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手紙小品「菜の花、春たゆたう」

拝啓 
 枝垂桜が春風を受けて、街の喧騒にも束の間の揺らぎを与えています。公園の植え込みでは菜の花が揺蕩います。もう、春なのですね。

 昨日は職場のおつかいの帰りに真昼の月を見つけました。得をした気分です。ビルと舗道ばかりのコンクリート街と見えても、実は緑の多い街だと思います。大通りにはずらり大木が並びます。四季の移ろいと共に葉模様を変え、花をつけたり、もうじき風が吹けば若葉がさらさらと鳴るでしょう。車のエンジン音が賑わしくとも、葉の擦れる音が耳に届けばほっとします。木陰に優しさを感じます。

 とびきりのご褒美が待ち構えていた先月は、私にとりあっという間のひと月でした。それなのに、一度満たされたはずの心が、知らずくさくさしていたのです。ぐずぐずと地面を見て顔も上げずに、人へすっかり嫉妬心を露わにしてしまいました。その上あろうことか、その不満を人にぶつけてしまいました。大切に思う気持ちと、裏腹な拗ねた感情が、私の平常心を掻き乱しました。
 
 冷静であれば気が付けたのです。ですが私はすっかり狭量でした。何物も傷つけたくないと日頃あれ程望みながら、傷つけてしまいました。傷つけたのではと気付いた途端、それはもうかっこ悪いほどに一生懸命訂正しましたけれど、一度吐き出したものは消すことができません。そこまで辿り着かなければ気付けなかった、そう云う自分にがっかりしました。

 猛然と反省し、どう取り戻そうかを考えました。

 しかし、足掻けば足掻くほど、上手くいかないものです。過去を掘り返すほどに、自ら傷口を広げるようなものなのです。私は拗ねた大人げない自分を一旦受け入れることにしました。

 心を静かに落ち着けて、できるだけ視野を広く取るよう努めました。そもそも、頑張っているのは自分だけではないのです。誰しもが日々一生懸命頑張って生きている。大変な事があっても、苦しくても、何かを支えにして、楽しみを見出して生きているのです。自分よりもっと大変な人はいくらでもいる。
 ―そうでした。いつも自分に言い聞かせていることを、人に丁寧に言葉にしてもらって、やっと我に返りました。

 そうだった。

 私は急に元気を取り戻しました。

 もう、お気づきかも知れませんが、全てはあなたの御蔭です。私の至らなさがあなたにひどい言葉をぶつけましたのに、あなたは大きな心でそれを包んで下さいました。勇気を取り戻させて下さいました。私はまた助けられたのです。

 ありがとう。もう大丈夫です。「生き方」を、思い出しました。「鋼の心」を、取り戻しました。


 小さな子どもが、ベビーカーに乗って歌を歌っていました。すれ違いざまに、たたん、たたん♪とリズミカルに 私の耳へ届けられました。もしかすると、一生懸命春のおまじないを唱えていたのかも知れません。それとも、朝ごはんに食べたウインナーが美味しかったのでしょうか。

 お母さんの押すベビーカー。タイヤの音から遠ざかりながら、私はくすりと笑いました。

                            敬具

 令和五年 四月
                               わたし

あなた様



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