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20220531 復職メモ ドンドン仕事を増やしていこうとする思考を持っている事に気付く
仕事をしていると、色々な課題が見つかる。
ところが、その課題について色々と考えれば考えるほど、馬鹿を見るのが今の職場だということを感じる様になった。
馬鹿を見るというのは、言い出しっぺがそれをする事になる。
通常業務+αで。
どうやら、周りを見ていると、結構手を抜けるところでは手を抜いている。
そんなことに気付かなかった。
今は、「えっ、ここでこんな風にしていて良いの?」とか、「自分だったら、ここでこんなことやあんなことをしてしまう」ということに気付く。
そんな話を今日も遅く帰ってきた家人にすると、
「当たり前。
みんな手を抜けるところでは抜いているの。
何でもやり過ぎているって、倒れる前に言っていたじゃない。」
自分の中では、やりすぎている感覚がなかった。
まだまだ未熟で物足りなくて、もっともっとやっていかないと自分の力にならないし、身につかないと思っていた。
理解できないと思っていた。
だから、自分がやり過ぎているなんて、これっぽっちも思っていなかった。
まあ、それが自分を精神障害者となるまで追い込んでしまった原因だったんだな。
話を元に戻す。
どうやら自分は、目の前の課題を認識すると、それをいかにして解決するかということに、自分の能力や出来る出来ない関係なく取り組もうとすることがあるみたい。
今朝、仕事のことで家人に相談している際に、指摘された。
職場で
「こんな課題を見つけたのだけれど・・・」
と会話の話題としてあげたり、相談してみても、これまでの範疇で出来ることが帰ってくる。
これまでのやり方や認識で問題があるのだから、変えないと行けないところが有るんじゃ無いの?と思うのだけれど、こうした思考はどうやら自分独特のモノらしい。
何だか、色々と考えてしまう。
考えるのをやめてしまうのが怖い。
考えるときと考えない時を分けた方が良いんだろうな、自分の脳の能力的には。
残念だけれど、自分にはその程度の力しかないということだ。
とまあ、こんな言い方をするのは、自分にもっと能力があると考えていたから何だろうな。
メタ認知が出来ていないということでもある。
まあ、何だかむなしさが少し出てきている、火曜日の夜である。
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