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【小説】 ロストマン 終話

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「──で?そっからどーなったわけよ」

 問われて我に返った康介は、投げつけられた声をたどって視線を泳がせた。つり目がちな女の目が康介に向けられていた。
 ほんのりと頬を桜色に染めた川嶋瑞穂が、ビールの入ったコップを握りながら焼き鳥の串を口に運んでいる。
 康介は少し慌てて記憶を呼び戻そうと頭を働かせた。久しぶりのアルコールにだいぶあてられているようでうまく繋がらない。
「しっかりしろー。いとしのトモミンにフラれて意気消沈の皆川クンでしたが、なんだか雰囲気良さげな古本屋を見つけて飛び込みました、とさ」
「あ、あぁ、そうっす。そこの店のジイさんがなんか、良いんすよ。あとアイツの名前は出さんで下さいって。ズキズキくるんで」
 くくく、と笑う瑞穂を睨みつけた康介は、朧に浮かんできた記憶を掴み取ると先を続けた。
「俺がレジに持ってった本の表紙を見て、ニヤニヤするんすよ、ジイさん。気持ち悪いなって思ってたら──」

『想い出の一冊、ですかな?』

 店主の老人は満面の笑みを浮かべて、康介に声をかけてきた。面と向かって見れば、頭髪は二度見するほどの純白で、同じ色の口髭をたっぷりと蓄えて。目尻の皺が深く刻まれている。背丈は康介と同じくらいだから170センチ後半か。老人にしては大柄だ。若い頃は随分モテたタイプだろう。
 康介が簡単に本との“馴れ初め”を伝えると、老人は再び満面の笑みに戻って、

『良いですねぇ。素敵な本との出会いだ。お客さん、そんな風に時には昔の想い出に浸るのは大切なことです。僕はそう思います』

 店主の口調が穏やかで心地よかったからだろうか、康介は彼の真意を深掘りしてみたくなった。いや、ここ数日の間に味わい続けている残酷な孤独のせいかもしれない。誰かとの会話に飢えていた。
「でもなんていうか、後ろ向きな感じがして。忘れちゃいたい過去もあるのに、忘れられないっていうか。どうしたらいいかわからん状態って、ありません?どっちに向かって歩いていったらいいか・・・・・・。それってまるで──」

『迷子、のようですね。お客さんは今、迷ってらっしゃると。それでこんな消えかかった古書店に迷い込んでいらっしゃった』

 フフフと微かに笑い声を立てて、店主は続けた。

『僕はね、思うんですよ。想い出が指し示してくれる“道”だってあると。そりゃあ前を向けば“道”は続いていますね。それでズンズン進んでいって、けれど目の前に流れる、大きな川にかかった橋が崩れていたら?お客さんはそれ以上進めなくなる。その後、お客さんならどうします?』

「そうっすね、まず困って立ち止まって、それから・・・・・。周りを見て他に渡れそうな橋とか道がないか探しますね」

『探しても見つからなかったら?』

「え?そしたら、諦めて引き返すかなぁ。ねばっても疲れそうだし。果報は寝て待て、でしたっけ?もう寝ちゃうかもしれない。泣き寝入りっすわ」
 白髪の老人が突然声を上げて笑ったから、康介はギョッとして彼を見つめた。何がそんなに面白かったのか、肩を揺らしてしばらくの間笑い続けていた。

『いや、失礼しました。泣き寝入りとは意外や意外。でもね、お客さんの言う通り、やはり来た道を戻ってみることも必要なのではないかと、僕も思うんです。それが想い出に浸るということ。その手に取って頂けた本を開いてみた時、お客さんには一体何が“見え”てくるのでしょうね。あぁ、それから──』

 ──それから。
 不思議な雰囲気の老人は言葉を繋げて──。


 瑞穂の鼻息にふと我に返った康介の耳に、居酒屋の喧騒が洪水のよう流れ込んできた。
「そのじーさんの言うように思い出に浸ってみて、お前は今何を思う」
「なんすか、その漫画のセリフみたいなやつ」
「いいから。で、皆川はどーすんの?これから。ちょっと前みたいにお前のすぐそばであーだこーだと甲斐甲斐しく言ってくれる人間はもういないぜ。お前が自分で決めて、行動してがなきゃならんわけさ。厳しいこと言っちゃうけどさ」
 瑞穂の言う通りだった。こんな風に会えば瑞穂も「あーだこーだ」と言ってくれる。けれどそれは毎日、ではない。頼れる先輩はここぞという時に取っておかなければならない。
「大学、一年休学しますわ、俺」
「ほう、してそのこころは?」
「少年探偵団をスタートにして、ちょっと昔をさかのぼってみようかなって。本読んだり、映画見たり、バイトして金貯めて、旅したり。道を探す、なんて大袈裟じゃないんすけど、なんか忘れちゃってること、あるんじゃないかって思うんすよ。それが何なのか分かれば、俺は前に進める気がするし、それに──」
 智美もあのアパートに戻ってきてくれるんじゃないか。とはあまりに楽観的過ぎて瑞穂には伝えられなかった。けれど期待している。そう信じたい。
「やってみなはれ!姉貴は応援したるで!」
 勢い良く肩を叩いてくる桜色の瑞穂に、康介は「すんません」と頭を下げた。

* * *

『夢屋書房』の前に立つ。
 次はコナン・ドイルのシャーロック・ホームズを読んでみよう。記憶の片隅に追いやられていた本を思い出し、康介は再びあの白髪の店主の元へとやってきた。
 黒文字で店名が書かれた引き戸に手をかけて中へ入る。
 スチール製の本棚がズラリと並んで、見慣れた街中の古本屋がそこには広がっていて。
 強烈な違和感。
 ここは、前に訪れた『夢屋書房』か?いや、違う。康介の頭が瞬間軽く混乱する。そういえば以前は店の扉はガラス扉であって、引き戸ではなかった。店の中も変わり過ぎているほどだ。スチール製の棚?古びた書棚ではなかったか?何よりも明るい。蛍光灯が店の隅々まで照らしている。そしてあの、鼻をつく独特なカビ臭さが一切なく・・・・・・。
「いらっしゃいませー」
 不意に男の声が聞こえた。
 康介が咄嗟に顔を向けると、向かって正面のやや右側にカウンターがあり何の変哲もないレジスターが置かれていた。そこには一目で三十代と分かるエプロン姿の男が一人で立っていた。メガネをクイっと上げて康介を見てきた。康介はとりあえずその男の方へと進んだ。
「あの、このお店リニューアルしたんすか?」
「は?」
 メガネの奥の男の目が明らかに訝しがっている。アルバイトだろうか。康介の放った言葉の意味を全く理解していないようだった。
「いや、ここ、二週間くらい前か。そんときは白髪のおじいさんが店番してて、ちょっと色々タメになること聞かせてもらったんで。でも店の雰囲気が全然違うし、もっと古いってゆうか。こんな今時じゃなかったんで」
 康介がたどたどしく話して聞かせているうちに、男の顔に訝しさの他に別のニュアンスが加わってきた。それは康介には“困惑”の色に映った。康介が話し終わると、それまで黙って聞いていた男がため息をついてから口を開いた。
「あんたで、一、二──四人目だよ。老人がどうとか、店が新しくなったとか移転したのかとか、聞いてくる人。だからこっちも慣れてきちゃったよ。まったく、あの爺さんときたら」
「爺さん?なんか知ってんすか?」
「たぶんだよ?これはお客さんみたいなことを言う人たちの話を総合しての、僕の考え。たぶんね、うちの死んだ爺さんが、あ、死んだって言っても悲惨な死に方じゃなくて、九十九歳の大往生で笑顔で死んでったわけだけど、その爺さんがさ、たまにちょっかいかけてきてんじゃないか、と。お客さんはその“ちょっかい”というか“おせっかい”に巻き込まれた人ってことね」
 死んだ爺さん?おせっかい?康介が目を丸くして固まっていると、男はかすかに口元に笑みを浮かべて言った。
「つまりね、お客さんはうちの死んだ爺さんの幽霊だか何だかに出逢っちゃって、爺さんの死後のささやかな楽しみに付き合わされたってわけ。僕の考えだからね、鵜呑みにされて、お化けの出る店だなんて、ぜーったいに言いふらさないでね。まぁ、不思議とそんな風評を流すお客も今のところいないから、爺さんの善意が伝わってるんだろうけどさ。なー爺さんよー、早いとこ成仏してくれよー。この店は孫の僕が守っていくからさー。って感じ」
 そう天井に向かって手のひらを合わせた男は、顔を康介へと向け直すと「なーんつって」と戯けて目尻を下げた。その表情が、あの白髪の店主にそっくりだった。

「ありがとうね。また来てよ」
 メガネの店主に見送られながら、康介は店を出た。
 夕暮れ時。季節は確実に移ろいつつある。もうあと一月もすれば肌寒くなってくるだろう。駅までの歩道に続く街路樹の葉も黄色く色付き、防寒着の出番が訪れる。
 人肌、恋しくなるな。
 ふと、智美の小柄で華奢な体が脳裏に浮かび、康介の胸の辺りがキリキリと痛んだ。その時だった。
 あの老人の声が聞こえた。頭の中いっぱいに、広がった。

──あぁ、それから。迷子の子猫の周りにはね、犬のおまわりさんの他にも大勢の動物が集まって助けようとしてくれているんですよ。きっとね。困ってしまったのは彼だけで、親身になって家を探し出してくれようとした動物たちがいた。そうして迷子の子猫は無事におうちに帰れましたとさ。めでたしめでたし。誰もが救われる世の中。そう思えば、ね。

「大丈夫。なんとか、なる」

 康介はそうして、過去と現在と未来を信じる一人の旅人になった。


(了)

BUMP OF CHICKEN
『ロストマン』

 *エピローグ近日公開予定です。ご期待いただけますと幸いです。


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