのをきっかけに、洋二さんと妹さんを育てられなくなり、それぞれ別々の児童養護施設へ振り分けられ、洋二さんは佐賀県内、妹さんは福岡県内の施設へ預けられた。
この時、母親は入院中に身ごもっていて、それが一番下の弟となる。

3歳になる頃に、乳幼児専用の児童養護施設から佐賀県内の通常の児童養護施設へ移り、中学卒業までを過ごした洋二さん。
お寺が運営していた施設の当時の一日のスケジュールは決まっていて、
6時頃起床。
6時20分にお経を唱えるところから一日が始まる。
部屋の掃除、朝ご飯を食べて学校に行く。
帰宅後はマラソン。※夏は男子は野球、女子はバレー
再び掃除をしてから各自夕飯、お風呂に入る。
8時まではテレビが見られるが、8時から2時間勉強。
10時に就寝。
毎月1日と15日は一時間座禅の時間。
月に一度、小遣いをもらって好きなものを買える日。
クリスマスの日には友達を2名迄呼べてお祝ができる。
お盆と正月だけ実家に帰省。

一番困ったのはお金のことで、月に一度しかお金に触れていないので、いざ社会人になってとても苦労したそう。このことは後でも触れていくのだけど、施設で育った子供たちにとってとても大きな壁となる。
又、勉強の時間、低学年の子はフロアに集まってみんなで勉強をするのだが、勉強が苦手な洋二さんにとっては何を勉強していいかもわからなかった。
そして、一番辛かったことといえばお盆と正月に、祖父母と母親がいる実家に帰省した後、施設に戻る時はいつも寂しくて辛かった。
それは洋二さんにとって思い描いていた唯一の家族と過ごす時間でした。

当時の日々はまるで刑務所のように思えるくらいで、見る通り決して楽しいとは言えない暮らしだったけれど、物心着く前から施設で過ごしていた洋二さんにとってはそれが当たり前のこととして生活していました。
児童養護施設に入居してくる子供たちは両親もおらず捨てられた子や、虐待で預けられる子が殆どだったそうで、大人の目が届かない子供たちの社会がある。逃げ場所がない子供だけの世界は時に残酷で、ともすれば先輩が後輩をいじめるのも日常茶飯事で、そうしたことも受け継がれてしまう。
洋二さんも呼び出されてぼこぼこに殴られた事があった。そして洋二さんも中学生の時、先輩からされてたのとように同じように年下の後輩を殴ったり蹴ったりしてしまったという。
職員によっても、厳しい人や意地悪な人は当然いて、中には耐えられなくて脱走する子もいて、決して楽しいとは言えない施設の生活。

怖いもの知らずと臆病者

洋二さんには同じ施設で生活した幼馴染がいて、それぞれ施設を出てから全く別の人生を歩むことになる。
怖いもの知らずの幼馴染は、喧嘩っ早い性格。一方洋二さんは臆病でビビりな性格。頼もしい存在でもあった幼馴染は施設を出てヤクザの世界へ進み、その後自殺してしまう。
お金に関して殆ど知識がなく施設で育った子供たちは社会に出てから、お金に関してとても苦労するのだ。これは普通の家庭でもある事で、学校ではちゃんとしたお金の授業がない。普段の生活の中で、親からなんとなく教えてもらったりしながら身に着けていくしかない。
ましてや社会に出るまでに月に一度だけしかお金に触れる機会が無く、お金の使い方が分からなかった洋二さんたちにとっては、より大きな問題としてのしかかってくる。だから簡単に借金を作ってしまうのだ。
それが原因で施設での生活から社会人として上手くやれずに、借金を苦にヤクザから逃げるため自殺した先輩もいた。
洋二さんが何故そちらの道に行かなったのかは、臆病で我慢強かったこと。そして、落ちすぎないところでストップをかけることができたことが、道を外れずに来れたのではないかとおっしゃっていたけれど、それだけじゃない、堅実さや前向きさもあったのだとも感じる。

たとえ同じ環境で育ったとしても、皆が同じ方向へ進むのではなく、それぞれにそれぞれの道を選んで進んでいく。両親に頼れない洋二さん達の場合は早いうちから、その道を自分で見定めていかなくてはならないのだ。

実家での暮らしで初めて家庭環境を知った

我慢強かった洋二さんも、流石に中学生になると施設を出たいという気持ちが強くなり、中学を卒業して夜間高校に上がるタイミングで念願の実家に戻って生活を始める。
思い描いた実家での暮らし。
けれど、思いとは裏腹に更なる現実を突きつけられる事となります。

実家には祖母、母、弟、母の弟、母の弟の息子が同居していた。
洋二さんは昼間はアイス工場で仕事をして夜は定時制高校に通い、帰りは10時や11時頃になる。ほとんど寝に帰るだけの生活。朝夜、顔を合わす度に母の弟は夜間高に通う洋二さんをバカにしてきては肩身の狭い思いをする。
更に同居しているうちに、今まで知らなかった家庭事情を知り始めた。

3歳から児童養護施設に預けられている洋二さんには、両親のことも、どうしてここに預けられているかも、深く説明のないまま高校生になっていた。だから高校生になって、初めて家族の現実を突きつけられることになった。

ある日、いつものように夜遅くに帰宅すると、母親が注射を打っているのを見て心配になり、施設の職員に相談してみると、糖尿病の薬、インシュリンではないかという話になったのだが、調べるとインシュリンはお腹に注射する。
けれど、母親は明らかに腕に注射していた。

しばらくして隣の家の庭から、大量の注射器の塊が出てきて警察沙汰になったことがあり、そこで初めて覚せい剤の事や、自分の父親のことなど深くを知るのだった。

最初で最後のお母さん

実家に帰っても洋二さんは「お母さん」と呼べずにいた。
幼少期から中学卒業まで施設にいて、お母さんとの思い出もなく育った洋二さんには、そもそもお母さんと思えなかったのだ。
お母さんと呼べないまま時は過ぎ、洋二さんが20代の頃に母親がもともと抱えていた、持病が原因で意識不明で倒れ入院する。
意識が戻らないまま暫く入院をしていた時、お見舞いに行き
「お母さん、来たよ。」
初めて「お母さん」と呼んだ時。
それを最後に母親は息を引き取りました。

そしてそれが、洋二さんにとって最初で最後の「お母さん」でした。


今だから思える感謝と願い

一家を離れた洋二さん。その後、実家は母親の弟がギャンブルでの借金が膨れ上がって借金返済のため実家を売ることになり、自己破産となった。
理想とはかけ離れた家族、現実が全く違う事を知った洋二さんは、いよいよ実家でも居場所がなくなり、高校3年生の頃、何もかも嫌になって仕事も高校も辞めてついに家出をする。
当時7万の給料から2万を実家に入れてたのだが、姉と口論になり「3万払えないなら出て行け」と言われた事が最終的なきっかけになった。
当時、同じ夜間高校に通っていた友達が偶然にも違う児童養護施設で育ち、施設の野球の試合等でちょこちょこ会っていた友達で、その友人の家に転がり込んで、一緒に生活をすることになった。
その友人のお陰で、一旦退学した高校だったけれど、もう一度思い直し頼み込んで再入学し、21歳で高校を卒業することができた。

理想と現実の違いを知った頃、施設のお陰で今の自分があると初めて思えるようになった洋二さん。
施設での生活でいい思い出も嫌な思い出も無かったけれど、児童養護施設で暮らしたという経験ができた事が心から良かったと思えるようになり、今では恩返しがしたいとも思うまでになった。
自身が育った場所だからこそ、洋二さんは今でも施設に気持ちを寄せていて、連絡をとっている。
当時は大変だった施設内の環境も、今は随分と改善されて、困ったことや嫌な事があれば訴える場所もでき、子供同士の上下関係も無くなり、職員の立場も弱くなり、随分と一日のスケジュールも緩くなっていて、当時よりも過ごしやすくなっている。課題は地域との壁や区別が無い、もっと解放された施設であること。それによって、差別的な目で見られてしまうことが少なからずあるからだ。そうして今、児童養護施設は、風評被害、職員不足、子どもたちの自立問題、そしてコロナ禍という4つの難題に直面している。

洋二さんが一番に願うこと。

児童養護施設が減り、無くなること。

子供たちが幸せであること。

良い家庭が増えること。

家族みんなが笑って過ごしてほしい。

それは洋二さんが子供の頃経験できなかったことで、
それが洋二さんの変わることのない願い。

はなまる@彩海さんが描いた似顔絵

新しい家族

洋二さんは現在、結婚を機に福岡から長野へ移住し、幸せな家庭を築いている。この壮絶なお話を伺っている時も、洋二さんは淡々と、決して悲観したり、躊躇したりすることなく、時にニコニコとご家族と笑いながら話してくれる。不思議な時間だった。そこに本物のリアルがあるような気もして、そのままを物語にしました。
ネガティブをポジティブに変えることができてしまう洋二さんは、生きる力を持っている人なのだ。
心の病が増えている現代に、絶望を希望に変えて、前向きに過ごしている姿は尊敬でしかなく、それは本当の暗闇を知っているからこそ、本当の光を知っているからなのだと思うのです。
ご家族からも愛に溢れた温かさが伝わってきて、どんな環境であっても、我慢強く、決して腐ることなく、前向きに捉え、幸せに生きる事はできるのだとということを身をもって、教えてくださった洋二さんの物語。
今度は新しい家族と共に、愛溢れる素晴らしい第2章の物語がまだまだ続いていくのだ。

物語の主人公はなまる@Youjiさん、彩海ちゃんと愛芽

はなまる>>instagram

そらのたね>>instagram
>>公式HP

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あとがき

はなまる@Youjiさん。貴重なお話を心からありがとうございました。洋二さんのお話は、児童養護施設が抱えている問題にとてもリンクしていて、そのリアルな現状を知らせてくれています。
実際に児童養護施設は2019年時点で全国に605カ所あり、約2万5千人の子どもたちが生活しており、児童養護施設への入所理由の65%は虐待によるもの。障がいがある子供も増えてきています。さらに、児童養護施設で生活している児童は経済的な理由から大学進学率が低く、退所後の自立にも難しさを抱えており、児童養護施設で暮らす子どもは様々な支援を必要としています。2019年度、子どもが親などから虐待を受けたとして児童相談所が対応した件数は全国で20万5029件。20万件を超えたのは1990年度の統計開始以来、初めて。特にこの5年間で約2倍に増えている。翌年2020年の新型コロナウィルスによって、現状がもっと悪化している状況がうかがえるのです。子供たちのメンタルケアはとても重要で、そんな中でも前向きに活動をされている施設はあります。
社会の問題に対応できない子供たちは一番の被害者で、その子たちが未来を担っていかなくてはなりません。今一度、子供たちの全体の現状を知り、大人として何かできることを考えることが重要なのではないかと思います。
そして、帰る家があることの幸せ。当たり前だと思っていることが幸せなのだという事、今ある幸せに気づくことも洋二さんは教えてくれました。悲しみを抱えている人も、そうでない人も、分け隔てなくこの物語が生きる力と、沢山の人の心に届きますように…🌱

参考施設サイト>>未来の森
>>ビヨンドトゥモロー

2020年からスタートしたそらのたね展
地元である伊那市児童養護施設たかずやの里への寄付を目的に続けています。

こちらの記事に頂いたサポートは寄付に充てさせて頂きます。どうぞ宜しくお願い致します🌱

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