【#1】 連載小説 『 美容室「ヨアケ」、開店します。』 (第1章 「毛玉セーターの佐藤さん」第1話)
【あらすじ】
美容室「ヨアケ」には、ある「ひみつ」が隠されている。
それは、もし知られてしまえば全国から客がひっきりなしに押し寄せるような「ひみつ」だった。
謎の多いオーナー、シルバーグレーの猫…
平凡に見える美容室に、何が隠されているのか。
ある日、初老の男性佐藤さんが美容室「ヨアケ」を訪れた。麻衣を、娘と似ているからと指名し、通うようになる。
しかしある出来事をきっかけに、佐藤さんは姿を見せなくなってしまう。
しばらくして、麻衣は公園でたまたま佐藤さんを見かけるが…。
ただ会う、だけではない。
“ 本当の意味で ” 誰かに逢いたいと望んだとき。
その人には、美容室「ヨアケ」から知らせが届くかもしれない。
第一章 『毛玉セーターの佐藤さん』
美容室の店名といえば、フランス語とか英語でオシャレな雰囲気のものが多いけれど、その店の名前は、
「美容室 ヨアケ」
だった。
変わっているのは店名だけではない。
この店にはある「ひみつ」が隠されていた。
それはもし知られてしまえば、全国から客がひっきりなしに押し寄せるような「ひみつ」だった。
だけど今のところ「ひみつ」は秘密のまま、美容室の奥底に隠されていて、
「ヨアケ」は、ごく普通の商店街の片隅にあり、平凡な様子で今日も通りを見下ろしていた。
「美容室 ヨアケ」、開店します。
***
田辺麻衣は、美容室「ヨアケ」のアシスタントになって四年目だった。
そろそろスタイリストに昇格して、一人前になっても良い年だ。
麻衣は毎日のように夜遅くまで練習し、アパートには寝に帰るだけ、という日々が続いていた。
同期で三名ほど入ったが、一人は入って一ヶ月で突然来なくなり、もう一人は三年目で辞めて田舎に帰って行った。
残ったのは麻衣一人だけ、愚痴をこぼせる相手もいなくなってしまった。
美容の専門学校に入学するため、麻衣は長野県から東京に出てきた。
彼氏が出来ても忙しくて長続きしなく、休日も勉強会があったりして、友達ともあまり遊べないような毎日だった。
美容師になるには国家試験にパスしなければならないが、それだけですぐに客の髪を切れるわけではない。
まずはどこかの美容室にアシスタントとして入り、数年間はシャンプーや先輩のスタイリストの補助、雑用をしながら、美容室内の様々な試験に合格しなければならない。
そして晴れて、スタイリストとしてデビューすることになる。
「ウイッグ」と呼ばれる、人の頭のマネキンを使って、ただひたすらカラーやパーマ、カットなどの練習を重ねる日々だった。
その安くても数千円はするウイッグや、何万もする自分用のシザー(ハサミ)、それを入れる革製のケースなど、その他いろいろとローンを組んだりして、自費で揃えなければならなかった。
だから麻衣の生活は華やかなイメージの美容師とは程遠かった。
美容室「ヨアケ」は、東京郊外の各駅停車しか停まらない、小さな駅の近くにある。
駅前商店街の細い脇道を入り、少し歩いたところにある雑居ビルの一、二階だ。
一階部分はフロントでレジと大きなソファー、トイレがあり、二階が椅子やシャンプー台があるフロアになっていた。
「田辺さぁ。何回言ったらできるようになるの?」
「すみません…」
麻衣は二階の奥にある休憩室で、女性店長の坂本からから小言をもらっていた。店長の客のパーマのロッド(カーラー)の巻き方が、少しゆるかったからだった。
坂本は背が高く、スタイルの良いロングヘアの美人で、カットの腕も良いので顧客を沢山抱えていた。
まだ28歳だが、店長になるだけあって研究熱心な努力家で、麻衣はひそかに憧れていた。
けれども気分屋で口調がキツいので、なかなか扱いは難しかった。
「店が忙しいからとか、田辺が半人前だから、とかいうのはお客様には関係ないんだからね。気に入らなかったら、黙ってもう来ないだけなの」
坂本はイライラとした様子で、指先のささくれをむしりながら言った。
「田辺もスタイリストになったら分かると思うけど、アシスタントのやったことも全部、お客様にとってはスタイリストのやったことと同じなわけ。
だから信頼できる人にしか、自分のお客様は頼みたくないの。分かるよね?」
「はい…」
「お直しで再来店したらタダだし、それだけお店やスタイリストに損害を与えるんだからね。お客様の時間だって無駄になるわけ。
だから次は絶対、失敗しないで。あんたの佐藤さんとは違うんだから。今日は上手く出来るまで練習してきなよ」
「はい…すみませんでした」
坂本は荒れてひび割れた手にハンドクリームを乱暴に塗りこむと、不機嫌な様子のまま休憩室を出て行った。
佐藤さん、というのは、麻衣の唯一の顧客だった。
友達や知り合いは、アシスタントの麻衣でもカラーリングなどの指名はしてくれるのだが、佐藤さんだけは何故か最初から面識も無い麻衣をカットで指名してきたのだった。
街角で道ゆく人や知り合いにカットモデルをお願いして、無料で切らせてもらうことはあるけれど、アシスタントが客のカットをすることは通常ない。
麻衣の友達も、カットだけは先輩のスタイリストにお願いしている。
歳は六十そこそこだろうか。背が低く痩せていて、片足を少し引き摺るような歩き方をしていた。
毛玉のびっしりついた灰色のセーターに紺色のスラックス、泥汚れがこびりついたスニーカーを履いていた。頭は白髪交じりで、てっぺんが薄くなっていた。
通常そのくらいの年齢の男性は、おしゃれな人でもない限り、床屋に行く人が多い。だから入って来た時は、その場にいた人みんなの注目をあびた。
しかし、注目をあびた理由は、それだけではなかった。
佐藤さんは、臭かった。汗と埃が交じって、すえたような臭いがした。
「ありがとうございましたー、またよろしくお願いしまーす!」
ちょうど会計を済ませたばかりの中年の女性客が、店長の坂本に見送られて帰っていった。女性客は佐藤さんの横を通り過ぎるとき、あからさまに顔をしかめた。
「…いらっしゃいませ」
フロントの女性スタッフ、入江が、多少表情をこわばらせつつ、しかし笑顔を作って言った。
「こちらは初めてでいらっしゃいますか?」
しかしその途端、佐藤さんはびくっとして何も言わないまま、出て行ってしまった。
「ちょっとなにあれー!こわっ!」
佐藤さんが行ってしまうと、店長の坂本は入江とひとしきり「怖かったね~」「気持ちわるっ!」「ストーカー?」と話し合った。
そして「臭くて、毛玉びっしりセーターのヤバイおじさんがきたよー。みんな気をつけて」と女性のスタッフに注意した。
***
しかしそれから三日後の雨の日、再び佐藤さんは「ヨアケ」にやってきた。
そのときはフロントの入江が休憩を取っていて、代わりに麻衣が一人でカウンターに立っていた。
一階、二階共に、通りに面している部分は全面ガラス張りになっているので、入ってくる客は良く見える。
入り口のドアの前で落ち着かない様子で立っている男性の姿に、麻衣は気が付いた。
ビニール傘を閉じようとして手を掛けるが、思い直したようにやめたりして、入店をしばらく躊躇している様子だった。
しかし遂に傘を閉じて二、三回バサバサと振ると、不器用な様子で、でも丁寧に畳んで入り口の傘立てに入れた。
そしてガラスのドアを押して、中に入ってきた。
「いらっしゃいませ…」
麻衣はすぐに「この間店長が言っていた、毛玉セーターのおじさんだ…」と気付き、身を固くした。
麻衣は前回は佐藤さんと接していないのだが、二階フロアから帰っていく姿をちらりと見たので覚えていたのだった。
そのときと服装は同じで、毛玉のびっしりついた灰色のセーターに、紺色のスラックスを履いていた。
前回は泥汚れがこびりついたスニーカーだったが、洗ったのだろう、くたびれてはいたが汚くはなかった。
そして今日は特に臭うことはなかった。
「あの…こちらは初めてでいらっしゃいますか?」
それでも麻衣は、マニュアルどおりの声掛けをした。
「あ…ええ、あ…はい。」
佐藤さんは一瞬びくっとしたが、しどろもどろに答えた。
「本日はどのようになさいますか?」
「…どのように…って…あー…」
「あの、カットですか?」
「あ?ああ、そう、カット…」
「では、お掛けになって少々お待ち下さい。」
「ああ…はい」
佐藤さんは大きなソファーの隅っこに腰掛けた。麻衣は「カウンセリング・シート」と呼ばれるアンケートのような紙をボードに挟み、佐藤さんに声を掛けた。
「初めての方にこちらを書いて頂いているので、よろしいですか?」
「あ…はい。」
佐藤さんはペンとボードを受け取ると、少しのあいだボードをじっと見つめ、それから書き始めた。しばらくして、佐藤さんがペンとボードを目の前のガラステーブルに置いたので、麻衣は取りに行った。
「ありがとうございます。もう少々お待ち下さい」
カウンセリング・シートをみて、麻衣は驚いた。
あまり綺麗とは言えない字で、名字の欄に小さく弱々しい筆跡で「佐藤」とだけ書いてあり、住所や連絡先は空白だった。そういう客はたまにいるので、驚いたのはそこではなかった。
「ご希望の担当者」という欄に、「田辺さん」と、麻衣の名前が書いてあったのだった。
(わ、私のストーカーだったの?!なんで名前知ってんの?…あ、ネームプレート着けてたわ…えっ、でも何で?)
面識がないので訳が分からず怖かったが、麻衣は必死に笑顔を取り繕って言った。
「あの…佐藤様、田辺は私ですが、他の者とお間違えじゃないですか?」
「あ…は、いえ…」
「大変申し訳ありませんが、私はアシスタントでカットはまだ出来ないんです。他のスタッフでもよろしいですか?」
「…いえ、いや、あ…あんたに…」
「私ですか?…でも私はアシスタントなので…」
「…いや、でも、あんたに…。」
そのとき、二階から三つ上の先輩、男性スタイリストの新城が降りてきた。
新城は麻衣の教育係りのように、いつも面倒をみてくれるスタッフだった。オシャレで美容のセンスも良く、スタイリストになるとメキメキと頭角をあらわしていった。
麻衣は新城を尊敬して頼りにしていたが、ちょっとチャラい感じがするのが難点だなあ、と思っていた。
短いサイクルで彼女が代わり、そうかと思えば誠実さがちらっと見えるときもあったりして、何を考えているのか分からないところがあった。
麻衣は、新城がモテる秘訣はそこなのかもしれないな、と思ったりした。
「いらっしゃいませ!」
新城は愛想よく言うと、「…おい田辺、どうかしたか?」と小声で聞いてきた。
麻衣はホッとして、助けを求めた。
「新城さん、このお客様が私をカットで指名したいって…」
「え、なんで?知り合い?」
「いえ、全然…」
「じゃあ、なんで?!」
「そんなの、こっちが知りたいですよ…」
「それじゃ、ちょっと言ってみるよ」
新城は佐藤さんの脇に行って、困ったような表情を作りながら話しかけた。
「お客様、こちらの田辺はまだ勉強中でして、カットは出来ないのですが…」
「そうですか。…でもいいです、この人で」
佐藤さんは頑なに言った。
「シャンプーやカラーの指名なら、アシスタントでもできますが…」
「え、いや、でも…カットで」
「そうですか。では少々、お待ち下さい」
新城は小声で「店長に相談してくる」というと、二階に戻っていった。
佐藤さんは、ソファーに硬くなって居心地が悪そうだったが、それは麻衣も同じだった。
(なんで私を指名?このおじさん、どっかで会ったことあったっけ?)
麻衣はいろいろ考えたが、どうしても思い出せなかった。
しばらくすると新城が降りてきて言った。
「田辺はまだ修行中なので未熟ですが、スタイリストがフォローしますので、それでよろしければ担当させて頂きます。いかがですか?」
「ああ、はい、お、お願いします」
「それでは、お二階にご案内します」
麻衣は驚いて新城を見た。新城はカウンターの後ろに麻衣を引っ張り、小声で言った。
「店長がいいって。田辺を試そうとしてんじゃね?」
「ええ?!だけどまだ私、カット自信ないし…」
「大丈夫、大丈夫。俺が見てあげるからさ。仕上げもするし…」
そして、新城はさらに声を落としてから、
「でも、もしヘンな事されそうになったら、すぐ言えよ」
と付け加えた。
「えー…どうしよう…」
「ほら、お客様待ってっから。早く早く」
麻衣は仕方なく、佐藤さんを二階に案内した。
(第1章・第2話に続く)
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