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あの人のように [機能性ディスペプシア闘病記-3]

初恋は小学5年生だった。
白いブラウスの似合う、お嬢様風の子だった。
当時の小学生では珍しく、日傘をさしている子だった。

ある日夕暮れに理科室へ忘れ物を取りに行ったら、彼女が窓辺でひとり泣いていた。
わけを訊いても何も話さないので、「僕の失敗談ベスト10〜!!」といきなりダサい自分のエピソードトークをしてみた。
しかもベスト10と言いつつ、7つくらいしか浮かばなかったし。

彼女は途中でくすくす微笑んでくれて、最後にはゲラゲラ笑ってくれた。

これが僕の恋の原点なのだけれど、悲しんでいる母を救いたいという原風景を引きずっていたのだな、と今ならわかる。

まさか後々、この体験をもとに作詞をすることになろうとは、というのはまた別のお話で。

この恋で「お笑いキャラ」が自分の中で芽吹き、中学で本格的に開花した。
中1の春はそんな感じで自分も周りも明るく楽しく、というバランスの取れた状態だった、が。

5月の半ば以降、クラスメイトの女子に付きまとわれることになった。
登校時に家の前まで迎えに来たり(そもそも家を教えてない)、服や筆箱を盗まれたり、してもいない性行為の内容を机に落書きされたり、いわゆるストーカー被害であった。
私物はメルカリで売ってたのかな(たぶん違う)。

彼女は小学生の頃から荒れていたようで、近所の男の子を誘拐して家に監禁したりと、なかなかやりたい放題だったらしい。
そのような事情を知っていたので、拒絶したら何をされるかわからない、という恐怖から明確に突っぱねることができなかった。

母は祖父母や父のストレスから寝たきりで、家事もほぼ僕がこなしている状況だった。
だから、心配かけまいと誰にも相談できなかった。
いま思えば先生には相談すべきだったのだが、その発想がなかった。

夏を過ぎた頃には、彼女との関係が周囲の噂の中だけでどんどんエスカレートしてしまい、いじめに発展してしまった。
最初は身に覚えのない風評被害のみだったが、じきに身体的な暴力へと変わり、トイレの個室に閉じ込められて、上からエアガンで撃たれるなどした。
こういうのはジャッキー映画の中だけにしてほしい。

学校に行きたくないけれど、家にいてもあの親だしな、居場所ないな、とため息をつき、放課後はなるべく近所の土手で時間が過ぎるのを待つ生活をしていた。

そんな中!忘れもしない!1999年10月14日木曜日21時00分〜22時54分
あああ、キーボードを打つ指に力が入ってまいりました!
パソコンが壊れてしまいそうですね!!さぁさぁ大変です!!

あのドラマが放送されたんです。
3年B組金八先生」第5シリーズ。
言わずと知れた学園ドラマの金字塔。
主演・武田鉄矢氏の当たり役であり、主題歌の「贈る言葉」も大ヒットしたシリーズの第5弾。

数日前、たまたま予告を観て、金八先生の姿に何か感じるものがあったのだろう。
それまでのシリーズを観ていなかったのに、第1話スタートをテレビの前に正座して待っていた。

朝焼け、オレンジ色の背景に題字が出て、からの金八先生の後ろ姿、からの主題歌「新しい人へ」。
今でもありありと、あのファーストインパクトの光景が思い出される。

生徒のため、そして現実を理想へ近づけていくため、日々奮闘する金八先生の姿を見ていて、自分もこんな人間になりたいと強く願った。
話数を重ねていつしか「将来の目標」として彼を見つめていた。
教師になりたくなったわけではない。
金八先生は僕の中では「教える人」ではなく「救う人」だと感じていた。

それは紛れもない、心が風邪を引いたようで、寒くてしかたなかったあの秋の夜、ブラウン管を通じて僕自身が救われたから。

金八先生の救いは「癒し」ではなく「心に火を灯す」行為のように思う。
その火こそ、きっと希望なのだ。

灯してもらった火を、寒い人の心に分けて差し上げたい。
13歳の秋に人生の指針をいただいた。

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