こどものこと 命のこと
こんにちは!少しずつnoteの使い方にも慣れてきました。他の方のコラムを読んだり、他の方の文の構成を見てはどうやってコレするの?って自分で調べ導入したりですね。楽しんでいます😊今日はこどもを授かる事について書きました。よろしくお願いします。
第一子の誕生
H22年4月に長女は誕生しました。日本に戻り結婚式の準備をする中、赤ちゃんができてもいいな〜と思ったタイミングで授かりました。そして彼女が胎内からこの世界に出ると決めた日は主人の誕生日でした。
私も主人も4月が誕生日月で日にちも近いです。もしかしたら?どっちかの誕生日と同じになるかも!なんて思うこともありましたが、いざ陣痛がくると痛みに耐えるのが精一杯で辛くて命がけで未知過ぎて…我を忘れて叫んで…🤣助産師さんを超え、看護士さんを超え、主人を超え、神様に助けを求めて…カレンダーなんて関係なくてそんな事を考える余裕もなかった。
一睡もしない夜中をまたぎ、陣痛から12時間後に出てきた第一子。出てきた赤ちゃんを見ながら主人が「俺の誕生日に出てきた」って一言を言うまでは、この日が主人の誕生日だという事はすっかり忘れていました。
どうして誕生日の話題をしなかったのか?と聞くと陣痛がキツそうだったから遠慮していたと。その思いやり、とても嬉しく思いました。自分ならそんなの関係なく、今日私の誕生日!ってでしゃばって言いそうです。
何より主人はバースデーベイビーの長女の誕生がとってもとっても嬉しそうでした。(最高のプレゼントですよね☺︎)
長女が誕生した年、主人は26歳で2回目の大学生になりました。新たに鍼灸スポーツ科という学科ができた大学に1期生とした入学をしたのです。入学を決意するまでの主人の心情の変化にもインドの旅は関係していますが割愛。
昼間は大学生、夜は仕事、自宅に帰れば父親、そんな不自由で忙しい毎日。そして初めての育児をする私。この時から主人が卒業をする2014年まで本当にお互いの毎日も大変で、経済的にも大変で…喧嘩も絶えず。
そして大学を卒業をして仕事と家庭に専念できるようになった2014年以降も想像以上に私たちの生活は踏ん張りどころの期間に入っていくのでした。
二人目の赤ちゃんがほしい
そんな生活の中なのに、重なって新たな悩みが‥‥。それは不妊症。それを知ったのは長女が1歳を過ぎてからで次の赤ちゃんを望んだ頃です。
3人兄弟で育った私は将来結婚したら自分も3人子供を持つものだと小さい頃からなんとな〜く思っていました。
また3人は子供が欲しいって気持ちに加速が付いたのは、主人が私と出会う少し前にお父さんを亡くしていました。
なので結婚を決めた時から、私の心の中には家族を増やして、悲しい思いをしてきた主人の家族を喜ばせたいと強い思いがありました。
でもなかなか授からない。なぜ?
結婚すればお子様は?とまず言われ、1人産めばすぐ2人目は?と聞かれ、この質問にはうんざりで明るく返答ができなくなっていました。
2人目を望んでから何ヶ月も過ぎ去り、周りの友人は次々と2人目を授かっている。このお腹に命を迎える事がこんなに大変。命ってスゴい!そして難しい。心がどんどんネガティブになるのと同時に勇気を持って不妊外来を受診。
検査の結果
検査で伝えられたのは「生まれつき不妊症」多嚢胞生卵巣と診断されました。ネックレスサインとも呼ばれます。
卵子がたくさんできて真珠のネックレスのように並びます。なかなか優性して卵が成長せず排卵しない症状です。
医師から、第一子さんは絶妙なタイミングで授かったんですよ。奇跡ですよ。と言われまいた。
不妊症という結果を聞いた時は頭が真っ白になるぐらい衝撃でした。確かに生理は不順だった。でも不順なのも気にせず、今まで婦人系や生殖器の事で病院にお世話になる事もなかったし、第一子もすんなり授かり不妊って言葉とは程遠い感覚で生きていました。
むしろ不妊で悩む友人の気持ちを少しでも理解したい。寄り添いたいと思う立場でした。
赤ちゃんを授かれず向き合う命のこと
受け入れるまでにかなり時間がかかりました。しかし落ち着いてくると、不妊って現実が悲しくて泣いていたのが、いつしか長女の命の有り難さをとても感じ感謝が湧いて泣いていました。
赤ちゃんの命はすべて奇跡。という事を人の話から、TVのフレーズから、書籍から…ではなく身をもった経験で知ることができました。自分が今まで経験している事は授かった命をお腹で元気に育む奇跡、産み出す奇跡、産み出した後、元気に成長する奇跡。
しかしこの事で育む以前の、命をお腹に授かること自体が奇跡ということを深く考える事ができたのです。誰の命も本当に神秘的で奇跡。誰もが特別。
不妊症という事を人に話せない日々
この事実を大切な友達に伝える事はなかなかできなかったし、特に実の両親にそれを伝える事が1番辛かった記憶です。
それは、2人目の赤ちゃんを早く作った方がいいって会えば冗談の雰囲気で本気で言っていたし、望んでいたからです。それに何より自分の身体をつくってくれた人達でもあるからです。
自分の身体が欠陥品と知った私は、こんな身体でごめんなさい…と、主人とお姉ちゃんにしてあげれない娘をはじめ、主人の実家の家族にも、自分の両親にも何度も何度も何日も何日もずっと心で謝っていました。
ごめんなさい
ごめんなさい
ごめんなさい
ごめんなさい。
長くなりました。
また書きますね☺︎
そして続き↓
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