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「竹の子とキャラメル」

 スーパーで竹の子を見つけた。でんと大きな竹の子が、今年はよく並ぶ。竹の子は好物だけれど、灰汁抜きをして調理する手間を割けない。作ればさぞ美味しいだろうと、生の竹の子を横目に立ち去る日々を暫し繰り返している。竹の子は大変美味しい、春を戴くに持って来いの山の恵みなのである。

 
 むかしむかし、私が今よりもっと小さな小学生だった頃の話だ。

 当時は両親が小さなレストランを経営していた。店の常連客に、きのこの先生と呼ばれる先生が居た。そのきのこの先生と私の家族とで、ある年の春、竹の子堀りに出かけることになった。海キャンプや山遊び、河川敷で日帰りの飯盒炊爨はんごうすいさんなど、自然と遊ぶお出かけが得意な両親であったから、私もいつの間にかそういうお出かけが大好きな子どもになっていた。加えて好物の竹の子を自分の手で掘り出すという、願ってもみない体験ができるとあって、私は興奮していた。


 当日の朝は、遠足の時のように母がお弁当を作ってくれた。何を隠そう私は「遠足」が大好きだ。小学校の行事の中でも遠足は一・二を争う位上位に入る。前日も働いて疲れているだろう母が、早起きをして家族のお弁当を手ずから用意してくれている。それだけで私は十分盛り上がっていた事と思う。
 お弁当と水筒と敷物をリュックに背負い、お気に入りの帽子をかぶって意気揚々と出発した。

 電車で、どれだけ揺られたか、私の記憶には無い。きっとこの日も酔ったんだろう・・なにしろ私は乗り物酔いが激しい子どもで、何に乗っても百パーセント酔った。自家用車、バス、タクシー、電車・・・何でも酔えた。おでかけが待ち遠しいのに、到着するまでが毎度苦行という、幼いながら世の理不尽を味わって生きて来たのだ。

 今はそんな心配は無用だ。三半規管も知らぬ間に随分鍛えられた。ただコーヒーカップだけは乗る意味が分からないので乗らない。

 話を戻す。

 この、春の好天のもと、電車に揺られて訪れた、人のまばらなどこかの山での竹の子掘りの一日。写真好きな母が残したお弁当を食べている時間だとか、記録は確かに残されている。今こうして書きながら、きのこの先生の敷物に、妹が水筒のお茶を零したことを思い出した。保育園児の妹がお茶を零したくらいなんだ。私はこたつ布団に醤油をばしゃんと零したことがある。
そんなことはどうでもいい。

 この一日の中で、私の記憶に残っているのは、「キャラメル」だけだ。

 竹の子を掘った記憶が一ミリもない。全く思い出せない。もしかすると私は掘っていないのかも知れない。スコップさえ握っておらんのかも知れない。山には登っただろう、大人の後ろをついて意気揚々と登っただろう。汗もかいただろう。だが、掘った覚えがない。

 何故だ――

 これまでにも何度か、春になるとフッとこの竹の子掘りの一日を思い出す。思い出すのだが、出てくる残像は、駅から歩きだして間もない、母と私二人だけの後ろ姿なのだ。他の者はみんな先を行っている。例によって乗り物酔いで弱った私の足が遅かったのか、それとも母のお腹が大きかったのかも知れない。母のお腹はいつも大きかった印象が強い。私は弟妹が多いから。

 とにかく、母と私はみんなから少し遅れて歩いていた。どんな会話をしていたか、それも思い出せない。だけど、笑っていた記憶はある。そして、母が自分の鞄に手を入れてごそごそしたと思うと、「これをあげよう」と、いかにもとっておきの隠し玉のように、キャラメルの箱を取り出して一粒私にくれたのだ。
 
 森永のハイソフトキャラメルだった。

 普段駄菓子ばかりに夢中な私にとって、ハイソフトは大人のお菓子だった。私はまるで母の宝物でも受け取るように目を輝かせて、キャラメルを手の平へ載せて貰った。


 その数分の記憶だけが、私の脳に刻まれたまま、今年もまた陽気な春を過ごしている。

 同じ出来事を体験しても、切り取る部分は人それぞれ。たまに当時の顔が揃ったとき、思い出話を始めると、各々の記憶のつぎはぎでその一日が完成したり、何故だか食い違う事もあったりして、人の記憶の曖昧さというものを思い知るのだ。


 だが、あの瞬間のハイソフトだけは本物だ。弟妹が次々生まれて、母の助手を務めなくてはと子ども心にも張り切る私は、まだまだ甘えん坊だった妹の手前、自分は甘えを捨てなくてはと早々に思っていた。あの日あの瞬間、妹は珍しく母の傍を離れていた。私は久しぶりに、母と二人きりだった。それが随分嬉しかったんだろう。

 口に含んだキャラメルは、とびきり甘くて美味しかった。

 
 さて、竹の子掘りに行ったことはある。だが私は掘った事があると言ってもよいものかどうか、未だに謎なんである。

                         令和五年・春

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