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【小説】 もうひとりのロストマン

*作者註:この物語は、以下の小説の①から④(終話)を読んだあとに紐解かれることをお勧め致します。



 『夢屋書房』店主・渡辺誠一は読んでいた本をパタリと閉じると、左腕の時計に目を落とした。あの青年が店を出てからきっかり三十分。誠一はカウンターから出るとそのまま店の出入り口へと向かい、引き戸を開けた。
 顔を外へ出してから、左右を見渡す。
 相変わらずの、閑散とした駅前商店街の錆びた色彩が広がるだけ。まだ夕暮れ時には二、三時間はあると言うのに、誠一はいそいそと店じまいを始めた。
 ギイギイと騒音を立ててシャッターを締め切って、額に光った汗を腕で拭った。それから膝先に置かれた『歴史小説特集』のコーナーの台に手のひらをついて、盛大で長いため息を吐いた。

「お疲れさん」

 店の裏口が唐突に開いて、男の低音が店中に響いた。ギクリと肩を振るわせた誠一は瞬時に声の方へ顔を向けた。
「なんだよ、ひでぇ顔してんな。化け物でも見ちまったぁ、みてぇな」
「真中さん、脅かさないでくださいよ。死ぬかと思った」
 真顔で訴えかける誠一に、白髪に口髭の老人は盛大に笑った。
「ったく、肝っ玉がチイせぇなぁ渡辺さんは。あの世で親父さんが泣いてるぜ」
「父とは違いますから」
 不意に竹刀を握る父の姿が脳裏に浮かんで、誠一は眉間に皺を寄せた。
「そうかね、俺にはそっくりに見えるけどな──」
「そんなことより!言われた通りの説明を彼にしましたけど、僕はなにかの役に立ったんですか?」
 老人は誠一の定席に腰を下ろすと、満足そうな笑みを浮かべながら右手の親指を立てて突き出した。
「上出来だったよ、渡辺さん。演劇かなんかやってただろ、学生の頃」
「やってませんよ。もう、ずっと心臓バクバクでしたよ。爺さんの幽霊なんて、信じるわけがないでしょう?普通・・・・・・。真中さん、彼、皆川くんでしたっけ。めちゃくちゃピュアないい子ですよ」
「そうなんだよ、素材は良いんだよ。そりゃ俺も認める。でもよぉ、愛する姪っ子を泣かせるような、性根の腐った男でもあるわけだ。それを矯正してやらにゃあ、姪っ子は渡せねぇ」
「渡せないって、真中さんが何もそこまでやらなくても」
 老人がギロリと誠一を睨む。
「愛してるんだ、俺は、智美を」
 誠一はその剣幕に押されて、慌てて頭を下げて取りなした。感情の起伏の激しい老人だ、と誠一は呆れた。
「智美に頼まれりゃ、嫌とは言えねぇよ。恋人が道に迷ってるから、叔父さん助けてってな。このままじゃあ駄目になっちまう、自分か、男のどっちかが。それか両方か。そんで慌ててすっ飛んできたのよ」
「すっ飛んできたって軽く言いますけど、2tトラックに商品山積みにしてくるんだからなぁ。驚きましたよ」
 老人はひと月ほど前、この店の隣の、街が運営している“貸しスペース”に突如として古本を搬入した。一夜にして、しかもたった一人で。
 死んだ父から昔聞いていた、『伝説の古本屋』が誠一の元へ挨拶に来たのはその翌朝のことだった。彼こそが真中清志郎。全国を股にかける流しの古本屋。空き家でも何でも、短期で借りられる店舗やスペースがあればどこへでも行って本を並べて売ってしまう。その街の風土に合わせて上手に溶け込むから、その店はすぐに人気店になる。父は「あやかりたい」と言っていた。
「夢屋さんの隣りが空いてるってのを教えてくれたのも、この筋書きを作ったのもな、智美なんだよ」
「えっ!!本当ですか!すごいな、姪っ子さん・・・・・・」
 清志郎老人は口髭を指でつまんで弄びながら目を細めて笑った。愛する姪のことを褒められるのが余程嬉しいらしい。
「じゃあ、彼氏を更生というか、やる気を出させるために、彼女である智美さんが一芝居考えたと?それに叔父さんが役者として協力して、そんでもって同じ古本屋という縁で僕も巻き込まれた」
「人聞きの悪いこと言うなぃ。渡辺さんも大事な演者の一人なんだからよ。智美の書いた筋書きには夢屋書房と渡辺さん、あんたの存在が不可欠だったのよ」
「どういうことです?」
 よくぞ聞いてくれた、とばかりに清志郎がその長い脚を組んでから、カウンター越しにぼさっと立ち続ける誠一に語り始めた。

「皆川の野郎に今必要なのは、“届く声”だ。それは智美の声じゃあねぇ。ひでぇ話だけどな。年の功で語られる声と、それを増幅させるような“雰囲気”と“オブジェ”だとか何だとか、智美は一生懸命になって考えたんだと。どうしようもねぇ、けれど好きな野郎のためにな。大した姪っ子だよ。ただアパートでガミガミ話をしても変わらねぇなら、“奇跡”を起こそうってな。そんで、まずはじめに古本屋を設定した。アイツらは文学部生だからな。本は馴染みあんだろ。オブジェは『本』、雰囲気は『古書店』、声は『古書店の店主』で、そして極め付けは奇跡イコール『元店主の幽霊の言葉』てぇ具合にな。この夢屋書房がなければ、幻の夢屋書房も現れないし、真実を伝える渡辺さんがいなきゃ、嘘もホントにならねぇよ。なぁ、皆川の野郎、ちったぁ殊勝な顔つきになってたかい?」
 誠一は先ほど面と向かって嘘をついてしまった大学生の表情を思い出す。
「そう、ですね。何だかさっぱりしたような、吹っ切れたような。前向きになっていたと思いますよ」
 清志郎は再び満面の笑みになって頷いた。
 そこで誠一は軽く右手を挙げた。生徒が教師にするみたいに。
「なんだい」
「あの、確かにこの店と隣りの貸しスペースの間取りは同じですけど、入り口の扉が違いますよね?ここは引き戸だし、隣りはガラス扉です。入ってくる前に違和感を感じて怪しんで、彼がこの店に入って来なかったら?いや、その前に貸しスペースの方の夢屋書房に彼が訪れる保証なんてないですよね?姪っ子さんがアパートを出てったあと。一向に来なかったら・・・・・・」
「なんだ、そんなことかぃ。皆川の野郎が俺の店に来なけりゃ、来るように仕向けるまでよ。智美とアイツの共通の友達にでも頼んでな。なんでも仲のいい女の先輩がいるとか。まぁそいつに協力を仰ぐ前に皆川が来てくれたから手間が省けたがな。それに皆川がこっちの夢屋に入って来ないことなんてな、俺は考えてなかったぜ」
「え?」
「あの野郎は今ぼーっとして生きてっからな。ほとんどの物事が目に入ってねぇのよ。頭だけで考えようとしてるしな。だから『夢屋書房』とさえきちんと入口に出てりゃあ、引き戸だろうが扉だろうが入ってくるぜ」
「何だか、強引ですね」
「渡辺さんよ、物語ってのはな、多少強引にでも書き進めなきゃあ、紡げるもんも紡げねぇよ」
 清志郎は確かに、“物語”と口にした。


「そんじゃ、これ、今回の手間賃」
 椅子から立ち上がって裏口に向かいかけた清志郎が、不意に振り返ってから茶色い封筒を誠一に差し出した。
 中を覗くと、諭吉の顔が何枚かのぞいた。
「こんなに?いいんですか?」
 清志郎は微笑んで、
「俺を誰だと思ってんだ。伝説の古本屋よ。皆川を待ってる間にしっかりと稼がせてもらったぜ。その間、こっちには休業しててもらったんだ。その補償代よ」
「うち、いつもこんなに売り上げてないです」
 誠一は悲しくなって俯いた。清志郎はそんな誠一の肩を叩きながらひとしきり笑った。それから思い出したように、
「そうそう、渡辺さん。あんた小説書いてんだろ?前に親父さんが話してたぜ」
「いやぁ、賞に応募しちゃあ、落選の日々ですよ。もういっそうのこと筆を折って、店の経営に真剣になろうかなんて考えていたり」
 苦笑いを浮かべるだけの誠一に、清志郎があの真剣な眼差しを向けた。
「んなこと言うな。親父さん、あんたの書いた小説の話をするときな、決まってニコニコ機嫌よく話してたぜ。息子が書いた本をこの店に並べたい、なんてな」
「え、父が?そんなことを」
 小さな街の小さな古本屋の店主。趣味は子供の頃から続けていた剣道。実直で、笑わない厳しい父が。この老人の前では笑顔になって、息子の話をしている。誠一には想像がつかなかった。
「俺より一回りも若かったのにな。人間なんてわからねぇもんだ。悲しいね。でもよ、だからこそあんたは、やりたいことやった方が良いんだ。俺はずーっと、世帯も持たないでこんなふざけたことやってるぜ。でもまぁ、一度きりの人生だ。可愛い姪っ子も頼ってくれるしな。俺は幸せだぜ。だから書きなよ。渡辺さんの思うままに、書きたい物語を書きなよ。評価なんて糞食らえだ。他人なんて勝手なもんさ。楽しけりゃ笑う、つまんなきゃそっぽむく。それに一々つまずいてたら一日なんてあっという間よ。それより書きな。楽しいぜ、その方が」

 ひらひらと片手をあげて裏口から出ていく清志郎に、誠一は頭を下げた。

 何だか、楽しかったな。この一月。
 どこの誰とも知れない大学生の来店を待ってハラハラして。「本当にきた!」と驚いてまたハラハラしながら、とんでもなく幼稚な嘘をついて。
 でも、全部が何だか丸く収まって。
 彼らが、末長く幸せに、これからも一緒にいられますように。
 そうか、そんな物語を書いてみようか。
 迷いなんて余計だ。迷わなければいい。道はずっと前から、そしてこの先も、続いているんだから。
 そうだ、そんな物語を、書こう。


(了)

あいみょん
ハルノヒ



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