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私というひと〜自分史〜その27

【長文です。長文嫌いな方、興味がない方は読むのをお控えくださいね。】
【自分史なのでもちろん実話です。】

30  人生の分岐点➀

あの人と別れ、普段の生活に戻り。
自分は自分の気持ちに無意識に嘘をつき、それが本当の気持ちなんだと思い込み。
いや、思い込ませていた。
思い込まなくちゃならないんだと。
何度もあの人に電話しようとしたくせに、それも無いことにして。
私は生きてきました。

彼氏から、来年結婚するかの流れに何となくなり。結婚式は最初からしないと決めてましたが、写真と結婚指輪は必要だね、と。
お互いの親に言うと、親戚の顔合わせぐらいは必要だろうと。

正直、それもいらないよと言いたかったのですが。それはなぜかというとうちの毒親は再婚しているので、親戚とは縁を切り、疎遠になっていて来る人数は数えるほどしかいなく。
かたや彼氏の親戚は沢山いて、最低限でも何十人集まるのでしょうかという状況。
どう考えてもバランスが悪いし、うちの親戚や知り合いがそれを知ったらどう思うだろうとか。

お祝い返しの品でも揉めて、両方の母親が一歩も譲らず、最終的にはお祝い返しの品が2品になる自体に。

まだ若かったので、それがいいか悪いかもわからなかったけど、とんでもないことしたんだなと、今になっては思います。
結婚写真を撮るにも事前にお互いの両親に話をして、その時にも来て、結果家族写真も撮る感じになってしまったり。

理想と現実ってこんなに違うんだ。
と、思ってました。

結婚する同士が好きあっていればそれでいいし、周りは関係ない。
そう思ってました。
でもまたそれも違っていて。
いろんな事が親や兄弟や親戚がその都度絡むんだと歯痒さも感じ。

でもその中でも、2人で住居を探して婚姻届も出して、何よりあの家から出れたことが幸せでした。

でも、その見返りが大きかった。

家を出るということは、私が今まで家に月々入れていた金額が親にしてみればなくなって、生活困難になる。

今までの親は
生活保護を受けるのはかっこ悪い。
周りの人にバレた瞬間噂が広がりどうなるかわからない。
私がいたから実父に電話をしてほぼ毎月お金をせびっていた。
せびったお金は貸してと言って送ってもらったものだけど、もちろん返す気がない。
実父にはもちろん育ての父の事は一切言っていない。
その育ての父は自営業をやっているがほぼ儲けもなく、半分は遊んで過ごしている。
いくら働いてと言っても仕事をもらって来ることもなく、気がつけば釣りに行き、山菜を取りに行き、連絡がつかない。
このままだと母親は他の人にもせびってお金を返さず借金を増やす可能性が高い。

私は頭を抱えていました。

たとえ生活保護を受けたとしても、計算上生活できないとまで言っていました。
今で言う事実婚をしていることはこの田舎なのでバレています。
生活保護を受ける場合、車は所有できません。車もなくなったらこの田舎だから、本当に移動もできず、買い物すらできません。支払いに行くことすらできません。

生活保護を受けたとしてもきっとお金をせびることはやめないだろう。借金も隠れて増やすだろう。

それを私は一番恐れていたのです。

何せ親に万が一の事があった場合、いいことも悪いことも、全て私が背負うのです。
私が背負うということは、もちろん旦那さんも背負うと言う事になるのです。

そして決断します。月々の仕送りをするという事を。今になっては本当に良かったものかどうなのか。後悔しています。
私のパートで働いてる給料ほとんどを親に仕送りしたのです。

もちろん、私達の生活は苦しいものでした。
でも、他人に迷惑かかるよりかはまだましなのかと。借金を黙って増やされるよりはいいかと。

しばらくはそれでよかったのですが。
次回に続きます。

長文読んでいただいてありがとうございます。