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20210128 通院メモ 「マイクロモニタリング」という言葉がキーワードになりそう

昨日の診察の中で、「モニタリングが全然できていない」と言うことを医師から言われた。
昨日も書いたが、モニタリングができていないからこそコントロールができないことにつながっているというつながり。
その視点から言うと、昨年の一年の間に原因不明の体調不良が起こったのは、その前に躁の状態があり、その反動が身体に出ていたと解釈することができる。
とくに、原因不明による症状と言うことは、どこか過活動になっているのに気付いていないわけで。

いつも、リハビリでの声かけに
「気付いたら戻す、気付いたら戻すを繰り返してください。それがモニタリング力の向上になり、そしてコントロール力の向上につながります。」
というのがある。
そうしたことから考えると、たしかにモニタリングの甘さがあって当然という感じであり、そしてサインを無視し続けてきたというのが現実だろう。
その結果として、1年たっても全然改善していないという状況にある。

と、ここまで気付いたのなら、モニタリングの力をつけていくしかない。
昨日の診察の医師の言葉の中に「マイクロモニタリング」という言葉があった。
モニタリングの感覚を小さく小さく、いつでもモニタリングするくらいの状況で、コントロールをしていくことで力がついてくるという内容だったと思う。

この1年間、自分の中では「やっと休むことができた」という気持ちがとても大きかった。
「もっと休ませてくれ」というのもあった。
仕事にはいつか戻らないといけないけれど、焦って戻るとろくなことがないような気がしていた。
そんな気持ちでリハビリに取り組んでも、身が入るはずもなく。
ズルズルときてしまったのかもしれない。

ようやくというか、ここに来てというか、1月になって意識が仕事をする方向へと向いてきた。
大前提のところがようやくという感じなのかもしれない。

そうしてモニタリングをしてみると、なんと自分のいい加減なことか。
クリニックから言われていることを全然守っていない。
ということで、覚悟を決めて取り組んでみる。
ただし、突っ走った感じになると、躁へと上がって行ってしまう。
だから、ボチボチ。

少しずつ。

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