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星野道夫『旅をする木』(読書感想文)-もうひとつの時間-

ぼくたちが毎日を生きている同じ瞬間、もうひとつの時間が、確実に、ゆったりと流れている。日々の暮らしの中で、心の片隅にそのことを意識できるかどうか、それは、天と地の差ほど大きい。

星野道夫『旅をする木』文春文庫 
(123ページより)


写真家の星野道夫さんはアラスカを拠点に、数々の息をのむような自然動物の写真や、その人柄が伺えるような、素晴らしい文章などを遺した方だ。
96年に取材中にヒグマの事故により急逝してしまったが、亡くなって25年以上にもなるのに、今もなお、その作品や人柄に惹かれる人が後をたたないという。


私は今まで、大自然とは一切無縁な生活を送ってきた。
幼い頃から都会のベッドタウンと呼ばれるようなところに住んでいて、裏山はあったが子供だけで遊びに行くこともなく、自然といえば、空き地に1人でしゃがんでシロツメクサの花飾りを作っていたくらいだった。


そんな私でも、飛行機に乗ったとき、ブロッコリーのように小さく見える緑の山々の中に、沢山の野生動物が今現在も生息していて、私の人生の時間と並行していると感じることがある。

それは、田舎に向かう高速道路から見える山を見ても感じるし、自分の家の安楽なベッドの上でも考えたりする。
深い海の底にも同じような思いを馳せることもある。

そしてその考えに心が飛んでゆくと、とても不思議な気持ちになり、同じ地球上の同じ時間軸にあるはずなのに、本当のこととは思えないような感覚に陥るのだ。

大都会の東京で電車に揺られている時、雑踏の中で人込みにもまれている時、ふっと北海道のヒグマが頭をかすめるのである。ぼくが東京で暮らしている同じ瞬間に、同じ日本でヒグマが日々を生き、呼吸をしている……確実にこの今、どこかの山で、一頭のヒグマが倒木を乗り越えながら力強く進んでいる……そのことがどうにも不思議でならなかった。
(中略)
あの頃はその思いを言葉に変えることは出来なかったが、それはおそらく、すべてのものに平等に同じ時間が流れている不思議さだったのだろう。

星野道夫「旅をする木」文春文庫 
(本文121ページ〜122ページより)


「旅をする木」を読んで、十代の頃の星野さんも同じように感じていたことに驚いた。

星野さんの経験や人柄とは、私はあまりにもかけ離れているのが分かっているので、同じだ、と勘違いしただけで、もしかしたら全然違うのかもしれない。

けれどもやっぱり、本を手に取った一読者として、感じたことを素直に書いてみよう、と思った。




私は、小さい頃から読書が好きだった。
出版関係の仕事をしていた親戚が、毎年何冊も色々なジャンルの本を持ってきてくれて、いつもそれを楽しみにしていた。その環境はとても幸運で、今でも本当に感謝している。

読書を通じて、私は色々な場所に行った。
小さなカエルと共に命を賭けた大冒険をしたり、100年も前のカナダの島に行き、その美しさを目の当たりにしたり、葉っぱの影の小さな人たちと仲良くなったり…。

その全てがきっと、私の中に〝沈殿〟している。
この、〝沈殿〟という表現は「旅をする木」の中に、何度かでてきたものだ。

「旅をする木」も、私にいろいろな感情を経験させてくれて、そして沈殿してゆくのだと思う。


「ほぼ日刊イトイ新聞」のウェブサイトの記事に、アラスカで何日も待ち続けたカリブー(トナカイ)の大群に、星野さんが遭遇したときのことが書かれている。

星野さんへ向かって、ある日、地平線の彼方から、カリブーの大群がやってくるのが、ちいさく見えはじめた。
(中略)
でも、その群れのまっただなかにのみこまれようとする瞬間、星野さん、撮るのを止めるんです。
(中略)
この光景、この音、このにおい。追い求めてきたカリブーの群れを、自分の五感を全開にして、全身で受け止めて、記憶したいと、カメラを置いてしまうんです。

ほぼ日刊イトイ新聞「インタビューとは何か。」
04松家仁之さん篇より

これは松家仁之さんという、星野さんの担当編集者だった方が話されているインタビュー記事の一節だ。

ひと月もの間、凍傷になるほどに待ち続けたカリブーの群れを見たら、夢中でシャッターを切るのが普通かもしれない。けれども、星野さんはそれをしなかった。
その代わり、全身で記憶したのだ。

星野さんはもし、写真か経験、どちらかを選ぶとなったら、「経験」を選ぶ人だったそうだ。


またある夜、降るような星空の元、アラスカの氷河の上で、星野さんの友人が話した言葉も心に残った。

「いつか、ある人にこんなことを聞かれたことがあるんだ。たとえば、こんな星空や泣けてくるような夕陽を一人で見ていたとするだろ。もし愛する人がいたら、その美しさやその時の気持ちをどんなふうに伝えるかって?」
(中略)
「その人はこう言ったんだ。自分が変わってゆくことだって……その夕陽を見て、感動して、自分が変わってゆくことだと思うって」

星野道夫「旅をする木」文春文庫
(本文119〜120ページより)

星野さんは「人が1人亡くなるということは、図書館がひとつ焼け落ちるのと同じことだ」と言い、アラスカの人々の話を聞き、本にまとめようとしていたそうだ。

有名、無名とは関係なく、人はその心の中に果てしない広がりを持っていて、それがこの地球上の全ての人にそれぞれ存在するのかと思うと、途方もない気持ちになる。



日常の中で、どうしても目の前のことに一喜一憂したり、視野が狭くなったりしてしまう自分がいる。
理屈ではわかっているのに、何かに執着したり、心に余裕がなくなり、大切な人を傷つけるような言葉を深く考えもせずに投げかけてしまったり…。

そんなとき、「もうひとつの時間」を感じることができたら。
目の前の世界が全てではない、ということを、感じることができたら。

ぎゅっと縮んでしまった心がほぐれ、もっと遠くへ目を向けられるようになるのではないかと思った。


星野さんはご自身で経験されたことを沈殿させ、それを写真や文章を通して、私達に分けてくれた。

淡々と、でも美しい文章でつづられた「旅をする木」は、これから先も新しい世代に読み継がれて、ずっと旅を続けていくのだろう。
その中の一人になることが出来て、心から嬉しいと思った。



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