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愛の反対は無関心では無い 無関心こそ究極の愛である(聖なる無関心)

最初に言います。

「無関心。」とは、「無視する。」ことではありません。


相手を無視すると言う行為は、悪意です。

例えば、相手が助けを求めて来ても、無視をすると言うことです。


しかし、無関心とは、相手が何をしていても関心を持たず自由にさせているが、

相手が助けを求めてくれば、それに答えてあげることができます。


無関心と無視の最大の違いです。

相手が助けを求めてくれば、助けてあげると言うことです。


相手に関心を持つことは、弊害にしかならない

相手に関心を持つと言うことは、お互いに弊害にしかなりません。

国家間の戦争も、相手に関心を持つことから始まります。


他国に関心を持たなければ戦争は起きません。

イラク戦争とか、それの最たるものです。


フセイン政権を倒した後、中近東がそれよりも遥かに酷い状況になりました。

親が子供に対する関心は、それよりも強力で、ほとんどが子供に対する悪影響です。


最近では、就職活動で親も子供と一緒に面接を受けたり

企業側も、採用を決めても親に断られたりするので、親にも採用の前に確認を取るそうです。


でも本当は、かなり大昔から、親が子供に関心を強く持っているため、

子供の人生に干渉して、子供を苦しめていることは、当たり前のようにあります。


私も、小学生くらいから、「長男は後を継がなければならない。」と何百回も言われて、

正直に継ぎたくなった。


その深層心理の反動で、50歳を過ぎても未婚なんだと思います。

若いころはモテたので、付き合う女性はいましたが、なぜか結婚とか思うと恐れが強かったんです。


その私の母親は、「幼稚園の先生になりたい。」と言う夢がありました。

しかし、商売人の箱入りの一人娘なので、爺さまらは大反対して許しません。


母親は、どうしてもなりたくて、東京へ家出します。

しかし、爺さまらは、東京へ追いかけてきて強制的に連れ帰り、同じ商売人である、親父と結婚させます。


お袋は今は87歳になりますが、今でも「幼稚園の先生になりたかった。」と言い、

ドラマとか見て人生を自由に生きている主人公とかに憎しみを抱いています。


そしてお袋は、自分で親にやられたことを、私にしました。

私は、家を継ぐのが嫌で、18歳の時に茨城から沖縄に家出しました。


ものすごい猛反対に会いましたが、頑張って数か月住んだ時に、お袋に涙を流されて戻るように言われた時は、心が折れました。

5歳の時のお袋の涙のトラウマがあって、泣かれたら私には、戻る以外の選択肢は無かったのです。


日本人のほとんどと言っていいくらい、親の子供への強い関心により、自分の人生を歩めない人ばかりでは無いですか?

セッションを受けられる方でも、よく掘り起こしていくと、


「あっ。自分の人生では無くて、親の言った人生を歩んでました。」とみなさんが言われます。

親にしてみれば、子供の幸せを願って、人生に干渉するのですが、親の干渉で苦しんでいる人ばかりです。


先祖代々、強い関心による親の干渉で、自分の人生を生きることが出来無い、負の連鎖が続いているのです。

この辺で、断ち切らないとなりません。


それの最大の原因は、強い関心を持つからです。

恋愛もそうです。


聞いた話では、相手のスマホとかLINEとか毎日チェックする相手がいるとか。

そんなことやられたら、ゾッとしますよね。


私なら、速攻で別れます。

実際に若いころ、お店の店員の女性と話しただけで、やきもち焼かれて文句を言われた時は、速攻で別れましたw


関心を持つと言うことは、コントロールしたいと言うこと

関心を持つと言うことは、相手をコントロールしたいと言うだけです。

相手に対する愛ではありません。


相手を自分の人生に合わせようと、コントロールしたいだけなのです。

相手にとっての幸せと、自分にとっての幸せは、同じでは無いのです。


やりたいことだって、人それぞれです。

相手を自分に合わせようとコントロールしたいから、関心を持つのです。


関心を持つとは、相手に対する愛では無くて、

「相手を自分に合わせてコントロールしたい。」です。


なんで相手をコントロールしたいの?

相手をコントロールしたいと思うのは、相手を信頼していないからです。

「勉強しなければ、この子の将来は暗い。」とか。


その子供の本質や、本当の才能とかを全然信頼してないから、こんなことが言えるのです。

「この子は、何をやっても大丈夫❣」と言う親ならば、子供が勉強しなくても何も言いません。


それが信頼と言うものです。

相手への信頼が無いから、相手をコントロールしようとするのです。


相手を信頼できないのことの根本は、「自分を信頼していない。」です。

自分を信頼できないから、相手も信頼できないのです。


自分を100%信じ切れる人は、相手も100%信頼できるのです。

そう言う人は、相手をコントロールしようとしません。


相手に無関心でいられるのです。


相手を信頼して、無関心でいられるのが、本当の愛です

無関心 = すべて相手に任せられる です。

すべて相手に任せられる = 100%の信頼 です。


100%の信頼 = 愛 なのです。

相手を100%信頼して、相手が何をしていても一切関心を持たないで、相手の自由にさせてあげる。


これを「聖なる無関心。」と言います。

無関心とは、宇宙の創造主(源)が人々に対する愛と同じです。


宇宙の創造主(源)は、「聖なる無関心。」により、人類に何もしません。

なので逆に、何もしないので、「神はいない。」とかも言われています。


「神なんていないよ。」と言う人がいるくらい、宇宙の創造主(源)は、何もしないで、人類の自由に見守っているのです。

「何もしないで、自由にさせて、ただ見守っている。」と言うのは、宇宙の創造主(源)と同じレベルの大きな愛なのです。


相手が助けを求めてこない限りは、「何もしない。」のが最高の愛です。

相手に関心を持たないことで、「何もしない。」しないことが可能です。


「この人の幸せを思って、アドバイスしたい。」とか、「このままでは、この人は不幸になってしまう。」と言って、

相手を変えようとするのは、本当の愛ではありません。


それは、自分の考えに相手を合わせようとコントロールしたいだけです。

いわゆる執着に過ぎません。


すべての人には魂がある 魂は創造主だから大丈夫なんだよ

すべての人には、魂(ハイヤーセルフ)があります。

魂(ハイヤーセルフ) = 宇宙の創造主(源) です。


宇宙の創造主(源)の大きなエネルギー体の一部が、魂(ハイヤーセルフ)であり、いつも一体になっています。

その魂(ハイヤーセルフ)が、自分の胸の中に存在しています。


自分の身体に常に神様がいるわけです。

それが相手やすべての人に存在して、各々を導いているのです。


誰も神様のお導きがあるので、自分も他人も心配する必要は無いのです。

すべて、魂(ハイヤーセルフ)にお任せすればうまく行くようになっています。


自分も他人もすべて、魂(ハイヤーセルフ)を100%信頼して、お任せすれば良いのです。

お任せして、「何もしない。」のが最高の行動であり、最大の愛なのです。


それを「聖なる無関心。」と言うのです。

無関心 = 信頼 = 何もしない = 愛 なのです。


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