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「トニー・スタークにはなれないけれど、名も知らぬあの子に温かいスープを届けたい」


トニー・スタークは、自分にとって憧れのヒーロー像の終着点だった。世界中が彼等の活躍に夢中になった、マーベル作品のヒーローの一人、アイアンマンの生みの親であり中の人である。ロバート・ダウニー・Jr演じるトニー・スタークは天才的な頭脳を持ち、人間として紆余曲折しながらも、最期は愛する家族を残して、ヒーローとして世を去った。

私は長い事、家族第一で生きて来た人間である。幼いころから、まるでそれを使命と定めて生まれて来たかと思う程に、母親の右手として、或いは左手でも足でも良い、兎に角母の支えとなって活動するのを喜びとしていた。弟妹が多い事も多分に影響していたと思う。私が目一杯活動する事で、家族が喜んでくれる。笑ってくれる。それがどうにも嬉しかった。

そういう私が母を失った。十年以上前の話である。当時わが家には高校生も中学生も小学生も居た。私からしてみれば、ロボットならば母体を失った手足だけの自分が、これから十年、最後の一人が成人するまで、彼等を守り、時に見守り、全力で支えなければならないのだと思った。誰に押し付けられたわけでもなかった。けれど、今よりもっと頭の固い二十代の私は、年上の人間としてそれが当然と思っていたし、弟妹がそれぞれ自立するためには、母親のポジションが必要不可欠であると思った。どれだけ繕おうと自分は到底「母」その人にはなれないけれど、役目を負うことはできるだろうと思った。父は幸い外で働き続けてくれた。私は同時に二つの事が出来ない性分である。これが収入を得よ、家を守れよとなっていたら、早々音を上げていた事だろうが、取り敢えず、どうにか家族が生きていけるだけの収入はあった。それで私は母親の役へ徹した。

私は大変厳しい人間であった。自分にも他者にも厳しい人間であった。弟妹たちは皆、厳しい事を云われて育ったと、恨みもさぞ多い事だろう。こちらとしても自覚がある。けれど若い私には余裕がなかった。彼等が数年で、一人でもこの社会に立っていられるような、根性の或る人間へと成長するためには、自分が母に教わって来た事は全て伝えておかなければならないと考えてもいたし、周囲から母が居ない事を言い訳に甘く見られるような人間であってほしくなかったのだ。ただ、当時人へ与えた不快は、今の私が甘んじて受けることにしよう。

兎にも角にも、家族全員めでたく成人した。つまり独り立ちだ。もう自分の力で生きて行く歳なのである。無論のこと、誰かと支え合って生きる世の中でもあるけれど、この大地に立つのは己の力一つなのである。そうして、もしも君の手が、他の誰かを支えられると思ったら、どうかその手を差し伸べる人であって欲しいと思う。うちの家族はみんな優しいのだ。それができる自慢の家族だと私は思っている。なにしろ偉大な母の子なのだから。

さて、家族の話をすると長くなる。今日の目的は他にあるので、本題に入ろう。

長く家族第一で駆け抜ける様に生きて来た私は、とうとうお役御免となってみて、一年はまごまごした。あんまり心血注いだものだから、自分へ目を向ける事も忘れていたし、これからはてどう生きようかと考え込んでしまった。それでも日々は同じリズムで時を刻んで過ぎて行く。天然自然は季節と共に姿を変える。私がずっと変わらず心を寄せて来たものは、天然自然の中に在った。大地のおかげで自分らしさを失わずに呼吸する事が出来た。

その内自分の身を置く生活環境も変わって来た。私も幾ばくかのお給料を頂く身分になった。ここnoteの場を出発点にして、物書きの道も本格的に歩むようになった。

或る日、ずっとずっと気になっていた事を思い出した。というより、思い出さされた。きっかけは、ヤフーのトップ画面に出て来た広告の一枚だった。

私はキテレツ大百科世代だけれどパーマンも好きだった。お面とマントでヒーローになった。仮面ライダーにもなった。キン肉マンにはなれないと思った。スッパマンにはなりたくなかった。いつかヒーローになろうとまで正義の味方でもなかったけれど、誰かの役に立てる人であれたらいいなと思っていた。

トップ画面に現れたのは、ユニセフの広告であった。私はそれを見て、ある出来事を思い出した。

東日本大震災の後、企業からの巨額の寄付表明も少なくなかった。その中で、ソフトバンクの孫正義氏が百億円を寄付すると表明した時は新聞でも話題になったのでよく憶えている。表明後、中々寄付しないじゃないかと云う人も居て驚いたが、孫氏は後日、その百億円を何処へ幾ら寄付するのか自ら割り振りを表明したのだ。その手腕に私はいたく感心させられた。寄付するだけでも大変なことであるのに、丸投げするのでなく、本当に必要な所へ届くように、きちんと御自身で見極められた事、そのような判断を冷静になされる手腕に、やはり大きな組織を纏める人の偉大さを実感した。本当に、世の中には凄い人が沢山いるのだ。

では、今の自分はどうだろう。一人の人間として、今を生きる人として、一体何をしているだろうと考えた。自分に出来る事は全てやりたいと思った。では何が一番気になると云って、やっぱり子どもたちだった。私は、同じ時代に生まれながら、今日食べるご飯に困る子どもたちがいる現実が、どうにもやるせない。今こうして私が穏やかな山に囲まれて息をする間にも、命の危険と向き合う幼い命の或る事実が、余りに理不尽と遣り切れなく思う。

これまでの自分には、誰かへ物質的な援助をする力も、財力もなく、たまに募金箱を見つけては、僅かでも小銭を入れるので精一杯だった。家族に注ぐだけで手一杯だろうと決め切っていた節もある。だが今は違う。自分で働いた分の収入は、自分で使い道を決めて良いのだ。

私はユニセフのホームページを訪れて「マンスリーサポート・プログラム」を知った。毎月決まった額を自動的にユニセフに引き落としてもらい、寄付するシステムである。例えば月に二千円なら、1年間で、重度栄養不良の治療用ミルク833杯分になるという。例えば月に五千円なら、1年間で、子どもたちが学校に通うためのスクールバッグ211人分になるという。

自分に出来るだろうか。実はそれ程でもない収入から、毎月寄付なんて、そんな立派なことができるだろうか。迷った。考えた。こういう課題は、一晩だけ寝かせる事にしている近頃の自分は、この日は申し込むことが出来ずに布団へ潜り込んだ。


「あなたはそういう事をする人になると思ってたよ」


朝方母に言われた。穏やかな目覚めであった。私は太鼓判貰ったと、漸く安心してマンスリーサポートに申し込んだ。まずは月に二千円。これで一年を目標に続けようと思う。二月に申し込んで、まだかまだかと待っていたら、三月の頭にとうとう一回目の引き落としが確認できた。四月の分も確認した。ちゃんと引き落とされている。一年続けて、次の一年の取り組み方を考えよう。

一人ではとても届けられなかった。けれどユニセフが、届けてくれるという。世界中から想いを集めて、名も知らぬあの子へ温かいスープを届けてくれるという。本当にありがたい話だ。どうか、きっと届きますように。本当にそれを必要としている人々へ、確実に、届けられますように。

私は継続して寄り添う人になりたい。

サポートが確認できたら、決意表明も兼て、ここできちんとお話しようと思っていた。本当は、小説の売り上げで誰かを支えたいと思う。作家として生きて行くことで、ミルクなり鉛筆なりを届ける事が出来たらどれ程幸せかと思う。だが今はまだ、別で働いたお給料からお届けしている。
けれど私は近頃、一つ嬉しい気付きがあった。執筆ではない活動をするとき、例えば職場で大量の食器を洗うとき、御給仕をするとき、今までは何故ここに居るのだろう自分はと、物悲しくなる日もあった。けれど、そうして働く活動の対価として得た物が、いずれは子どもたちのスープになると思うと、これ程働き甲斐のある事もないと思ったのだ。それなら随分頑張れる。働いていて良かった。そう思った。

先日ユニセフから郵便物が届けられた。

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なんだか立派な冊子だ。仕事と執筆の合間に少しずつ読んでいる。

ユニセフは、この活動を積極的に広めて欲しいそうである。それなら私がホームページをここへ貼り付けても問題無いのだろうと思う。

御興味お持ちの方がいらっしゃれば、一緒に誰かの命に寄り添う力になりませんか。あなたが手を差し伸べてくれる日を、待っている子がいると思います。


私はトニー・スタークにはなれない。けれど自分にできる事は全部やる。小さなヒーローに、いつかなれたら嬉しい。

                 二〇二一年四月     いち


追記・二〇二二年四月になった。全くの偶然だけれど、今日、ウクライナ緊急支援に協力すべく、ユニセフを通じて寄付をした。全くの偶然だけれど、noteの記事を遡ってこの記事に辿り着いた。

 二月に彼の国で戦争が始まって以来、再三に渡ってユニセフともう一箇所、自分が毎月寄付登録をしている国連WFPから寄付依頼のメールが届けられていた。だが自分のお財布事情を鑑みて、今以上の寄付は厳しいだろうと考えていた。ところが戦争が終わらない。苦しむ人々は増える一方である。ユニセフによれば、例えば一万円寄付すれば、それで汚れた水を安全な水に変えられる浄水剤ひと月分(158家族分)になるらしい。それなら、幾らあれば戦争を止められるんだと思う。戦争が終わらない。戦争を終わらせたい。力が無い。財力が無い。だがそんな自分でも出来る事をしたいと思った。
 いつかウクライナに、もう一度春が来た時、少しでも多くの命が守られます様に。そう願いを込めて、寄付をしてきた。

                  二〇二二年四月一日    いち


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