佐野くんの消しゴム
あるクラスに佐野という生徒がいた
彼は休み時間 クラスメイト達のことをじっと見ていた
長い前髪、光のない真っ黒な目
話しかけても返事はない
担任教師も空気のように扱い、みんな気味悪がって彼を避けていた
クラスの問題児の中原にとっても佐野は居ないも同然だった
ある日 職員室に忍び込んだ中原はそこで佐野の姿を目撃する
佐野は担任教師の手帳を手に取り、眺めていた
無表情でパラパラとめくり、手を止める
そこには猫の写真が挟んであり「可愛いうちの猫」とメモしてあった
彼はポケットから消しゴムを取り出し ゴシゴシとその文字を消した
すると次の日、担任の家から猫が居なくなった
驚いた中原はこっそり佐野の消しゴムを盗み、適当な文字を書いて消してみたが何も起こらなかった
初めて中原は佐野に興味を持った
人として認識した、という方が正しいかもしれない
わざと馴れ馴れしく、
まるで前から仲がよかったかのような声を出した
「ねえ佐野くん、それどうやって使うの?」
佐野は中原をじっと見た
中原は佐野の真っ黒な目にぞっとしたが目を逸らすまいと我慢した
佐野はやがて口を開いた
「相手が書いた文字をこの消しゴムで消すと、書いたものが消える」
にわかには信じられないし、猫が居なくなったのは偶然だったんじゃないか…何よりこいつにからかわれるのは癪に障る。
中原はそう思ったが、試しに気になってる女子のノートに書かれた「先輩が好き」という文字をその消しゴムで消してみた
翌朝、いつもの女子たちの甲高い声が響く教室で「もう先輩は飽きちゃった」とその子が笑っているのを中原は見た
色々なことが思い通りにできるかもしれない…
消しゴムを借りた中原の行動はだんだんエスカレートしていった
ノートや手帳の文字を盗み見て、待ち合わせの約束の文字を消してカップルの仲を裂いたり
嫌いな教科を消して授業をなかったことにした
なかでも文化祭が中止になったのは愉快だった
先生全員の手帳から文字を消すのは面倒だったが、準備をしなくていいと思うと笑いが止まらなかった
佐野は「もうやめたら」と言ったが彼は聞かなかった
あいつが俺から消しゴムを取り上げないのは楽しんでるからに違いない…そう思っていた
それから一週間後の放課後
中原の下駄箱に「放課後 教室に来て下さい」と書かれた差出人不明の手紙が入っていた
まさか佐野がチクったか…?
いやでもあんな話、誰も信じる訳がない…
そう思いながら教室に来たが、誰もいない
「佐野かぁ?」
馴れ馴れしい声を出してみる
どこかに隠れているのか…
しばし教室をうろつきカーテンを覗く
すると、隠れていたクラスメイト達が中原に飛びかかってきた
あっという間に羽交い締めにされ
新たに教室に入って来た生徒達にも体のあちこちを掴まれた
全身が引きちぎれそうに痛い。
生徒達は口々に叫んでいて何を言っているのか分からない
胸ぐらを掴まれたり叩かれたり足を引っぱられたり…
中原は咄嗟に全てを佐野のせいにしようとしたが もみくちゃにされて声にならない
怒鳴る男子生徒の声、泣く女子生徒の声…
彼を責める声は大きな渦になり まるで地獄絵図だった
中原は教室の端でこちらを見ている佐野を見つけ、泣いてすがった
「佐野ぉ…助けてくれよぉ…!」
佐野は彼をじっと見つめた
中原はやはり、佐野の真っ黒な目を見てぞっとした
「…分かった」
無口な佐野が急に喋ったので、辺りは静まり返った
助かった…これで何とかなる、と中原は安堵した
しかし佐野はポケットから一本のえんぴつを出して中原に渡して言った
「消せばいいんじゃない? 中原くん」
佐野はすたすたと教室を出て行った
唖然としている中原は再び声に飲み込まれる
自分のして来たことへの後悔が渦をまく
もうそこは教室ではなく獣達がいる檻の中だった
ついに耐えられなくなった中原は、押しつぶされ もみくちゃになりながら佐野からもらったえんぴつを握って机に『自分』と書いて必死に消しゴムで消した
その瞬間彼はその場から、跡形もなく消えた
翌朝
教室の一つ余った机を見て生徒達は首を傾げていた
机には消えかかった『自分』の文字。
佐野は今日も真っ黒な目で彼らをじっと見ている。
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