2020年7月24日 服従の心理 スタンレー・ミルグラム 山形浩生訳 河出文庫【読書】
この本を読んで、印象に残ることをまとめようとしているが、なかなか上手くまとめられない。ひとまずは、思い浮かんだことを並べておく。
アイヒマン実験について
「どうして人は残忍なことを平気にすることが出来るのか?」
ナチスドイツが第二次大戦中に行った残忍な行為について、アイヒマンというドイツ軍人の裁判があった。このことをハンナ・アーレントが書籍にしている。
この本は、アイヒマンだけでなく、残忍な行為を人はどのような状態で行うことが出来る様になるか、書かれている。
人は、命令に対して服従することで残忍なことを行うことが出来る。
それを、簡単な実験を入口として紹介している。
しかし、この実験についてだけでも、結構衝撃的。
以下引用
二人の人物が、記憶と学習に関する研究に参加すべく、心理学の研究室にやってくる。一人が「先生」役に指名され、一人が「学習者」役となる。実験者は、この研究は罰が学習に与える影響を調べるものだと説明する。学習者は一室に通されて、椅子にすわらされ、両腕は動きすぎないように縛り付けられ、手首に電極がつながれる。そして、対になった単語の一覧を覚えるように言われる。まちがえたら電撃が与えられ、それがだんだん強くなる。
実はこの実験の本当の関心対象は 、先生役の方だ。学習者が縛り付けられるのをみたあとで、先生役は主実験室につれていかれ、大げさな電撃発生器の前にすわらされる。大きな特徴は、水平に並んだ三十個のスイッチで、15ボルトから450ボルトまで、15ボルト刻みになっている。またその強度はことばでも「軽い電撃」から「危険:過激な電撃」まで書かれている。先生役は、別室の人物に学習試験を施すように言われる。学習者が正解を言えば、次の項目に移る。まちがった答えを言ったら、先生役は電撃を与えるように指示される。いちばん低い電撃レベル(15ボルト)から初めて、間違える度にそのレベルを上げ、2回目は30ボルト、その次は45ボルト、と増やすように言われる。
この「先生」役は本当に何も知らない被験者で、実験に参加するために研究室に来ただけだ。一方、学習者の方は役者で、実は電撃ショックなど全く受けていない。 この実験のポイントは、具体的で計量可能な状況において、講義する被害者に対してどんどん強い苦痛を与えるように命じられたとき、その人がどこまでやるかということだ。どの時点で被験者は実験者の指示に逆らうだろうか?
その結果が驚きだった。
学習者が抗議しても、被験者は450ボルトのスイッチまで押して実験を続けたのが、成人40人中37人だったこと。
被験者に
「学習者が「やめて」といっているにもかかわらず、何故続けたのか?」
という質問をすると、
「続けろと指示されたから」
と答えた人が多かったとのこと。
これにより、アイヒマンのホロコーストに対しての「悪の陳腐さ」というハンナ・アーレントの発想について真実に近いという認識を持っている。
アイヒマンではない人が、もしホロコーストを命令されていたら、同じようにしたのではないかという結論にもなってくる。
印象的な記述
この実験の中で、印象的だったのは責任についての記述。
被験者は、責任が実験者にあると考えているのに対し、電撃を受けた側は電撃を与えた人に責任があると考えるところ。
つまり、やった側とやられた側で責任に対しての認識が違うこと。このずれが、アイヒマンの裁判で現れているし、ベトナム戦争時の米軍の行為にも現れていると書かれている。
実社会の中で
今の社会において、仕事上従属的な立場として顧客に対して仕事をしていることが多い。例えば、上司からの命令でそれが顧客に対して理に反することであった場合、直接顧客と接している人は責任を感じないが、顧客の側からすると担当者に大きな責任が有ると感じるという事になる。
組織の一員として仕事をするならば、組織の対応が明らかに顧客などに対してマイナスであると感じた場合、ストップをかけられるかどうかはかなり怪しい。
日常でどう活かしていくか
こんな事は、日常でも普通にたくさん起こりうるという事をわかっておかないといけない。
いざ、自分ならどう動くだろう?
この本は、他にも色々な実験も含めて紹介しているが、それでもこの一番はじめの内容がとてつもなく衝撃的である。
あとがきについて
最後に、この本の訳者のあとがきは、現代の視点に立ってミルグラムの実験の甘いところをしっかり指摘している。広い視野に立って色々な事を考える上で、ものすごく上質なテキストであり、思考停止にならないようになるための大きな材料となる本であるのは間違いない。
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