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「太宰治を尊敬した日」

 十代の頃、初めて太宰治に出会いました。「走れメロス」や「人間失格」を外からの学びで教わった私は、「暗い!こんな暗い所へ引きずり込まないでくれよ」と粋がって、走って逃げました。

 そのまま二十代になりました。逃げたはずであるのに、依然として太宰作品は目の前に在りました。今度は私は、凝とそちらを見たまま、一歩ずつ、後ろへにじり下がりました。そうやって下がりながら対峙していたら、或る日こつんと後ろへ当たるものがあって、振り返った私の手に、巡り巡って行き当たった太宰治が在ったのです。それが「津軽」でした。

 私は当時、漠然とひたすらに「青森」が気に掛かっていました。何か都合が在るわけではないのです。約束も無いのです。けれども私の人生の中で、いつの間にか、気が付くと無性に気に掛けている場所であったり、人物というものが存在している時期があって、そう云う物はあらゆる角度から私の日常に触れてきて、最終的に一本の線で繋がるのです。

 この時のキーワードは「青森」でした。そして、計ったように、色んなものが青森に繋がるのでした。分かりやすく云うならばこれが「運命」という物かも知れません。そう強く意識せざるを得ない力が、己の関知しない所で働くのです。そして大抵の場合、成程あの時のあれはそうであったかと、後から振り返って気が付くのでした。当時の私は、断然「青森」へ行きたいと思いました。けれども果たして青森の何処へ行ったらいいのだろうと考えてしまいます。何故行きたいのかも判然しません。そういう日々の中で出くわしたのが、此れを偶然と呼ばず必然と呼ぶのかも知れませんけれど、太宰治の「津軽」でした。

 津軽と云えば青森だな。ああ、太宰治は青森の出身なのか。何だか気になるな・・・これを読めば青森が気に掛かる理由も少しは解けるかも知れない。

 読もう。

「津軽」を読んだ、私の衝撃を御推察下さい。私は笑いました。文字を追い掛けながら、声に出して笑いました。笑わずに居られなかったのです。あれ程「暗い」「じめじめしている」と逃げ回っていた私の、太宰治という一人の人間の、余りに素直な人柄に触れた時の衝撃を、どうかご想像願います。

 私はじっくり時間をかけて勝手に作り上げていた「太宰治」という人の人物像を、たった一冊の、それもあるワンシーンで、ごっそり全部ひっくり返してしまいました。

 この瞬間、私は太宰治を尊敬しました。

 文豪に、偽りなし。ひしひしと身に迫る実感でありました。

 それから少しずつ、時を置きながら太宰作品に触れて行きました。其処にはもう出会いの楽しみが待つだけですから、数ある中からどれを選択するか、私は毎回心を弾ませました。

 未だ途中である、太宰治を知る旅路ですけれど、あの短編のあの場面、この一行。あのお話の痛快な処・・・お話したい事が沢山できました。これ程までに正直で、或る時は父親で、或る時は作家で、それでいて自分自身へも苦しいほどに自分を偽れない人間太宰治を知る事ができて、私は本当に良かったと思います。

 まるでエデンで果実を捥ぐように、私は未だ出会わぬ太宰作品に出会うのを楽しみにしているところです。

 こう振り返ってみますと、最早青森を知る為に太宰治に出会ったのか、太宰を知る為に青森が気に掛かったのか、どちらが先だか分かりません。それともこの先この線は、何かもっと大きな線に繋がる序章に過ぎないのかも知れません。

 そう考えると見えない明日が面白いと思えてきます。愉快であります。私は愉快な気配のする方へ向かって歩いて行こうと思います。

 今日は、ここまで。

お読み頂きありがとうございます。「あなたに届け物語」お楽しみ頂けたなら幸いにございます。