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20220104 今日はOLYMPUS PEN EE-2で42カット、CanonのPowerShot SX160ISで41カット

昨日出かけた際、自分がいつも居たところがなくなっていく事に対して、noteに書いた。

noteを書いていて、好きだった場所から撮影した画像をいくつか上げてみて、
「たくさん撮ることってこういうことなのか?」
と、感じるところがあった。

「気になるなら、撮れ」

それが、自分に必要なところなのかもしれないなぁと感じた。
色々な場所へのこだわりかもしれない。
人が意図して作り出したモノとその場所に元々ある人が意図して作り出したモノではない独特のものが入り交じったものが色々なところにある様な気がしてなら無い。
それを写し取ることができたら最高。
そんな風に思う様になった。

自分は、元々学生時代は地質学を専攻していた。
地質と地理とはものすごく関係がある。
人の営みには、必ず自然の影響がある。
特に日本の場合、自然を押さえ込むのではなく、自然と共生して生きていくという文化が長い時間かけて育まれて来たこともあり、そういう空気感がそこかしこにある。
道があるところ一つとっても、そこに何故道があるのかというのは、必ず自然に端を発するものがあったりする。
そんなことはブラタモリで毎週全国各地紹介しても仕切れないくらいある。
だからこそ、そうしたものを切り取りたくて仕方ない。
自分が何を撮っているのか?というのがこれまではぼんやりとしていた。
でも、撮ってきたものを見返し、自分が何に惹かれていたのかというのが昨日のnoteを書いたあとに、ようやく見えてきた感じがある。

当然、そこには時代の変化もある。
電車の高架化工事というのは、車社会と鉄道とがともに共生するためという名目がある。
地べたを走っていたものを高架化することで、踏切を待つこともなくなるし、踏切の事故も減る。
しかし、地質を学んで来た自分からすれば、地べたのままの方が良いと思うこともある。
いつも使っている駅は、自分が高校生時代に使っていた当時は、改札も地平にあり、改札口を通るとそのままちょっとしたスロープでホームに上がることができた。
これって、究極のバリアフリーのような気がする。
駅でわざわざエレベーターに乗って、移動距離が長くなるよりもそのまますっとホームに行くことができる方が時間が短くて済む。
大きな地震も起こる。
高架が落ちてしまったら、それこそ電車は走れない。
でも、地べたに線路があったならば、不通になることもないだろう。
日本は災害が多いところなのだから。
長い目で見たら、高架に上げるよりもそのまま地平に電車を走らせる方が良いのではないかと思ったりする。
でも、今の時代の考え方が、人が使う構造物を作り替えるようになる。
建物や構造物には、時代というものが現れる。

まあ、そんなことはどうでも良い。

とにかく、今、その瞬間、そこにあるものを見つけたいし、残したい。
ならば、撮るしかない。

道具は何でも良い。
今日は、OLYMPUSのPEN EE-2にORIENTALのSEAGULL100を入れたものと、CanonのPowerShot SX160ISの2台をコートの左右のポケットに入れて、持って歩いた。
撮影したのは、クリニックの行きがけだけ。
15分ほど早めに家を出て、撮りながら歩く。
OLYMPUSのPENでは42カット、PowerShotでは41カット撮影した。

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PENは、明日でフィルムを使い切るだろう。
モノクロなので、どんな感じになるか。
パンフォーカスなので、ドンドン撮れる。

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どんなところでも被写体になる。
自分が何に興味を引かれているのかということがわかって、少しスッキリした。

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